①アリサの戯れ
本日の定例茶会はリディアスで行われていた。
参加者は、エリツェリのミルタス、ディアトーラのルタ、そして、リディアス王妃のアリサだ。
ただ、この茶会は「アリサ会」と呼ばれる、王妃のごくごく個人的なお茶会なのだ。
そして、そこではアリサの思いつきが、今のリディアスの現状に絡みあわされて、歓談されるのだ。
要するに、ちょっとしたご機嫌取りにも通じるもので、ご機嫌を取られたアリサがリディアスの内情を親しいものに気付かせて遊んでいる……ような会である。
「だから、新しいダンスのステップを覚えたくて様々な方に相談していますのよ」
ルタはそれを聞きながら、アリサの様子をうかがう。最近のリディアスは海の外に手を伸ばしている。アリサのそれはその延長上にある単なる興味なのか、それとも含みがあるのかを知りたかったからだ。そして、先に口を開いたのがミルタスだった。
「あぁ、それでしたら」
と。
「主人のタミルから、お腹を震わせるダンスがあると聞いたことがあります」
おなかを震わせるダンス……。
ルタは自身の記憶から、そのダンスを一つ思い浮かべた。
あぁ、東南国の、あのダンスかしら……。
「どんなものなのかしら? ミルタスはそれを披露できるの?」
きらきら光るアリサのその瞳はまるで少女の好奇心そのものだ。しかし、その輝きに反してミルタスの表情は曇ってしまう。
「私は拝見したことがありませんので……」
ミルタスは残念そうな声でそれを伝えると、アリサの目がルタに向かって光った。
「ルタ、あなたなら知っているのではなくて?」
「えぇ、まぁ……存じてはおりますが……」
嫌な予感がした。
「まぁ! では海の外の国の方々もお呼びして、会を開きましょう。きっと楽しくなるわ」
ということは、海の外の国の方々が近々来るのだろう。そこでのもてなし要員に選ばれたということは、きっと喜ばしいこと……のはずだ。
海の外の国とつながる機会をより多く持てるのだから……。
しかし、アリサの表情もそうだが、いろいろな意味で、これは面倒なことになりそうだ、とルタは感じていた。
☆
ルタがアリサに頼まれて、舞踏会で新しいダンスの模範演技をすることになった。しかし、家長でもある夫のルディに言わなければならないとなると、ルタの気持ちはずんと重くなる。
「どんなダンスなの?」
ルディの問いにルタはミルタスの表現通り、素っ気なく答える。
「お腹を震わせるようにして踊るものです」
「ふーん」
ルディは合点がいかないようにして、宙を眺めた後、おなか?とつぶやき、わずかに首を傾げ、再度ルタに尋ねた。
「いつするの?」
「まだ、決まっておりません」
嘘だった。
☆
ルディに言えば絶対に面倒なことになる……というのがルタの心配だった。
アリサの申し入れを断る訳にはいかないが、きっと、ルディはうるさい。
「はぁ……」
ため息が出てしまった。
「かあさま、どうしましたの? ため息は、レディのたしなみとしてはずかしいものなのですよ」
「そうでしたわね」
娘のグレーシアが『レディ』についてを鼻高々に語って、ルタを見つめていた。
「そうだわ。シア、今度、母さまは、新しいダンスを披露するのです。見て思ったことを母さまに教えてくださいませんこと?」
ルタは、ほんの少しシアを使おうと思ったのだ。きっと、ルディはシアにも探りを入れるはずだから。
☆
ルディは、ルタの歯切れの悪い回答を思い出しながら、ふと「シアに訊けば分かるかも」と思った。
グレーシアはルタと共にいることが多いし、同性だし、きっと、話しやすい話題があるはずだと。そこはルディ、彼らの年齢差までは考えていない。
「ねぇ、シア……母さまが今度リディアスでダンスをするって知ってる?」
「はい! シアは何でも知っていますのですよ」
「やっぱり、流石シアだね。じゃあ、どんなダンスか知ってる? お腹を震わせるって言ってたんだけど……」
心配なのは、ルタの様子と、それがアリサがらみだということだ。アリサは、なぜかルディ夫婦を面白がるから……。
「はい。母さまはとってもかわいくて、とってもかっこよかったのです」
「かわいくて、かっこよかったの?」
「はい、ドレスがしゃらしゃらいうのです。きれいでした」
うっとりしながらそんな感想を述べた娘を見ながら、ルディは大きく首をかしげてしまった。
ドレスがシャラシャラ?
