黄金の祝福と鮮血の傷跡
貪欲な獣の唸り声と切迫した人の声。
次の町へと向かう商隊は不運にも瘴気に蝕まれた獣たちに襲われた。
その鋭い爪で深手を負った男は、未だに戦っている仲間たちに加勢できない己を恥じた。血の一滴だろうと、戦場で全てを捧げる。それが戦士の生き様であり、誇りなのだ。
こんなところで膝を屈して言い訳がない。
無理やり起こそうとした身体は、小さな手に抑えられた。
「駄目です! 姉さんたちならきっと大丈夫ですよ……だから、クレスさんは安静にしてください」
クレスは少女を振り払う気にはなれなかった。桃色の髪に碧色の瞳、幼いというのにはっきりとした口調で話す。今回の護衛として雇われた隊長の妹。
振り払えなかったのは、その言葉が正しいからではない。クレスは自身が死んだとしても、この場で果てることに不満はなかった。
クレスを引き留める手が震えていなければ……
✽
あの戦いを切り抜けた後、疲弊しきった戦士たちは酒場で酒を飲んでいた。
「ったく、魔物がこんなところまで出てくるとは…」
「依頼が増えるだろうな。傭兵としては、食いっぱぐれることもないし、終わったあとの酒が美味いと思っておこう」
「あっしは危険がない方が平和でいいんですがね……。それにしても、姉さんは相変わらずお強い!」
この傭兵団の規模は小さい。しかし、経験は豊富で様々な修羅場を潜り抜けてきた。
「お前はもう少し身を守る術を身に着けろ。危険が迫ったとき、妹かお前だったら、躊躇いなく妹を選ぶからな」
少女の年の離れた姉は呆れたように呟く。「そりゃないでっせ」とひ弱な男が悲鳴を上げれば、戦士たちが「筋肉つけろ、筋肉」と男の前に山盛りの皿を置いた。
わちゃわちゃと騒いでいると、姉の側に少女は腰を下ろした。
「姉さん、怪我はしてない?」
「心配するな。待っててくれ、クロリスの分を取ってくるからな」
姉は仲間に向けた表情とは異なり、優しく微笑む。姉が去っていった後、男たちがひそひそとクロリスに近づいた。
「お嬢、クレスのやつを止めてくれてありがとな。あいつは死に急ぐから、誰かが側で引き留めないとな」
「当然のことをしただけですよ、仲間じゃないですか」
クロリスはそう言って柔らかな笑みを見せると、男たちは感激したように泣き始めた。男たちにとって、クロリスは砂漠のオアシスだ。普段から鋭利で冷たい姉と違い、クロリスは男たちに温かく接してくれる。本来は男たちだけの世界で、クロリスのような少女は珍しい。
「お前たち……クロリスが困っているぞ。さっさと離れてくれ」
戻ってきた姉は男たちに吹雪のような視線を送り、無理やり引き離した。
✽
クレスは宿屋のベッドで目を覚ました。起き上がろうとすると傷跡から痛みが走る。体をよく見ると、いつの間にか包帯が巻かれていた。
仲間の安否が気になるが、無理して動く必要はないだろう。誰かが様子を確認するまで待てば良い。
遠くから聞こえる楽しげな声を聞けば、怪我を追ってしまったことが悔やまれる。この調子だと、この状態で酒を飲めばクロリスから怒られる羽目になることは目に見えているからだ。
ふと隣を見ると、少女が寝息を立てていた。
クレスは驚いて、ガタッと音を立ててしまった。その音でクロリスも目を覚ました。少し眠そうで、目をこすっている。
「あれ……クレスさん、起きたんですか?」
「お前の手当てのおかげだ」
その後、いくつか体調に関して質問されて、クロリスはふらふらしながら自身の部屋へと帰っていった。
「……大丈夫なのか?」
「お前よりあの子はしっかりしてるよ、クレス」
いつの間にか部屋の前にいた隊長に、ビクッと驚いて傷口が痛む。その反応のせいか、余計に隊長から冷たい目で見られた。
「無駄に体力を消費するな。あの子は念の為お前の側についていたんだからな」
「どうしてそこまで…」
