表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

下衆でしょう

作者: 倉之助

オレンジ文庫新人短編落選小説

評価いただけると参考になります。

「俺が言っていたことを全部理解できるぐらい大きくなって、それでも同じことを思っていたなら電話しな。今度は大人扱いしてあげる」

 涙目の少女を見下ろした。

 

 1

 

「プロゲステロンのような黄体ホルモンは妊娠中や生理前に優位になります」

 レーザーポインターを駆使する教授の講義に耳を傾けながら、電子化されたレジュメにメモを取る。ゆったりとした教授の声音。1.5倍速から等速再生になった途端こんなにも退屈な講義に成るのかとあくびを噛み殺す。まだ慣れない対面授業に飽きて、なんとなくポケットに片手が伸びる。薄暗い机の下で、5.8インチの板がサイケデリックな光を放つ。緑のアイコンに指を動かす。メッセージアプリにはバイト関係者からの通知が溜まっている。自然に指が動いて定番の返事をおくる。一時間に一通くらいのペースで返信すればいいという助言に従い始めた営業も今やすっかり「型」についてきた。学費のために始めた割のいい仕事は、確かに稼げるが疲れることの方が多い。それは私生活にも侵食してくる業務だとか、人間関係だとか。

「……はぁ」

 先日の出来事を思い出し、思わずため息が溢れる。「面倒臭いが彼女らの相手をするのも営業の一環だ」と先輩は言っていた。まともに相手をすると疲れるとも。だが、適当に返しすぎるととんでもない目に会うというのも痛いほど理解した。

「これは余談ですが、プロゲステロンのゲスは『gestation』に由来します。関連付けてと覚えておくと今後役に立ちます」

 だが、俺にそんなアドバイスをくれた百戦錬磨の先輩も『トチってしまう』こともあるらしい。数日間に女に刺されて入院している。「よくあることだから慣れとけよ」と同僚は言っていた。

 仕事柄、人の恨みを買いやすいのは理解している。だが、まだ笑って流せる慣れてはいない俺は苦笑いを浮かべる事しかできない。

「例を挙げるのならばレボノゲストレル。これは緊急避妊薬です。ゲス、つまり妊娠状態が取れるから避妊薬と覚えると記憶に残りやすいでしょう?」

 ……そうだ。先輩といえばで思い出した。自分の仕事用携帯から先輩のスマホに持ち替え、業務用のパスワードを入力する。軽く見積もっても自分の五倍。先輩が入院でしばらく会えない旨と、『刺した犯人が捕まってないから病院を教えることはできない』と嘘八百を並べて送信する作業を繰り返すこと数十件、新規通知を知らせるポップアップに指が止まり、眉が上がる。差出人はユキ。先輩の客でその名前ときたら心当たりがある。少し前に死んだ客。先輩が入院することになった原因でもある。

 既読をつけたくなかったけれど、内容は確認する必要がある。既読をつけないようにアイコン長押しで内容を確認しようとしたけれど、指が滑って既読をつけてしまった。既読に気づいた相手はなかなかに自己中心的な小根の持ち主のようで、静かな講義室に着信音が鳴り響いた。教授に睨まれる前に終了ボタンで電話を切ったがすぐに二度目の着信音。終了。間髪入れずに三回目。最悪だ、こいつ。俺が出るまで鳴らし続ける気なのか。

「授業中は携帯の電源を切るように」

 わざとらしい咳払いと鋭い視線。好奇と嫌悪、迷惑そうな胡乱な目線。クラス中の視線が俺に集まっていて、思わず顔を伏せる。「すみません」と小さく謝り言われた通り電源を切る。先輩のスマホ鞄の奥に押し込んだ。グッドノートを開き、書きかけのレジュメをスクロールした。まだチラチラと俺を伺うクラスメイトが数人いる。気が抜けない。真面目に板書を取りながら、授業終了のチャイムを待ち望む。

