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第5話 冷たい瞳に隠された傷跡

 夜の(とばり)が下りる頃、翡翠(ひすい)の間の扉が静かにノックされた。

 豪奢な絹のナイトドレスに着替え、ソファーで縮こまっていた私は、慌てて姿勢を正す。


「入れ」


 私が返事をする前に、低い声と共にライハルト様が入室してきた。執務服からラフなシャツ姿に着替えており、少しだけ肩の力が抜けているように見える。

 彼は私の姿を一瞥(いちべつ)すると、満足げに頷いた。


「悪くない。あの薄汚れた修道服より、そのドレスの方が百倍似合っている」

「あ、ありがとうございます……。こ、こんな高価なものを、申し訳ありません」

「謝るな。俺が着せたいから着せているだけだ」


 彼は私の向かいのソファーに腰を下ろすと、サイドテーブルに置かれたワインボトルを開けた。グラスを二つ満たし、一つを私に差し出す。


「付き合え。……少し、話がしたい」


 揺れる深紅の液体を見つめながら、私は恐る恐る口を開いた。

「ライハルト様は、なぜ私を……『不吉な予言』しかできない私を、これほど厚遇してくださるのですか? 単に軍事利用できるから、という理由だけではない気がして……」


 彼はグラスを口元へ運び、ふっと小さく笑った。自嘲のような、寂しげな笑みだった。


「……俺は、五年前の『大渓谷の戦い』で、弟を失っている」

「えっ……」


「当時の軍師は優秀だった。『勝率八割』と弾き出した作戦だった。だが、残りの二割――突発的な霧の発生と、敵の伏兵によって、弟の部隊は全滅した」


 ライハルト様の瞳が、氷のように冷たく、けれど哀しげに光った。


「戦場において『たぶん大丈夫』は『死』と同義だ。希望的観測、根拠のない楽観視、情報の欠落……それが俺の大事なものを奪った。だから俺は、不確定要素を何より嫌う」


 彼は身を乗り出し、私の頬に手を添えた。その指先は熱かった。


「お前の声は、『絶対』だ。お前が『死ぬ』と言えば死ぬし、『助かる』と言えば助かる。そこには希望的観測も、曖昧な慰めもない。……俺にとって、それはどんな美しい歌声よりも心地いい『真実の響き』なんだ」


「ライハルト様……」


 胸が締め付けられた。

 私の言葉は、人を不安にさせる呪いだと言われてきた。けれど、過去に痛みを抱える彼にとっては、それが唯一の救いであり、道標だったのだ。

 私のコンプレックスが、彼の傷を埋めるピースになった瞬間だった。


 その時、静かな空気を切り裂くように、窓の外から急報を告げる鐘の音が響いた。

 間髪入れず、影のような従者が音もなく部屋に現れ、片膝をつく。


「陛下、早馬が到着しました。……エルロード王国より」

「報告せよ」


 ライハルト様は瞬時に皇帝の顔に戻り、冷たく命じた。


「北の山脈にて『古の竜』が覚醒。エルロード王都は、竜のブレスによる延焼と魔物の襲撃により、半壊状態とのことです。死傷者は数知れず、王族は地下シェルターへ避難した模様」


「――っ!」


 私は息を呑み、グラスを取り落としそうになった。

 半壊。死傷者多数。

 覚悟していたこととはいえ、現実に突きつけられると、血の気が引いていくのがわかった。


「あ、ああ……私のせいです。私が、もっと強く言っていれば……去り際に、もっと詳しく伝えていれば……」


 震える私の肩を、強い力が抱き寄せた。

 ライハルト様だ。彼は私を自分の胸に押し付け、従者に「下がれ」と手で合図を送った。


「セフィア、自分を責めるな。それはおごりだ」

「で、でも……!」


「お前は警告した。奴らはそれを無視し、あまつさえお前を追放した。……崖に向かって走る馬鹿に『止まれ』と言っても止まらなかったのなら、落ちたのはそいつの責任だ」


 彼は私の頭を優しく撫でながら、耳元で囁く。


「奴らは『心地よい嘘』を選び、お前という『苦い真実』を捨てた。その代償を支払っているに過ぎない。……お前が泣く必要など、欠片もないんだ」


 その言葉は厳しかったが、同時にとてつもなく優しかった。

 私の罪悪感を、彼がその論理で切り捨ててくれた。


「お前はもう、ヴォルグ帝国の人間だ。あの国がどうなろうと、俺が許す。……今はただ、ここで生きて、俺のそばにいろ」


 彼の胸の鼓動が、トクトクと聞こえる。

 私は彼のシャツをギュッと掴み、溢れ出る涙を押し付けた。

 祖国への未練は、この涙と共に消え失せた。私はこの人のために、この力を使おう。

 心からそう誓った夜だった。


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