1.もし過去に戻れるなら、僕は断固として拒絶する
「――はあ!?」
ズドドン、と雷にうたれてしまったような、たしかな衝撃が僕の頭に迸る。
「ぼ、ぼぼぼ僕が、が、学院に!?」
まるで意味が分からない。どうしてこうなったのか、どうしてそうなったのか、説明もなにもできる気がしない。ガクガクと肩を揺らされるような、いやむしろ身体全体を大きく揺さぶられるみたいな、迸る衝撃で、舌もうまく回っていなかった。
「……そうだ」
僕がこの、訳も分からぬ内に連れてこられた、人生で訪れたのがもう、何十回目になるかも分からぬ“いつもの部屋”で取り乱していると、ずっしり。ひと言だけ添えて、目の前の、炎よりも赤く力強い髪色の人は、その筋骨隆々とした巨体に見合わぬ繊細な動作で、すっ、とソファに座り直した。
ああ、まったく豪快な人であるのに、こういうところだけ“らしく”振る舞って、しかも様になっている。
「……なにも、お前一人だけで行かせるとは言ってない。娘もちょうど、お前と同じくらいの年齢なのは知っているだろう?だから、ついでに娘にも行かせる予定だ」
そう言って、ごく自然にテーブルの上にある白いティーカップを持ち上げると、音もなく中身を何口か。
「……いや、いやいやいや!ガルド先輩のいう“娘”って、ぜっっったいに“ルーダさん”のことですよね!?あの人僕なんかより一足も二足も早く学院いって、なんなら今年で卒業予定じゃないですか!!」
もはや考えるだけで、僕は自信を失ってしまいそうである。べつに、初めて会ったときから【リズディア帝国第一皇女】と【腕の立つ魔導師】の関係で、社会的立場にはだいぶ差があったというのに――あろうことかここ数年、ルーダさんはなにかに刺激されてとても気合いが入っているようであった。
「まあ、まあ落ち着けリア。俺が言ってるのはルーダの事じゃない」
ガルド先輩はさも余裕ありげに、すこしだけ含み笑いとすら感じられる爽やかな表情を見せると、「一つ下の方だ」、とその笑みをさらに深め、なんだかイヤな感じの、悪巧みをしていそうな顔になってしまった。
「一つ下って……」
僕が聞くと、
「お前は聞いたことがないかもしれんがな」
今度は、ニヤリ。
有り難いことに、今日この日だけで、人間の表情には多種多様なバリエーションがあることを知れそうである。
「……じゃあ、仮に、ですよ?ガルド先輩に、二人目の隠し子みたいな娘さん、もとい第二皇女殿下が存在するとして――」
俺が噓を吐くような男に見えるか?
「――べつに、どちらでもいいですけど」
言って、
「とにかく!仮にその人が僕と同じように学院入学となったとしましょう」
いいですか先輩?
「そもそも僕は、学院に行きたくないんですよ。だって、これでも一応、僕って【六賢者】ですし」
学院に行って、それもかの有名な【バドレー魔法学院】と、魔法だけを専門にした所じゃないですか!
「なにも学ぶものなんてないですし、あんまりこういうこと言いたくないですけど、あの学院には全く魅力がないんですッ!」
と。
気付けば、身体がすこし火照っているような、自然と前のめりになってしまうような、不思議な高揚感のなかに僕は佇んでいる。
――コホンッ。
なんだか気まずくなって、場の空気を変えるために少々わざとらしく咳ばらいをしたあと、つとガルド先輩の顔色を窺ってみれば、なんだか笑っているのか驚いているのか非常に曖昧な表情をしていた。
「……なんか言ってくださいよ」
その顔に、いたたまれない感覚を覚えた僕は、さっきのガルド先輩を真似するようにソファへ座り直し、背の低いなんとも洒落たテーブルの上から、これもまた洒落気のある白に、金色の横線がピシッと入った、まさに貴族様式のティーカップを持ち上げ、一気にスススと飲み干す。
そして、ティーカップを顔から遠ざけた瞬間。
自然に映る綺麗な天井、主張しすぎることのない謙虚なシャンデリア、視界の端に見える皇城からの絶景。
帝都【バドレー】の、お昼時。
いつ来ても“皇帝”の執務室はだだっ広く、なのに寂しさやなにやら感じられないのは、すべて計算され尽くした末の設計によるものなのだろう。
とくに、部屋の隅にある大きい調度品置きか、もしくは、戸棚のようにも見えるソレが、この空間の寂しさのほぼ全てを埋めていると云ってもいい。
そこには、大小様々な帝国のブランド物であったりとか、明らかに異国のものであることを覗わせる、片刃の剣であったりとか笛のようなものであったりとか、きっと寄贈されたものが中心に、並べられている。
ほかにも貴重な魔物の皮か鱗か、ガラスの向こう側にあるはずなのに、見ただけでおぞましいとさえ思える禍々しい色の素材などもあるが、アレに関して聞いてみても誰一人として口を開こうとしないのが皇城なので、考えるだけ無駄というもの。
