第4話 黄金の檻と、紅蓮の宴
数日の旅を経て、私たちはヴォルグ帝国の帝都・ヴァルムに到着した。
馬車の窓から見えたのは、私が育った王都とは全く異なる光景だった。無駄な装飾を排した重厚な石造りの街並み。けれど決して暗くはない。市場は活気に溢れ、行き交う人々の表情には、強国に暮らす者特有の自信と余裕が満ちていた。
「着いたぞ。ここが今日から、お前の庭だ」
ライハルト様が手を差し出し、私をエスコートする。
目の前に聳えるのは、黒曜石と大理石で作られた巨大な皇城。その威容に圧倒されていると、整列していた数十人のメイドや執事たちが一斉に頭を下げた。
「お帰りなさいませ、陛下!」
「うむ。……おい、この方を『翡翠の間』へ案内しろ。湯浴みと食事だ。シェフには、消化に良く滋養のあるものをすぐに用意させろ」
翡翠の間。それは確か、国賓クラスの来客が使う最高級の部屋のはずだ。
ざわめく使用人たちを無視して、ライハルト様は私に向き直った。
「俺は執務に戻る。溜まった書類を片付けたら、夜には顔を出す」
「あ、はい……あの、ありがとうございます」
「礼など不要だ。お前は俺の『軍師』であり、何より俺が見つけた『幸運』なのだからな」
彼はそう言うと、不意に私の髪を一房すくい上げ、口づけを落とした。
あまりに自然な動作に、私は言葉を失い、ただ赤くなることしかできない。彼は満足そうに目を細めると、風のように去っていった。
残された私は、ベテランの侍女長に案内され、広大な浴室へと連れて行かれた。
温かいお湯に浸かり、丁寧に身体を洗われる。これまで「魔女」として冷水しか与えられなかった私には、それだけで涙が出るほど心地よかった。
「……お痩せになっていますね」
背中を流していた侍女長が、痛ましげに声を漏らした。
「あばら骨が浮いてしまっています。……陛下が連れ帰った女性と聞いて、どのような方かと思いましたが、これほど酷い扱いを受けていたとは」
「ええ……祖国では、あまり歓迎されていませんでしたから」
「信じられません。これほど美しい銀の髪と、神秘的な瞳をお持ちなのに」
侍女長は、ふわふわのタオルで私を包み込むと、真剣な眼差しで言った。
「安心してくださいませ、セフィア様。ヴォルグ帝国は実力主義ですが、一度身内と認めた方にはとことん甘い国です。私たちが、貴女様を必ず健康でふっくらとしたレディにしてみせます」
その言葉の温かさに、私はようやく、自分が安全な場所にいるのだと実感できた。
◇ ◇ ◇
その頃、エルロード王国の王城は、阿鼻叫喚の地獄と化していた。
ドォォォォン!!
腹の底に響く轟音と共に、王城が激しく揺れた。
飾られていた絵画が落ち、シャンデリアがガシャンと音を立てて床に砕け散る。優雅な宴を楽しんでいた貴族たちは、悲鳴を上げて逃げ惑っていた。
「な、なんだ!? 何が起きた!」
ジェラルド王太子がテーブルの下から這い出し、顔面蒼白で叫ぶ。
窓の外を見た側近の一人が、腰を抜かしてへたり込んだ。
「ひ、火が……山が、燃えています!」
北の空が真っ赤に染まっていた。
伝説の『竜の巣』がある山脈が噴火したかのように、赤黒いマグマと噴煙を上げている。いや、よく見ればそれは自然の噴火ではない。
山頂付近から、巨大な影――翼を持った竜が飛び立ち、その口から猛烈な炎のブレスを吐き散らかしているのだ。
「り、竜だ……! 本当に目覚めたのか!?」
「そんな、馬鹿な! ミーアの祈りはどうなったんだ!」
ジェラルドは、部屋の隅でガタガタと震えているミーアを怒鳴りつけた。
彼女の「聖女の祈り」とやらで、安全なはずではなかったのか。
「い、嫌ぁぁ! 来ないでぇ!」
「ミーア! なんとかしろ! お前の力で竜を鎮めるんだ!」
「無理よぉ! あんな化け物、どうにかできるわけないじゃない!」
ミーアは泣き叫ぶばかりで、何の役にも立たない。彼女の「聖女の力」など、ただ人を良い気分にさせるだけの、精神安定剤のような微弱なものに過ぎなかったのだ。
「ご報告します!!」
伝令の兵士が、煤だらけになって飛び込んできた。
「北の防壁が崩壊! 竜のブレスによる山火事が、風に乗って王都へ迫っています! さらに、山から逃げ出した魔物の群れが、城下町になだれ込んできています!」
「な、なんだと……」
「もし……もし、三日前に防壁の強化と、住民の避難を行っていれば、被害は最小限で済んだはずです! なぜ、対策を取らなかったのですか!」
兵士の悲痛な叫びが、ジェラルドの胸に突き刺さる。
三日前。
そう、あの時、セフィアは確かに言っていた。
『竜の怒りを買う』と。
その言葉を「不吉だ」「呪いだ」と切り捨て、彼女を追放したのは、他ならぬ自分たちだ。
「く、くそっ……! セフィアがいれば……あいつなら、竜が来る正確な時間も、ブレスの範囲もわかったというのか……!?」
ジェラルドは血が出るほど拳を握りしめた。
窓の外では、王都の一部が紅蓮の炎に包まれようとしていた。
最も忌み嫌っていた「不吉な予言」こそが、国を救う唯一の命綱だったことに、彼らは手遅れになってから気づいたのだった。