クロリスは間違いなく良い子と分類される人間だ。傭兵をするようなやんちゃな人間とはあまり関わらないような、穏やかで平和な場所が似合う。姉の他に頼れる人を見つけてしまえば一人で幸せを掴めてしまえるような子だ。
「あの子がお前を治したのも、一生懸命なのも私のためだよ」
本来なら姉の仕送りを頼りに、もっと安全な場所で生活をしていくこともできたはずだった。しかし、クロリスはそれを拒んで姉の側にいることを選んだ。姉が無事でいられるように。
医学を学び、町にある神殿で治癒の力を身につけた。
クロリスにとって、姉の部下は仲間である以上に、唯一の肉親を守ってくれる存在だから。
「怪我の調子はどうだ?」
「……」
クレスは答えない、答えたくない。
クレスにとって、傭兵団に入ったのは初めてではない。前の傭兵団でも、クレスはその身で全力で戦った。けれど、その時もクレスは大怪我を負ってしまい、仕方なく留守を任された。
いくら待っても傭兵団が帰ってくることはなかった。見捨てられたのならどれほど良かったのだろうか。依頼のあった場所に急いでいくと、倒れた馬車と砕けた槍。そして噛みちぎられたドックタグを見つけた。
それは仲間のものだった。
今回も同じとは限らないと分かっている。ただ、もし同じことになる可能性があるなら、同じ場所で死なせてほしい。残されることはとても苦しいことだから。
あの場所でふらふらと死にかけていたクレスを拾ってくれたからこそ、最期まで共にいたいと願う。
「暫く、お前にはここにいてもらう。その怪我で付いてきても足手まといだ」
「くそっ!」
「騒ぐな、傷が開くぞ」
クレスも隊長も目線を合わせることはない。
「私たちは傭兵だ。『絶対に帰ってくる』、なんて口約束をすることはできない。だが、できるだけ安全に帰ってこられるように努力はするさ」
小さなため息が隊長から漏れる。
「……あの子の護衛にお前をつける」
一瞬、意味が分からなかった。クレスが呆然している間に、隊長は部屋から出ていった。
✽
少し考えれば、分かることだった。
姉さんが私を危険から遠ざけようとしていたことを。
側にいたいと望んでいたのは私で、姉の無事を望んでいたのも私。だから、これまではわがままだった。
けれど、それは大人が守れる範囲を超えてしまえば、脆く崩れる時間でしかなかったから。
身につけた知識も力も、子どもの割には上手くできてるという程度なだけ。本物には到底力は及ばない。神殿で治癒の力を授かったけど、本当は少しも信仰心はない。ただ姉さんが無事でいられる力が欲しかっただけだから。
姉さんは私から目を離せないわけではなくて、私が姉さんに執着していただけだから。ただずっと抱き締めて欲しかった。〝愛〟を抱えていたかった。
父も母もいなくなってしまったのに、どうして離せるというの?
もうこの世には姉さんしか家族はいないのに。
姉さんは「見識を広めるべきだ」と言った。分かってる、私のために言ってくれているのは。でも、失うのは怖い。いやだ。
別れの痛みは知らなくても、別れがあるのを知っているから。
✽
数年経てば、クロリスは順調に成長して、同じ年代の神殿に仕える子どもたちと交流を持つようになった。初めは一歩引いたような態度だったものが、次第に家族に見せるものと変わらない柔らかな表情を見せる。
クレスはその様子を近くで見守っていた。護衛を任されてから、傭兵団の方はこの町を拠点にして様々な戦場を渡り歩いた。その間にクレスも傷は治ったが、護衛の仕事にも誇りを持ち始めていた。剣を握ることだけが戦いだと思っていたクレスにとって、クロリスが日々成長していく姿は眩しいものに思えた。
武力によって守れるものはある。しかし、それだけでは限度も確かにあるのだと、鮮やかな色を花開かせるクロリスを期待するようになった。
逆に、魔物の被害は年々深刻になっている。傭兵団の被害も増えており、散った命も少なくない。
だからこそ、クレスはこの命に代えてもクロリスを守ろうと誓った。いざという時に、彼女を逃がせるようにと。
✽
