第3話 捨てられた宝石と、残された瓦礫
ヴォルグ帝国の野営地までの道中、私は夢を見ているのかと思った。
「おい、敷物が薄い。彼女の尻が痛くなるだろう。俺の毛皮を敷け」
「水だ。最高級の蜂蜜を溶かしたものを持ってこい。彼女は顔色が悪い」
ライハルト様は、まるで壊れ物を扱うように私を世話した。
手錠をかけられるとばかり思っていたのに、私は皇帝専用馬車の、一番ふかふかな席に座らされている。
「あ、あの……ライハルト様。私は捕虜なのでしょうか?」
恐る恐る尋ねると、彼は怪訝な顔をした。
「捕虜? まさか。お前は我が国の『最高顧問』だ」
「さいこう……こもん?」
「ああ。たった一言で部下数名の命と、軍馬の損失を防いだ。金貨に換算すれば数千枚の利益だ。それを一瞬でやってのけたお前に、粗相があってはならない」
ライハルト様はそう言うと、私の痩せ細った手首をそっと握った。
その瞳が、スッと細められる。
「……それにしても、細いな。エルロード王国では、聖女に食事も与えていなかったのか?」
「い、いえ。与えられてはいましたが……『不吉な口をきく罰』として、スープのみの日もありましたし、厨房の隅で食べるのが常でしたので」
ピクリ、とライハルト様の眉が跳ね上がった。
馬車内の気温が数度下がったような錯覚を覚える。
「……そうか。あの国は、宝石を泥の中に沈めて喜ぶ趣味があるらしいな」
低い、地を這うような声。
彼は私の手首を、痛くないように、けれど離さないとばかりに強く握りしめた。
「忘れろ。今日からは、お前が望むもの全てが手に入る。俺が与える。……まずはその痩せた身体を健康に戻すことからだな」
「え、あ、あのっ」
「なんだ? 肉が食いたいか? それとも甘味か?」
顔を覗き込まれる。そのあまりに整った顔立ちと、向けられる真剣な眼差しに、私はカッと顔が熱くなった。
今まで「疫病神」として避けられてきた私に、こんな……触れるほどの距離で接してくれる人がいるなんて。
胸の奥が、熱いもので満たされていくのを感じていた。
◇ ◇ ◇
一方その頃。
セフィアを追放したエルロード王国の王城では、祝杯があげられていた。
「ああ、せいせいする! 空気が美味いな!」
王太子ジェラルドは、ワイングラスを掲げて高笑いした。
隣には、可愛らしいドレスに身を包んだミーアが寄り添っている。
「本当に。お姉様のあの陰気な声が聞こえなくなって、お城全体が明るくなりましたわ」
「全くだ。あいつがいると、晴れの日でも雨が降る気がしたからな」
貴族たちも口々に同意し、宴は最高潮に達しようとしていた。
その時、慌ただしい足音が大広間に響いた。
「で、殿下! ご報告があります!」
息を切らして駆け込んできたのは、北の国境警備を任されていた騎士団長だった。
ジェラルドは不機嫌そうに眉をひそめる。
「なんだ騒々しい。今はミーアとの愛を祝っている最中だぞ」
「し、しかし緊急事態です! 北の山脈……『竜の巣』周辺で、微小な地震が観測されました! それに、季節外れの熱風が吹き下ろしてきています!」
会場がざわめく。
北の山脈には、古の竜が封印されているという伝説がある。もしそれが目覚めれば、王都などひとたまりもない。
騎士団長は必死に訴えた。
「以前、セフィア様がおっしゃっていたではありませんか! 『三日後に竜の怒りを買う』と! 今日がちょうどその三日目です! 直ちに避難勧告と、防衛結界の展開を……!」
「ええい、黙れ!」
ジェラルドがグラスを床に叩きつけた。
赤いワインが、まるで血のように絨毯に広がる。
「またその名前か! いいか、よく聞け。竜が目覚めるだの、地震が起きるだの、それは全てセフィアという『不吉な女』がいたから起きていたことだ!」
「で、ですが……」
「現に、あいつがいなくなってから空は晴れているではないか! その地震とやらも、ただの地殻変動だ。熱風も気まぐれだろう」
ジェラルドは騎士団長を睨みつけると、ミーアの肩を抱いた。
「ミーアよ。お前の『聖女の祈り』で、皆を安心させてやれ」
「はい、殿下♡」
ミーアは騎士団長に向かって、小首をかしげて微笑んだ。
「団長さん、心配しすぎです。神様は私たちを愛していますもの。竜なんて目覚めませんわ。私が保証します!」
根拠のない、けれど甘い断言。
ジェラルドは満足げに頷いた。
「聞いたか? 真の聖女がそう言っているのだ。警備強化など不要。宴を続けろ!」
「は、はあ……」
騎士団長は渋々引き下がった。
だが、彼らが去った窓の外。
北の空が、不気味なほど赤黒く染まり始めていることに、気づく者は誰もいなかった。
セフィアが最後に残した『竜の怒りを買う』という言葉。
その「怒り」の正体は、封印が解けることだけではない。
もっと物理的で、致命的な「何か」が迫っていることを、彼らはまだ知らない。




