遠くの広場で
第18話 遠くの広場で
魔王城は、もう目の前だった。
霧の向こうにそびえる黒い城壁を見上げながら、俺たちは草木に身を潜めて進んでいた。
「……静かすぎるな」
カレンが小さく呟く。
戦場特有の緊張感はある。
だが、殺気や悲鳴はない。
あるのはただ、ひどく穏やかな空気だった。
城の手前に、小さな広場があった。
木製の柵に囲まれた空間で、子どもたちが走り回っている。
「……子ども?」
敵地のはずの場所で、あまりにも不釣り合いな光景だった。
俺は、息を殺して覗き込む。
⸻
そこに――
ひときわ目を引く存在がいた。
黒い髪。
凛とした横顔。
だが、今は玉座に座る女王ではなく、地面に膝をつき、子どもと同じ目線で笑っていた。
小さな魔族の子が、転びかけたその瞬間。
その人は、少しだけぎこちない動きで、その子を抱きとめた。
(……あの感じ)
腕の力の入れ方。
支える位置。
子どもを壊さないように、でも離しすぎない、あの距離。
それは――
魔王として覚えた動きなんかじゃない。
(……あの広場と、同じだ)
高校の時。
放課後、偶然通りかかった住宅街の小さな公園。
ブランコのそばで転びそうになった子を、真緒が咄嗟に支えた時と――同じだった。
子どもは泣かなかった。
真緒は少し慌てた顔で、でも最後には優しく笑っていた。
今、目の前にいる魔王も、まったく同じ表情をしていた。
⸻
胸の奥で、何かが静かに崩れた。
(……やっぱり、真緒だ)
疑いじゃない。
予感でもない。
確信だった。
魔王は、真緒だった。
あの時、別れたまま、二度と会えないはずだった――真緒だった。
子どもが「また遊んで!」と言うと、魔王は困ったように笑って、そっと頭を撫でた。
その仕草も、その声の出し方も、すべてが――
俺の知っている、真緒だった。
⸻
その瞬間、胸の奥に、別の感情が突き刺さった。
(……俺は)
俺は、あの時、真緒に言った。
――幸せになってほしい。
泣きながら。
何度も、自分に言い聞かせるように。
(今の真緒は……幸せそうだ)
子どもに囲まれて。
誰かの命を背負って。
笑って、困って、優しくして。
間違いなく、ここには――
“居場所”があった。
俺の胸に、罪悪感のような痛みが広がる。
(……それなのに、俺は)
勇者として来た。
魔王を討つために。
この手で、終わらせるために。
なのに――
今、目の前にいる真緒は、
誰かの幸せそのものだった。
⸻
気づけば、俺は唇を噛みしめていた。
(……俺は、何をしに来たんだ)
守るためか。
壊すためか。
それとも――ただ、会うためだったのか。
「……ゆ――」
リオが小さく声を出しかけ、カレンがすぐに口を塞いだ。
「今は、動くな」
俺は、ただ、立ち尽くしていた。
遠くで、真緒が誰かに呼ばれ、ゆっくりと立ち上がる。
その背中が、城の影へと消えていく。
俺は、その最後まで、目を逸らせなかった。
⸻
(……それでも、俺は、ここまで来てしまった)
真緒が“魔王”だと知った今でも。
真緒が“幸せそう”だと分かった今でも。
それでも――
俺は、勇者として、ここにいる。
その事実だけが、重く、動かしようもなく、胸に残っていた。