「本日はここまで。課題提出を忘れないように」

 教授の号令とともにざわめきが広がる。「今日は災難だったな」と友人に肘で小突かれる。

「ほんとうにな」

 流石にもう大丈夫だろうと、鞄の底から取り出したスマホの電源をつけた。りんごのマークが暗い画面に灯り、パスワード入力する。ホーム画面に切り替わった瞬間。

『テン、テテ、テッテレテッテ、テレテレテン』

 騒がしかった教室からしん、と音が消えた。俺の背中が嫌な汗で濡れる。授業中に俺を悩ませた着信音。表示される故人の名前。ぞっとするなんて言葉ではたりない、形容し難い恐怖を感じた。逃げるようにスマホを握りしめて後方ドアから退室する。階段を下るのではなく逆に登り、屋上に続く階段の踊り場で通知ボタンを押した。

『やった、繋がった!』

 女の声だ。でも、通話口から聞こえる声はキンと耳をつんざくようなヒステリックな声ではない。弾むような子どもの声だ。

「お前誰だよ。バカみたいに電話かけやがって。嫌がらせのつもりか?」

『それは……ごめんなさい。反応があったから、電話しなきゃって、頭いっぱいになっちゃって……、でもこのチャンスを逃したらもうダメだと思って。それで、あの』

 はっきりしない喋り方に苛立ちが募る。なんとなく、鬼電をかけてきた相手の正体を察して深々とため息を吐く。

『あの、私、加藤莉子の妹で。いっぱい電話しちゃってごめんなさい。でも、既読がついたから。今しかないって思ったんです。メッセージだけじゃ、スルーされちゃう。だから電話じゃなきゃダメで……ごめんない』

「もういいから。本題は何」

『それは……』

 少女が俺の顔を見上げる。見慣れた上目遣いとは違う、子どもと大人の高さ。居心地が悪い。

『あの、直接会ってお話しできますか? 姉のことで聞きたいことがあるんです』

 

 2

 

 少女は佐伯美知と名乗った。加藤莉子の妹という割に苗字が違う。何気なく問うたところ『本当の妹じゃなくて、いとこのお姉ちゃんだから』と言う。だから、姉の死について叔母に聞いても『うちの事情だから』と詳しく教えてくれないと。俺は彼女に会うつもりなんて微塵もなかった。だが彼女は俺のことを諦めたりしてくれなかった。「電話した時、小さいけど校歌みたいなチャイムが聞こえて。調べたらA大学かなって」などと、俺の大学に押しかけてきたのだ。校門も前で、ダンボールで作った看板にデカデカと書かれた先輩の名前。人探しをしていると生徒に声をかけまくり、俺を探し当てた。不審者として捕まらなかったのは、彼女がまだ小学生だからだろう。将来ストーカーになりそうな行動力が恐ろしいと感じたし、子どもだからと彼女の見方をして俺を探す手伝いをしたお人よしたちに戦慄した。プライバシー保護に厳しい昨今、どうして俺のプライバシーは守られないのか。とりあえず、人目を避けて大学近くのカフェに入り、今に至る。向かい合うように座った彼女にメロンソーダを奢り、アイスコーヒーで喉を潤しながら迷惑少女の話を聞いているのはそう言う事情だった。

「私、莉子ちゃんとずっと一緒に育ってきたんです。私のこと、本当の妹みたいに思ってるって言ってた。だから、本当のことが知りたいのに」

「なんでそんなに『本当』にこだわるんだよ。事故死って言ってるんだろう」 

「だって、そんなの嘘だもん。本当は違うもん。莉子ちゃんはいじめられて自殺しちゃったんだ」

「いじめ?」

「うん、莉子ちゃん、病気しちゃったから」

 美知は拳を握りしめて吐き捨てるように言う。瞳はじとりとどこか遠くを睨みつけ、震える唇が怒りを物語っている。

「私、みたんだ。莉子ちゃんが検査キット使ってたの。莉子ちゃん感染しちゃって、おばさんたち濃厚接触者だって知られたくないから事故ってことにしたんだよ。そんなのひどい、あんまりだよ!」

