第8話 身の程知らずの親書
数日後。
ヴォルグ帝国の謁見の間に、エルロード王国からの使者が通された。
私はライハルト様の隣、皇帝の玉座のすぐ脇に控えていた。本来なら一介の貴族令嬢が立てる場所ではないが、ライハルト様が「俺の片腕だ」と言って譲らなかったのだ。
「エルロード王国より参りました。我が主、ジェラルド殿下からの親書をお持ちしました」
現れた使者は、鼻持ちならない態度の男だった。
帝国の煌びやかな装飾に気圧されながらも、どこか私を――「追放された元聖女」を見下すような視線を隠そうともしない。
「読み上げよ」
ライハルト様が頬杖をついたまま、ダルそうに許可を出す。
使者は咳払いを一つすると、大仰に羊皮紙を広げた。
「『親愛なるセフィアへ。
君が家出をしてから数週間、頭を冷やす時間は十分だっただろう。
我が国は今、少しばかりの混乱にある。これは君が自分の価値を示す絶好の機会だ。
今すぐ戻り、その予言の力で国に尽くしなさい。そうすれば、これまでの数々の無礼と、勝手な出国を寛大な心で許してやろう』」
……は?
私の思考が一瞬、停止した。
許してやろう? 追放したのは向こうなのに?
使者は、さらに声を張り上げて続けた。
「『なお、君の席は既にミーアが正妃として埋めている。だが安心してほしい。君を特別に【側室】として迎える用意がある。
愛するミーアを支える影として生きられるのだ。これ以上の喜びはないだろう?
さあ、感謝して戻ってくるがいい』……以上です」
読み終えた使者は、勝ち誇ったように私を見た。
「聞こえましたか、セフィア様! あのジェラルド殿下が、貴女の罪を許し、側室にしてくださると仰っているのです! さあ、すぐに感謝の返事を……」
パキィィィィン……!!
使者の言葉は、凍りつくような破裂音によって遮られた。
見れば、ライハルト様が持っていたワイングラスが、粉々に砕け散っていた。握力で割ったのではない。彼から溢れ出した魔力が、グラスを内側から破裂させたのだ。
「……それが、遺言か?」
ライハルト様の声は、地獄の底から響くように低く、重かった。
玉座の間全体の気温が一気に氷点下まで下がる。
「ひっ……!?」
「我が国の最高顧問に対し、『罪を許す』だの『側室』だの……。エルロード王家は、ヴォルグ帝国に喧嘩を売りに来たのかと聞いている」
「い、いえ! 滅相もございません! これはあくまで、元婚約者としての温情で……!」
「温情だと? ゴミの間違いだろう」
ライハルト様は指先を振った。
すると、使者の手元にあった親書がボッと青白い炎を上げて燃え上がった。
「うわぁぁっ!?」
「俺の大事なセフィアを、その薄汚い国に戻すわけがないだろう。それに、ミーアとかいう女の影? ふざけるな。セフィアは俺の唯一無二の光だ」
ライハルト様は立ち上がり、燃えカスとなった手紙を踏みつけた。そして私の方を向き、優しい瞳で問いかける。
「セフィア。お前の口から、この愚か者に現実を教えてやれ」
「……はい」
私は一歩前に進み出た。
以前の私なら、怖くて俯いていただろう。でも今は違う。
背中には、世界で一番頼もしい人がいてくれる。
「使者殿。ジェラルド殿下にお伝えください」
私は使者を真っ直ぐに見据え、はっきりと告げた。
「『私は今、かつてないほど幸福です。二度とあの国に戻るつもりはありません』と」
「なっ……! 正気ですか!? 祖国を捨てるというのですか!」
「捨てたのは、あなた方です」
私の冷徹な言葉に、使者は言葉を詰まらせた。
「それに……神託が告げています」
「え?」
「『腐った船に乗ったネズミは、沈む前に逃げ出した方がいい』……と。あなたも、早めに職を変えた方が身のためですよ?」
顔面蒼白になった使者は、もはや反論する気力もなく、「ひぃぃっ!」と悲鳴を上げて逃げ出した。
静寂が戻った謁見の間。
ライハルト様が、ふぅとため息をついて、私の腰を引き寄せた。
「……あんなふざけた手紙を聞かせてすまない。耳が汚れただろう」
「いいえ。ライハルト様が怒ってくださったので、むしろスッキリしました」
「当たり前だ。お前を侮辱することは、俺への侮辱以上に許しがたい」
彼は私の額にコツンと自分の額を合わせた。
「さて、害虫駆除も終わった。……エルロード王国には、いずれ相応の『返礼』が必要だな」
その瞳は笑っていなかった。
ジェラルド様の送った手紙は、ライハルト様という竜の尾を、完全に踏み抜いてしまったのだ。