夕暮れが空を染め上げて、少女たちはお勤めが終わったあとの弛緩した空気を楽しんでいた。
「最近来る人多いね。それがなければお昼は何処かに食べに行くこともできたのに」
甘味を口にしながら少女は口をとがらせていた。
「最近は遠くの村から逃げてきたって人も来てるし、やな感じ……空気がひりついてるというか」
この数年で幾つもの村が滅びた。魔物が急激に増加するにつれて、柵もない小さな村から徐々に戦火が広がっている。その不安は人々に伝播しつつあった。
「二人とも、あんまりそういうことを口にしちゃ駄目ですよ」
二人とも、姉と離れてから交流を持つようになった友達だ。時間のある時に町に買い物に行ったり、カフェに入って余暇を楽しんだりと平凡で穏やかな日々を過ごしている。
「そうは言うけどさ、クロリス。あんたのお姉さんも最近は特に忙しいんでしょ? あまり帰ってこないし、手紙のやりとりも少しずつ遅くなってるって」
あの小さな傭兵団はこの数年で確かな実力を示してきた。村を転々と移動し、魔物を幾度となく退けてきたことで、近隣では最も信頼された傭兵団になった。
「……あっちも忙しいみたいですから」
こう言えば、二人ともこれ以上追及する事はできない。私を思っての言葉であっても、不安だとはいいたくなかった。この世の中で不安がない方がおかしい。でも、それを知っていても口にはしたくない。
私には何もあげられないから。
私の周囲にあるものは与えられたもの。姉さんが私を支えてくれるから、こうした生活ができる。機会が与えられたから、その分期待に応えなければならないと思う。
姉さんの頑張りを無駄にしたくない。
「ごめんごめん、暗い話になっちゃったね。さて、明日は非番だし、一緒にどこ行こっか」
気を紛らわすように明るい話題へと変わっていく。まるで先程の不安なんてなかったみたいに。すぐ側に確実にあっても、私たちにとっては明日のほうが重要だった。
✽
「……ごめん、うちの兄が大怪我したみたいなんだ」
クロリスの友達の一人であるリーラは申し訳なさそうに呟いた。
「家族のことなら、仕方ないよ」
もう一人の友達が「気にしないで」と言う。私も同じように家族に会いに行くよう促した。
「でも、クロリスは……」
「姉さんは簡単に会いに行ける場所にいないですから。たまに帰ってきてくれて、会えるだけでも充分です」
私が姉さんに勝手に会いに行けば、会って話すことはできても気を遣わせるだけだから。必要なら帰ってくる。言葉にすると薄情な関係に思えるけれど、信頼しているから気にならない。
「会いたいでしょ?」
リーラは私を見詰めて、静かに抱き締めた。
「リーラ?」
ぎゅっとされると、温かな体温と脈打つ鼓動を感じる。今まで触れられることはあっても、ここまでではなかった。戸惑っていると、リーラは悲しそうな潤んだ瞳で微笑んだ。
「私ね、羨ましかったの。大切に思える相手がいて、どっちも大切にしていることが伝わってくるんだもの」
うん、と頷くとリーラは笑う。ぽとり、ぽとりと流れ出る涙を手で拭いながら。
「残念だけど、うちの兄とはそんな関係じゃなくてね。会えば喧嘩して、私が飛び出すことがほとんどだった」
少し恥ずかしそうに、頬を緩ませて呟く。
「今思えば、私ってすごくバカだったなって思うの。感情的になって……別に間違ってたとは思わないけど、子供っぽくて。でも、大切な家族だったなって思うの」
私は姉さんと喧嘩したことはない。どっちも気質としては荒々しくないし、二人でいられる時間が減るのは不安だった。
「本当にっ、クロリスは凄いわ! だって、私、私のことで泣いてるんだもの。薄情なやつって見られたくないし、嫌われたくない。きっとそれだけなの……そう考えると、自分が情けなくて……」
リーラは私に肩を埋めて泣き出した。疲れて眠ってしまうまで。その後、少しからかうと顔を真っ赤に染めて叩かれた。
……私も、何処までが純粋なものなんだろう?
