勇者にされてしまった男
――目を覚ますと、俺は草の上に寝転んでいた。
頭上には見慣れない木々が風に揺れ、鳥とも獣ともつかない鳴き声が遠くに響いている。
「……ここは……どこだ?」
会社のオフィスでも、公園でもない。
体は無事だったが、スーツは泥で汚れている。トラックにはねられた記憶が脳裏をよぎり、ぞっとした。
「まさか……死んだ、のか?」
頬をつねってみると痛い。夢ではないらしい。
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ふらふらと森を抜けると、小さな村が広がっていた。
煙突から煙が上がり、木造の家々が並んでいる。見たことのない衣装を着た人々が往来し、馬車が石畳を走っていく。
呆然と立ち尽くす俺に、畑仕事をしていた老人が声をかけてきた。
「おい、あんた。見慣れん格好だな、旅人か?」
「え、あ、はい……」
曖昧に返事をすると、老人は怪訝な顔をしつつも、「まあいい、腹が減ってるならこっちへ来い」と手招きした。
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だが、その時だった。
「魔物だーーーっ!」
甲高い悲鳴が村の外から響いた。子供が泣き叫び、大人たちが慌てて逃げ出す。
俺もつられて振り返ると、黒い毛並みを持つ獣のような魔物が、涎を垂らしながら突進してきていた。
足がすくみ、動けない。
だが目の前に転がってきた一本の剣が視界に入る。
誰かが落としたのか、鞘もなく刃が光を反射していた。
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「に、逃げなきゃ……!」
そう思った瞬間、背後で子供の泣き声がした。振り返ると、幼い少女が転んで動けずにいる。
気づけば俺は、その子の前に立っていた。
手にした剣を無我夢中で振り下ろす。
――ズバッ!
刃は信じられないほど軽く動き、魔物の体を真っ二つに裂いた。
剣が淡い光を放ち、手に吸い付くように馴染んでいる。
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「ゆ、勇者様だ!」
「伝承の剣が光ったぞ!」
「救世主が現れた!」
村人たちが一斉に歓声を上げる。俺は思わず剣を手放しそうになった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 俺はただの……」
必死に否定するが、誰も聞いていない。
泣いていた少女まで「勇者さま、ありがとう!」と笑顔で言う。
その言葉に、心臓が強く跳ねた。
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やがて村の広場に連れて行かれると、白髪の神官のような人物が現れた。
「この者こそ、異世界から訪れし勇者に違いない。伝承の剣を手にし、魔物を退けたのだから」
「ま、待ってください! 俺はただの……サラリーマンで……」
「サラリーマン? それはどこの騎士団の称号だ?」
「ち、違う! 俺は勇者なんかじゃ……」
必死に否定する俺をよそに、神官は高らかに宣言した。
「勇者よ、使命を授けよう。この世界を救うため――魔王を討つのだ!」
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“魔王”。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がざわめいた。
なぜだろう、まだ姿も知らないはずなのに――真緒の顔が脳裏をよぎった。
「……魔王、だと……?」
俺は剣を握りしめ、答えの出ない違和感を抱えたまま、村人たちの歓声に飲み込まれていった。