数ヶ月に一回訪れれば、必ずなにかが増えているのだ。まったく、摩訶不思議な“物置”である。
「――いやなに、リアにしては随分と熱が入っていたからな」
そうして、ガルド先輩がやっと重い口を開いて、僕のことを、「まるで長年隠居してた賢者が、人里溢れる帝都に呼ばれて怒っている時みたいな……」、と形容してきたのは、あれからすこし経ち、えも言えぬ涼しさを覚え始めたときであった。
続いて、
「とにかく、けっこう面白かったぞ?実は“帝都住まいの【大賢者】である”という裏話も添えて、な」
ガルド先輩は本当に意地悪な人だ。
ひと際深くニヤリ、笑った先輩の顔を恨めしく思い、睨みながら、「それで……先輩のいう娘さん――第二皇女殿下は、いったいどういう人なんですか」、と僕が不機嫌そうに聞いてみる。
するとガルド先輩の顔が、今度はさも意外である、と言わんばかりに大きく開かれて、なんだかすっとんきょうなものに早変わり。
僕はもう、というか結構むかしからだけれど、ほんとうに、ガルド先輩のことが時々分からなくなってしまう。
表情が豊かすぎるのだ。
「……あの、僕いまそんなに変なこと聞いてないと思うんですけど」
漠然とした不安に駆られ、恐る恐るのように慎重に慎重を期して伺うと、ガルド先輩は、ハッとした様子で、
「あ、あぁ……まさかリアが、学院の入学に関してあれこれ引きずらずに、ここまで素直に話が進むとは思わなくてだな……」
と、なかなかに失礼なことを仰った。
それではまるで、僕がいつもいつも皇帝陛下の勅命を無視しようとしたり反旗を翻そうとしている、謀反者とか非国民とかひどい人間みたいである。
「いやだって、それはガルド先輩が毎回毎回、僕に大した拒否権もなく無理難題を押しつけるからじゃないですか。むしろ、見方によっては“良い”状態である、というふうにも見えるんですし」
「まあ、それは確かに、なんだが」
「ほら!」
「……水を得た魚か」
ガルド先輩は筋骨隆々だけれど、こういうときに勢いで言いくるめようとしたら、大概こうやって受け流されてしまう。
熱血なように見えて、とても知性的な皇帝陛下なのだ。
「……とにかく、お前の気になっている娘のことについては、こっちで書類を用意してある。あとで暇なときにでも見てくれ」
はあ、と深いため息をいまにでも吐きそうな、言い得て、少々気怠げに聞こえる声を使った先輩だが、言うとソファの上からいくつかある紙の何枚かを掴み取り、「ほら」、という短いかけ声と共にテーブルの上へと置いた。
僕の目の前に位置する場所へ、それら書類が寸分の違いもなく置かれているのは、一見するとガルド先輩が繊細な指先で成し遂げた奇跡のようにも見えるが――僕には分かる。
本当に、さりげなくだけれど、一瞬だけ魔力を使い“流れ”を生み出していた。
もし、色を見るならそれは“緑”で、つまり《風》を意味する。
「……ありがとうございます。気が利きますね」
僕が言えば、ガルド先輩、
「……まったく、リアには敵わんな」
と、この日で一番、僕が心地よいと感じられる笑顔。
「ははは……」
適当に愛想笑いでもしながら、揃えられた書類を一掴みしてさっと目を通してみる。
名前、性別、年齢、これまでの大雑把な経歴、得意とする魔法から苦手とする魔法まで、じつに簡単な情報しか載っていないものの、いままで聞いたことすらないような【第二皇女殿下】の情報とくれば、一転。
すべてが、そこらに転がっている綺麗な宝石よりも、なんなら、世界有数の大国、その国家予算並みに高い値を付けられる“古”の【魔法具】さえ凌ぐ、たいへん貴重な情報に思えてくるのだ。
まあそれも、すべてはリズディア帝国の名声あってのことで、ほかの国の隠された第二皇女殿下であれば、同じ貴重な情報であっても重要さが違う。
「……持ち帰ってもいいんですか?」
気になって聞いてみれば、
「ああ、もちろん構わないぞ」
と呑気に返事する皇帝。
「……じゃあ、まあ、頂きますけど」
そう言って、手持ちの【鞄型魔法具】に書類を放り、ふと、なんだかこの瞬間に多大なる責任だのなんだのを押し付けられた気がして、僕は眩暈のようなものを感じた。
ほんとうにこれは僕が受け取ってよかったものなのだろうか?
いくら自分の娘の情報だからって、この人は、大国の皇女がどれだけ“貴重”な存在なのかを理解できているのだろうか?
僕より長い年月を生きている人だから、こう思うのも本当は失礼で愚劣極まりないことだと分かっているけれど、されど、なんだか無性にこの状況が怖くなってしまう。
――なんて。