「……そうか」

 加藤莉子が感染者だったと言うのは初めて知った。いつからだろうか。うちの店に来ていた時には感染していたのか? そうと知っていたら退店を促していたのに。だが、最後に見た彼女はそんな体調が悪そうには見えなかった。思い詰めていたのは確かだが。

「莉子ちゃん、大学生になってから様子がおかしかった。バイトも、行きたくないって言ってたの聞いたことある。だからそのどっちかだと思うんですけど、私は莉子ちゃんのお友達もバイト先も知らないから」

「だから鬼電したって?」

「それは、その……ごめんなさい」

 しゅん、と落ち込む少女。気まずくなって「もういいよ」と投げやりに吐いた。

「それで、バイト先だっけ? 悪いけど俺も知らないよ。彼女はバイト先の常連さん」

「え、でもLINE知ってるのに」

「常連客と仲良くなることはあるよ。あと、君がかけてきたのは俺の先輩のスマホ」

「先輩のスマホをなんで持ってるの?」

「……先輩が入院中だから預かってたの」

 心臓が痛い。動悸で体が揺れているような錯覚がある。どくどくといつもより早い鼓動が耳元に響いてやたらとうるさい。

「ねえねえ、お兄さんはなんの仕事してるの?」

「普通に喫茶店」

「そうなんだぁ。いいなぁ、莉子ちゃんの行きつけ、私も行ってみたい」

 メロンソーダに手をつけず、チビチビとバニラアイスだけを食べる美知。

「未成年はむりだよ」

「なんで?」

「お酒出るからね」

「お酒? 喫茶店なのにお酒売ってるの?」

「売ってる店もあるの」 

「ふぅん、へんなの」

「まあ、俺の職場はどうでもいいだろ」

 これ以上話すとボロが出る。「それで」と、露骨に話を変えた。

「いじめって、何か証拠あるの?」

「日記があったもん! 莉子ちゃん、お金取られてた。たくさん借金してたって。あと、脅迫状がたくさんゴミ箱にあった!」

「……」

 アイスコーヒーで喉を潤す。

「先輩に電話したのはなんで?」

「莉子ちゃんのカレシでしょ、前に聞いた」

「……ねえ、メロンソーダ、こぼれてるよ」

「あ!」

 俺の指摘に慌ててメロンソーダを啜る美知。彼女を眺めながら俺も考える。知らない情報が多い。佐伯美知は加藤莉子が先輩をカレシだと言っていたのを聞いたと言うが、これは嘘だろう。嘘ではないが、本当ではないはずだ。加藤莉子はあくまで先輩の客であり、それ以上ではない。色恋営業は一応禁止されているが……まああの先輩ならやっていてもおかしくない。彼女のバイト先も想像はつく。彼女はうちの店でそれなりに金を使っていた。最低でも週に一度来店し、キャストドリンクとチェキを複数枚オーダーしていた。借金するほど金を落としている印象はなかった。

 借金の具体的な金額は不明。子どものいうたくさんは当てにならない。この子達からしたら一万も百万もおなじ「たくさん」だ。

 そして、脅迫状だが。これは予想がつく。先輩が入院する前、うちの職場に届いた脅迫状の失敗作だろう。あれの犯人が加藤莉子だったという可能性は限りなく高い。そして、彼女自殺だが……あれは事故だろう。ビルから飛び出して車に轢かれたのを同僚が目撃している。が、彼女がコロナに感染していたという佐伯美知の証言がノイズだ。高熱にうなされながら犯行が行えるのか?

 つい先日、東京五輪を終えたばかり。国民感情として敏感になる時期というとは理解できる。だが、流行初期のような過激さがあるかというと首を傾げる。

「ねえ、美知ちゃん」

 それって本当にコロナウイルスの検査キットだったのかな?