さらに分からなくなってしまった……。いったい何を着て踊るのだろう……。錫杖みたいなのを持つの?でも、ドレスって?
ルディはやはり首を傾げ、感謝の言葉を待っていそうなグレーシアに「ありがとう」と微笑んだ。
☆
そして、当日。
模範演技だから……と言って、ルディの会場までのエスコートすら断ったルタ。
いったい何が……と思いながら、ルタの言葉を思い出す。
「ご一緒してくださる方は海の外にある国ウレノス第二王子御妻女です。護衛もたくさん付くそうですし、模範として会場に参りますので、エスコートも必要ありませんわ」
微笑みながら、そんなことを言う。
確かに、模範であり、男女ペアじゃなくていいみたいだし、あちらはエスコートなどしない国なのかもしれないし。あちらにもエスコートがないのなら、ここは合わせるべきだろうし。
だったら会場入りは確かにルタひとりでも良いのかもしれないし、僕は必要ないのかもしれない。
そうは思った。
だけど、気になるのだ。
「ルディ、良いですか。これは失敗が許されないアリサの戯れです。ぜったいに騒がないように」
「騒がないよ、子どもじゃないんだし。アリサ様の『会』に政策もどきが含まれるのも知ってるし……」
「約束ですからね」
なぜか念を押されたことも、ルディには気になって仕方がない。
☆
控え室と言われた場所で、ルタは衣装を眺める。
暖かい国の衣装である。そして、ダンスは体力を使うもの。汗もかく。それを考えるとこのくらいの露出は必要なのだ、と納得している反面、寒い国育ちのルディにそれが通じるのか……とルタは悩んでいるのだ。
いや、ルディは結構異文化に寛容である。きっと、ルタがこれを身に纏うから、頑固になるはずなのだ。いつもそうだから、それは、分かっているのだけれど……その理由はよく分からない。何がそんなに引っかかるのだろうか。
と、やはり、ため息を付きたくなる。
やはり、ルタが魔女だったということを気にかけて、他と違うことに敏感に反応するのだろうか?しかし、それも少し違う気がする。そもそも、ルディは魔女に求婚した特別に変な人間だから、規格外なのだ。一般の人間に当てはめて考えられない。
ルタはそんなことを考えながら、ルタに付いてくれているリディアスの侍女に声をかけた。
「ウレノスの御妻女さまはどうされているのですか?」
「ウレノスさまは、お庭に……と言っても部屋の外にあるポーチですけれど。そこで外の空気を吸ってらっしゃるようです」
ご自由な方なのかしら……。やはりこの後、一度、ダンスのペアとして合わせて踊ってみるのですし、どのような方なのかは知っておくべきですわよね。
侍女の言葉を聞いて、ルタはそんなことを思い、言葉を続けた。
「そちらへ案内していただいてもよろしいですか?」
ルタは、一枚羽織を羽織って、彼女がいるというポーチに連れて行ってもらった。
☆
ポーチに出ると、ウレノスの妻女、シェリエンがルタと同じ薄い羽織を羽織って花壇を前にしゃがんでいた。
レディブームのグレーシアがこのふたりの様子を見たらどんな顔をするのだろう、と可笑しくなった。
無防備なそのシェリエンの華奢な背中が小動物のように見えてしまう。白い羽織とその銀白色の髪も相まって子ウサギのようだ。
そんなシェリエンはルタに気づかず花壇の小さな白色の花に手を伸ばして、摘んでいるようだった。
野花の花束がもう片方に出来上がっている。
そのままそっと眺めていたい気分にもなったが、ルタは覗き見をやめることにした。
「シェリエンさま」
振り返った薄い緑の瞳が大きく見開かれ、ルタに注がれると、そのシェリエンが慌てて立ち上がり、深々とお辞儀をした。
「申し訳ありません。まったく気づかず、失礼をいたしました」
ウレノスの言葉をたどたどと話す様子が緑の瞳と重なり、ルタに懐かしさを与えた。
そして、ルタは彼女に合わせるようにしてゆっくりとウレノスの言葉を話した。
「いいえ、こちらこそもっと早くにお声をかければ良かったのです。ただ、そのお姿がとても可愛らしく思えて失礼と存じつつも眺めてしまいました。申し訳ありませんでした」