1‐9 犬も死体もありえない
「おい吾妻屋! どこにいるんだ?」
「こっちにいるよ」
人が急いで駆けつけてやったというのに吾妻屋はというと二つの死体のすぐ横で顔を埋めて座り込んでいた。
いや、正しくいえば一つの死体だった。吾妻屋が送ってきたLINEの写真に写っていた白骨死体は俺がさっき写真で確認したようなふうに地上に顔を出してはいなかった。代わりに弱々しく手を振る吾妻屋の両手の爪には泥が詰まっていた。よく見ると手以外にも膝の辺りも泥だらけだった。ここに来るまでの時間で吾妻屋がどうにかして埋めたのは間違いないだろう。
「どうしてこうなったか説明出来るか?」
しゃがみ込む吾妻屋の隣で三回深呼吸をして呼吸を整える。片膝を付き、泥で汚れた手を取った。その手は案外暖かかった。その割には、吾妻屋の周りの空気に溶けている精神的疲労の重さは彼の気持ちを深く沈み込ませていた。垂れた前髪から覗く表情からは今何を考えているのかまるで検討もつかない。今にも発狂してしまいそうな顔でもあるし、反対に依頼は解決したと上ずった声で話し始めそうにも思えた。
どの可能性をとっても彼が衰弱して完全に正気を失っているようには見えないのは確かだ。
「どうにもこうには僕は来たときにはこの状況だったよ。断じて僕が殺して君を嵌めようなんてこと考えちゃいないし、それで……」
吾妻屋はゆっくりとはっきりと恨みがましそうに語る。語るにしては短いような言葉を並べて、俺は戸惑いながらも安堵していた。
「いや、いいよ。偶然だったんなら。それなら俺達はもう少し埋めてから何も知らないふりをして迷子を装ってここから出るだけでいい。なあ。そうだろ?」
「ああ、それでいいと思う。だけど、クッキーちゃんのことはどう説明する? 死体になってましたなんて報告は子どもには酷だろ」
子どものことなんて考えている状況ではないのに。お前が心配しなくちゃいけないのはその自分の格好だろう。どこまでも依頼者のことを考えている。
「見つからなかったって言えばいいだけの話だ」
俺は吾妻屋の右腕を掴んで立ち上がらせた。それから吾妻屋のジーンズに付いた砂を払ってやった。尻から膝まで念入りに叩いて落とした、地面が湿っていたせいで長い時間座っていた尻の部分は丸く滲みが残っていた。ここまでおせっかいを焼いてやる義理ははっきりいってないのだけど、俺が気にしなければ吾妻屋はこのままの格好であの公園まで行くだろう。爪に埋まった泥を落とさせ、お互いに不自然なところがないか確認し合った。主に泥が付いていないかの確認だったが、念入りにチェックする俺に吾妻屋は終始早くしてくれと言わんばかりの態度で半ばキレ気味にもういいと言って、俺達はその場を後にした。
帰る道中俺達はこの状況を再び整理することにした。といっても第一発見者である吾妻屋が僕にも分からないというので大したことをしたわけじゃないけど一応聞けるものは聞いておかなくちゃいけない。俺にも共有されるべきだろう。
俺は吾妻屋になぜこんなところに来たのかを聞いた。
「どうもこうもしないよ。昨日僕は人に出来るだけ聞いて探したんだから、それでも見つかってないならもうこんなところしかないと思っただけだ。僕は何もしてない」
どんな話を振っても最後には「僕はなにもやってません」を主張する吾妻屋。
「そんなことは分かってるよ。ただ、分かっててなんで俺をここに呼んだのか聞いてるんだけど……。俺はお前が変なLINE送ってきたからわざわざ来てやったんだ。その説明は無しか?」
「変なってなにさ」
「貸しを返すとかなんだとか」
むしろ俺としては一番それを説明してほしいものだけど。というかそのための俺はあんなところまで駆けつけてやったんだけど。その説明義務をお前は果たすべきなんじゃないのか?
「この僕に君は貸したものを忘れたんだ」
吾妻屋の目はありえないと言っていた。貸し屋としては貸した恩を忘れることは商売魂に反するのだろう。俺としてはそんな細かいことは人生に入る隙間すらないのだから吾妻屋になんと言われようと忘れたからお前もさっさと忘れろとしかいいようがない。
「お前と違って、俺は他人に貸したものはいちいち覚えちゃいない」
「そう。ならいいんだ。君は他人に貸した恩も忘れる気の良い奴だってことはこの僕が身にしみて知っているからね」
そうして吾妻屋は続けた。
「でもさ、君は本当は忘れていないし、だから僕のためにあんなに泥まみれになって駆けつけてくれたんだよね?」
意地の悪いことを言うもんだ。本当のところ吾妻屋が言ってほしいセリフなんて一つしかないと、分かっていてお前は俺に言わせたいんだ。
その子どもの癇癪のような意地の悪い問答をするためのここまでの全てが茶番だったとしても不思議ではない。
「吾妻屋、お前は俺に一体なにを返したいんだ?」
「人生」
そんな今時高校の文化祭の劇でもやらないような歯の浮くようなセリフも吾妻屋が言うと真剣味を帯びていて、だからこそ、俺はあらためて俺が吾妻屋粳という男が嫌いな理由を思い出したのだった。