③花冠を戴くものたち
各国の元首や有力な貴族たちが、華やかな衣装を身に纏い集まってきている。
ルディもディアトーラの正装に着替えている。
婚礼の時に着たものよりは少し簡易な正装だった。
緑の上下と白いマント。
ただ、マントはいるのかという疑問がまだルディの頭の中に残っていた。
……でも、アリサ伯母様がマントの準備をって言ってたしな。
そんな風にして一杯目のアルコールグラスに手を伸ばした。たぶん、これはシャンパングラス。しゅわしゅわしているし、細長いし……そんな風にルディは頭の中で思い浮かべる。
味は嫌いではないのだ。すぐ眠ってしまうだけで。きっと他人より弱いだけで。
それに、なんとなく落ち着く気がするし……。特に今日は、ルタがいないから余計に。頼るものがないから、余計に。
「父さま、それは一杯目なのですか?」
腰の辺りがひっぱられ、ルタそっくりな大きな目でルディを見上げる者がいた。おめかししている娘のグレーシアだ。そして、すぐ背後から「そんなもので、不安は解消されませんよ」と大人びた息子の声まで聞こえてくる。
「ルカぁ」
久し振りに会うリディアスへ留学中の息子ルカだ。そんな懐かしい彼を見つけたルディは思わず彼に抱きついていた。
☆
リオレティウスもそわそわしていた。
「殿下、落ち着いてください。あれほど頑張って練習されていたのですから、しっかりと労って差し上げるように、老婆心ながら助言させていただきます」
「ティモン、あれは用意しているな?」
「えぇ、もちろんです」
ティモンは呆れた笑みとともに頼りになる声で返事をした。ティモンは、リオレティウスが幼いころから彼を見守ってきた、家臣の中でも特別な存在である。だから、リオレティウスは彼に素直になれるとともに、その呆れた笑みの意味も手に取るようによく分かるのだ。
リオレティウスは、ティモンに反抗期のような視線だけをくれて、まっすぐ会場内の一点を眺めた。あの辺りに登場するのだ。そう、ティモンにからかわれている場合ではない。
シェリエンがこの交易のために、第二王子妃として日々練習を欠かさなかったことはもちろん知っていた。しかし――
これを着て踊るのか、と。本番同様の衣装を身に付けて練習するシェリエンを見たとき、リオレティウスは愕然とした。直視できずに、思わず片手で額を覆い、その場を立ち去ってしまったほどだ。
暖かい国の衣装だという。肌、特に腹部を大きく露出し、女性の美しさを最大限に引き出すものであると。
異国の品として、見事だと感心する代物だった。透けるように軽い薄衣は、踊り手が舞うたびに風となって靡き、瞬間瞬間色を変える。縫い付けられたビーズやコインが煌めいて、しゃらしゃらと華麗な音を立てる。
だが、その身の多くをさらけ出すような衣服を、自分の妻が着るとなると。それが大勢の目に触れるとなると。交易や異文化交流という文字は、頭から吹き飛んでしまいそうになる。
欲張りになったものだ――自嘲ともいえる念が湧いた。
政略結婚で得た妻は、偶然拾ってしまった小動物のようで。その純粋さには、自分なんかが傷をつけていい存在ではないと、長らく触れるのを躊躇っていたのだ。
それが今や……手に入ってしまうというのも考えものだと、リオレティウスは密かにため息をつく。
それから、不安もあった。人前に立つことが苦手なシェリエンが、緊張で動けなくなりでもしたら。
場の雰囲気が壊れたとしても関係ない。もし妻に奇異の目が向けられるようなことがあれば、すぐさま助けに入ろうと、彼は背筋を伸ばして身構えていた。
そんな王子の心配をよそに、会は着々と進む。
音楽が変わる。明かりが落とされる。
先ほどまで穏やかだった会場が鎮まり、別の演奏者に変わっている。見たこともない楽器すらある。原始的な太鼓の音が聞こえて、演者がひとり現れた。
ルタだ。シェリエンじゃない。そして、明かりが再び灯る……
その瞬間、「あぁ、もうっ! ルカ、だめだ。いったい、どういうこと!?」という悲鳴に似た男の声がリオレティウスの耳に飛び込んできた。
☆
ルタの心配はやはり絶えなかった。
信じていないわけではないが、信じられないのだ。
「シェリエン様、申し訳ないのですが、わたくしが最初のソロパートを演じさせていただいても構いませんか? 会場を鎮めましたらお呼びしますので」
「鎮める?」
シェリエンが繰り返した時には、すでに登場の演奏が始まり、ルタが白い花冠を一つ手に取り、颯爽と出て行った後だった。
そう、あの時シェリエンが摘んでいた花で作った花冠の一つを持って。
☆