もう少し周りを見てみようと思った。
家族が暖かに出迎える様子を、友人が友に対して思いやる姿を、恋人が恋人に気遣う姿を。
改めて見てみると不思議で、ずっと見ていたいと思った。きっと、それは尊いもので、けれど思いより身体は先に悲鳴をあげることもある。だから、そんなことにならないように守りたい……ぼんやりと、そう思った。
✽
次の日になって、さらに次の日になっても怪我人は増え続けていた。神殿は忙しなく動き回る人々で満たされて、何とか一日を乗り越えても、また同じような、さらに過酷な明日が来る。
明日を望むことすら今では贅沢な願いに変わった。
老いた母親を置いて亡くなってしまった息子、昨日まで笑っていた戦友、一人取り残された子ども……悲劇は絶え間なく押し寄せるというのに、希望と呼べる光はどこにもない。
多くの人は神に縋り付いたが、祈りが首に噛みつこうとする牙を止めることはできない。戦士たちが鍛え上げられた肉体で魔物の防波堤となり、神官たちが傷付いた戦士たちを癒す。何度でも立ち向かうのは、戦士たちは家族、仲間、そして譲ることのできない誇りを背負っているから。
その血で魔物を隔てる血河を作り出した。
彼らは名を刻む英雄ではないけれど、その偉業に応えたい。
ここには様々な人の思いがあるから。
だから、私は守りたいと思う。
人間には叶えられない願い。
これは私の祈り。
どんな代償を支払っても、叶えなければならない。
✽
その一報が届いたのは、クレスが神殿な雑用を手伝っているときだった。必死な形相で神殿に入ってきた男はクレスを見つけると駆け寄った。
「──! どうした!?」
ところどころ破けた服に、その隙間から血が滲んでいる。その変わり果てた様子に最初は気づけなかったものの、それが傭兵団の仲間だと気づくのに時間はかからなかった。
疲労困憊だったのか、クレスに手紙を押し付けるとふらっと身体がよろめいた。それを支えて、通りがかった神官とともに開いたスペースに寝かせたあと、その手紙を開いた。
書いてあったのはたった一文、隊長の文字で〝防衛戦が崩壊した〟という言葉だけだった。
それからは怒涛のように危機が連続で押し寄せた。今まで食い止めてきた場所の内側まで魔物が現れるようになり、それまで安全だった道がいつ襲われてもおかしくない危険地帯へと変わる。
結果として、多くの村を見捨てて傭兵団の拠点である神殿のある町まで後退することになった。人が圧縮されたかのように集まり、誰もが明日に憂いを持つ。
クレスは久しぶりに隊長の姿を見た。相変わらず、その頼もしさと凛々しさは健在で安心する反面、これまでの戦いのせいで消耗しているのは明らかだった。
きっと、だから今まで見たことないような弱気な姿をみてしまった。
「……あの子を、クロリスを遠くに逃がしてやれないか」
では、隊長は何のために戦ってきたのだろう。あの優しい子のために、成長を見守りたいと考えていたはずだ。なのに、この人は逃げることはできない。
……傭兵団はいい場所だった。
本来は薄情な仕事だから、情や縁を必要以上に大事にすることはない。生死を共にする仲間であっても、いつかは刃を向け合うこともあるかもしれない。
金で生死を懸けて戦うのだから、平凡な価値観は足枷になる。
「自分で言ってあげてくれ」
「……」
隊長が命を懸ける必要はない。この姉妹は誰かのためによく尽くしてくれた。誰に何と言われようと、二人でも幸せに生きてくれるのなら、それは悪くないと思う。
「ただ、あの子がその話を聞いてくれるとは思わない」
隊長は目を瞠ってこちらを見ていた。そして目を落として、家族としての姉の視線で神殿へと向けた。
「そうか……クロリスにとって、ここが大切な場所なら……クレス、命尽きるまであの子を守ってくれるか?」
「とっくに覚悟はできてる」
背を向けて逃げることはない。
背後に守るべきものがある、騎士ではないというのに胸を張ってそんな言葉を口にできる。希望というには小さな光かもしれない。それが尊いものであると信じてる。理由はそれで十分だ。結局、隊長とクロリスが会う機会はそれから訪れなかった。
町が戦火に包まれて、目の前で多くの命が散ってゆく。あまりにも儚く、風に攫われるように。
戦いが長引くにつれて身体は傷付いていく。それでも剣を取るのは、死の沼から這い出るのは、目に映した希望を暗闇に囚わせないため。
この運命に願い通りの一筆を添えるために。
✽
隊長を背に抱えて、クレスはその命が攫われないように魔物を斬り伏せる。
二人とも身体はぼろぼろで、周囲には生きているのか怪しい人々がちらほら見える。
壁に体を預ける人、横たわったままの人、剣を地面に突き刺しているのに動かない人……
誰もが限界で、俺も目が霞んでよく見えない。
「……」
後ろから微かな声が漏れて、まだ生きていることだけが実感できる。
振り払った一撃が魔物を仕留めるが、次から次へと瞬く間に現れる。休む暇なく剣を構えて、食いしばって堪えるだけでもジリジリと追い詰められている。
倒れるわけにはいかない。
自分が特別な人間でないことは分かっている。