 その一言を言えなかった。点と点が繋がって線になってしまった。俺の推測は多分正しい。そうじゃなければ、殺害未遂など起こすはずないだろう。だが、この推測を純粋な少女に告げることはできない。それはたとえるなら、初雪を踏みつけるような。百合の花をたおるような。……もしくは、瓜を破るような。そんな残忍な行為に他ならない。

「なにかわかったんですか⁉︎」

 喜色に溢れるまろやかな頬。両手の拳を胸元に押し当て、ちいさく「やった」と繰り返す唇。俺に残る良心のようなものが、首を絞めて離さない。汚してはいけない、穢してはならないと。

「教えてください、犯人は誰ですか⁉︎」

「……やぁだ、おしえない」

 零れ落ちそうなほど見開かれた瞳。瞳に水の膜が張って、ゆらゆら揺れている。パクパクと開閉する唇。きっと「なんで」と言ったのだろう。音にならなくてもわかった。

「君はまだ幼い。未熟で、知らないことばかりだろう。だからこそ、君の世界はまだ綺麗だ。いずれ知るとしても、今じゃない」

 言葉の意味を理解しない、無垢な表情。真実の一端に触れることすらできない幼さは、汚い大人にとって毒にも等しい。しかし、清純無垢なこの少女が一連の事件を理解する日がくる。それは遠くない未来だ。今じゃない。

 裏側を知っていたら、君は今日ここに居なかった。大事に育てられた証拠だ。白痴とはまた別の『うつくしさ』が彼女にはある。

 惜しいと思った。勿体無いから、教えたくなかった。君はただ、その名前のように美しいものをだけを知って、汚いものは知らずに生きていればいい。

「……大人ってみんなそうですよね。私が子どもだからって教えてくれないんだ」

「今の君じゃ理解できない世界の話だから」

「なにそれ、意味わかんない。私は莉子ちゃんにちゃんとバイバイしたいだけなのにさ。莉子ちゃんはね、美知の笑ってる顔が好きって言ってたの。でも、このままじゃ私、『なんで死んじゃったの!』って泣いちゃう。笑って見送ってあげられない。だから、知りたいのに、みんなして難しい言葉を使えば私を管を巻けると思ってるんでしょう!」

「クダじゃなくて煙の間違いだろうけど、大体正解だ」

「うるさい!」

 ひどい、せこいと喚く少女を嗜め、微笑む。ひどい大人になってしまった。俺だって、ほんの数年前まで彼女と同じ子どもだったはずなのに。

「大人になるっていつ? 何すれば大人になったってわかるのよ。私だって大人だもん、電車ちゃんと乗れるし、お買い物だってできる」

「それで大人になったって思っているから、君はまだ子どもなんだよ。でも、まあそうだな。きみが管に巻くの使い方をちゃんと理解した頃に、教えてあげようかな」

「使い方? 意味じゃなくて?」

 頷くと、美知は不服そうにしながらも「わかった」と言った。きっと彼女は、家に帰って辞書を引く。そして俺の言葉の意味に気づいて怒る。そして、ちゃんと俺の言葉通り、成人してから会いにくる。そんな未来が簡単に予想できた。

「俺が言っていたことを全部理解できるぐらい大きくなって、それでも同じことを思っていたなら電話しな。今度は大人扱いしてあげる」

 その時までに、俺も殺される覚悟を決めておく。問題ごとを先回しにして、解決したつもりになっている。わかっているさ、そんなこと。だがこう言う狡さを持つことが、大人になると言うことだろう。朧気に聞いていた教授の講義が、頭の中で反響している。

 ああ、先輩。大人って最低ですね。子どもの頃は当たり前に持っていた倫理感すら投げ捨てて、どうしようもない人間になってしまった。俺ってやつは。ほんとう、ほんとうに。

gestation


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