会場の中で一人うろたえる男が、ルタの瞳にまず飛び込んできた。
ため息をつきたくなる気持ちを堪え、その深い青の衣装に相応しい挑発的な笑みを、ルタはまず彼に与えた。そう、このダンスはいかに成熟した女性を演じられるかが大切なのだ。元魔女のルタには、相当にふさわしい。きっと、アリサはそれも楽しんでいるのだろう。しかし、今の問題は彼だ。
「ルディ」
その声は遠くまっすぐ彼へと。
「……ルタ」
その声に、彼が小さく答える。まるで蛇ににらまれたようにして、じっとしていた彼が、彼女に放り投げられた花冠を無意識にキャッチしていた。一瞬、止む音楽。そして、再開した薄い獣の皮を叩く音。
手拍子が会場に出現し、ルタが視線を幕袖へと流すと、ルタの色とは対照的に明るい桃色の衣装を着た可愛らしい踊り手が、入場してきた。
先の演者が魔女だとすれば、こちらは可愛い小悪魔、といったところだろうか。
そして、魔女に促された小悪魔がソロパートを踊り抜き、ふたりの動きがシンクロし始める。音に揺れるように体を波打たせ、音を掴むように動く腹部。そして、音を割くように振り上げられる手足。
音が進むほど、妖艶だと思っていたその姿が、神々しいものに変わっていくのが分かる。そんな感覚が会場に溢れてくる。揺れるように小刻みに、激しく動かされた腰が止まると、天を押し上げ、風の中にある自由を纏うように両腕が伸ばされる。
演奏の中に飛び込み、その音を友とし、夏の夜の暑さの中をあそび走るような妖精と女神のように。
共にあらん、と差し出すように伸ばされる手。
無意識にその手を掴んでしまいそうになるが、それでいて、掴めば逃げてしまいそうな。挑発にもよく似た表情は、妖艶を超えて美しかった。
「かあさま、きれい」
「父さま。母さま、お綺麗ですね」
声もなく頷くルディ。
「お邪魔はおやめになられたのですか?」
「あぁ……」
と、一言零すリオレティウス。
彼らは同じことを思っていた。美しいものを止める必要などないと。美しいものは、美しいと認め、愛でるべきものだと。
彼女たちの動きがぴたりと重なり、そして、止まる。リズムも音楽も止まっていた。盛大な拍手が会場を埋め尽くし。
そして……。
腕をリオレティウスへと差し向けたルタが、促すようにシェリエンの傍に跪き、頭を垂れている。
静かに落とされる、シェリエンの声。
「リオ様」と。
彼女がリオレティウスへと向かってくる。いつの間にか、彼までの観衆の道が出来上がっていた。その手には白い小花の花冠が。
そして、その小さな手でそっと差し出される花冠を、リオレティウスは受け取った。
「頑張ったな」
「はい」
嬉しそうにはにかむその顔を、ただ見ていたいと。そして、それだけは、ずっと自分だけに向けていて欲しいと。
そっと、準備していた羽織を彼女の華奢な肩に掛け、さっきまでの迫力が嘘のようなか弱き肩を抱き、逃げて行かないように抱きしめた。
☆
まるで海が彼女のために開くかのようにして出来た道を、颯爽と歩いてくるルタ。そんな誇り高き魔女を、ルディが脱いだマントで出迎えた。そして、大切に包み込み、睨み上げる彼女に「ごめん」と謝る。
「まったくですわ」
頭に花冠を被った情けなくも、なぜか違和感のない男が、言い縋る。
「だって、……ルタ、綺麗だから……誰かがルタを好きになるかもしれないでしょう?」
「魔女に懸想するようなおかしな人間が、あなたの他に在ってたまりますものですか」
そして続ける。
「あなた以外の人間は、大抵わたくしを怖がっております。ですので、今生でも来生でも、わたくしの傍に在るのは、ルディだけです。勝手におかしな人間を増やそうとしないでくださいませ」
しかし、ルディがマントの上からふわり抱きしめたルタは当たり前のように彼に包まれ、ルディへもう一度視線を向けていた。
向けられているその瞳も、先ほどとは違い、柔らかくルディに注がれている。
何者でもない『ルタ』がいた。
「黙っていたことは、お詫びします」
「ううん、もういいから。とっても綺麗だった」
そして、ルディがルタの耳元で囁く。
彼女の耳元で囁いた言葉とその後に続いた返事への彼の苦笑いは、この会の主催者『アリサ』によってかき消された。
「さぁ、会を続けましょう。みなさまの繁栄とリディアスの繁栄を共に願い」
順次配られるグラスを人々が取り上げる。
「かんぱい」
海を越えた声が、同じ意味を持つ言葉が、さまざまに広がる。
そして、この夜。言葉も文化も関係なく、同じものに心酔したという記憶が皆に刻まれた特別な日となった。