ただこの戦いに終わりがなかろうと、投じる理由は確かにある。背を向けず、この身を犠牲にしてでも、雑念もなく一心で、一歩も退かず、敵に刃を向ける。それこそが自身の栄誉であり、この苦難でも突き進もうとする希望なのだと。
突如、曇っていた空から黄金の光が差し込む。飛びかかってきた魔物の息の根を止め、静まり返った周囲から生気が宿り始めた。
人々がこの事態に目を瞬かせている中で、俺は隊長を抱えて神殿の最奥へと駆け出した。
多くの人々が光に目を奪われて外へと向かったようで、中身は異様なほどに静かだ。一番奥へと辿り着く最期の扉を開くと、力なく膝を折って座る少女を見つけた。
そのことにひとまず安堵したが、どうにも様子がおかしい。まるで何かを捉えて、見詰めているような状態のまま固まって動かない。
「おい、大丈夫か?」
クロリスの体を揺らすと、逸らさずにいた目がゆっくりとこちらを向く。
「あっ…えっ? うん……あれ?」
クロリスは差し伸べられた手を取るが、立ち上がることはなかった。暫く自身の足を見た後に、首を振った。
「……動けないのか?」
その質問に目を伏せて頷いた。自然と目がクロリスの足へと向かうが、異常は見られない。まるで、歩くという機能が喪失してしまったかのように、力が入っている様子もない。
頭が回らない中で、背後から小さく何度も叩かれた。
「あの子の……側に」
隊長が途切れ途切れにそう言った。俺はゆっくりとクロリスの側に横たえる。
隊長はいつもと違った弱々しい動きでクロリスの頬を撫でた。
「すまない……」
それが何に対しての謝罪かは分からなかった。クロリスを危険から遠ざけられなかったことか、動けなくなってしまったことか、それとも責任を背負わせてしまったことか……或いはその全てかもしれない。
クロリスは涙を流しながら姉に寄り添った。既に身体は衰弱しきって、どれくらい保つのか分もからない。俺はその場を後にして 、扉の前でゆっくりと体を預けた。
✽
あれからどれくらい経ったのだろう。
私は目の前にある墓を優しく撫でた後、車椅子でその場から去った。
あれから足はもう動かない。そこにあるのに、まるで神の力に手を伸ばした代償がそれであるかのように。けれど、おそらくそれだけではないのだろう。私はこれからも失い続ける。覚悟はしていた、だから最後まで歩もうと決めたのだ。
……もう、私を守ってくれた彼らは遥か遠くへと去ってしまった。私がそこに辿り着くのはもっと先になると思う。
子どもが私の車椅子を押してくれる。私が立てた孤児院の子どもで、彼らの親はあの時の戦いで犠牲になった。戦えない子どもたちと残された家族、新たな種は確かに芽吹いてはいるものの、町で生きるためには剣を取らねばならない。
この町は幸いにも魔物が直接攻められない。黄金の光の庇護の下、その光が照らす場所に魔物が入ることはできない。これが私にできる唯一のことだった。神殿の下にある霊脈から力を無理矢理引き出している。
神の力はこの霊脈から流れる霊力に由来する。本来は荒れ狂う奔流だとしても、その力を使うことができれば魔物を退ける術も広い範囲を守ることができる。
幸いにも、感情や理性に何かしらの不具合が生じることはなかった。動かないのはこの足だけ。これからどうなるのか分からないけれど。
神になったわけじゃない。人としての感情はある。
これからも、魔物を退けていかなければならない。黄金の光も、魔物が集まってしまえば弱まる。戦いはまだ終わっていない。
子どもたちの多くは兵士になる。正確には、兵士になるしかない。もしくは神官としての術を学び、戦場へと赴く。
孤児院へと辿り着けば、私を出迎えに多くの子どもが私の下へと駆け寄った。私を見詰める瞳は無邪気で、慕ってくれているのがよく分かる。
……私はこの子たちを戦場へと送らなければならない。
生きて帰れるかもしれない。けれど、時代が違えばこの子たちの未来は別のものになっていたはずだ。
そんなことを口に出すことはない。
──私は最期まで、この使命を背負う。
そんな考えを億面にも出さず、子どもたちがねだる物語を読み聞かせる。
それは英雄の物語。世界を救い、人々に平和をもたらす。子どもたちは目を輝かせて、その後に英雄ごっこだったり、英雄がどんな人なのかと想像する。
ふと、先ほど読んだ絵本に目を落とした。
それは挿絵に描かれた英雄の姿は輝かしく、強く見える。実際に、それを成す実力があるのだと思う。
けれど、英雄の苦悩や葛藤については書かれていない。幼い子供を対象にした絵本だから、当然書く必要がないから書いていないのかもしれない。
この英雄はどれほどのものを背負っているのだろう。きっと私が背負う以上のものを、私以上の願いを持っているのだろうか。
だとすれば、それはどれほど重いのだろう?
小さなため息が漏れて、光に照らされた子どもたちを見る。いくら憂いても、私には何もできない。この子たちの中で誰かが英雄になったとして、私はそれを尊重することしかできない。
今日も黄金の光が私の庭を照らし出す。




