1-5 犬も死体もありえない
最寄り駅の羊歯駅に到着する。羊歯駅は他の路線での乗り換えで使われることが多いためか改札を通る人はまばらで、南口の改札を出ると、人はいなくなる。吾妻屋と横並びになってもまだ広い通りには、一軒家が立ち並んでいて小学生が道路に座り込んでスイッチをしていた。
吾妻屋はその小学生が対戦ゲームで一喜一憂しているのを遠目から指を咥えて羨ましそうに見つめていた。漏れているゲームの音と会話の内容から察するに小学生たちがやっているゲームはスマブラだろう。四人それぞれがカラフルなコントローラーをがちゃがちゃさせながら、白熱した試合をしている。何十メートル先にいても聞こえてくる暴言、必殺技の名前、キャラクター名はまるでスポーツ観戦をしているようだ。詳しい内容は分からなくても、本人たちの盛り上がりで聞いているこっちも画面がどうなっているのか気になってきた。
「ああいうのいいよなあ。最高に今しか出来ないことをしてるって感じ」
「つまり、青春ってこと」と加えると自嘲気味に笑った。
「俺も羨ましいよ」
施設では誕生日とクリスマスの日に欲しいものが貰えたことを思い出す。俺は無難に服とか靴とかを貰っていたが、ゲームを買ってもらっていた子もなかにはいた。ゲームの対戦相手には事欠かなかった時代だ。俺以外には友達のいなかった吾妻屋と違って。
最後の言葉だけを吾妻屋はきょとんとした表情で、羨ましい?と繰り返した。それから、こう続けた。
「桐子ってゲームそこそこやってたイメージあるけど」
「ゲームはな。施設共有のゲーム機でやってたよ。あと友達の家。でも、自分専用のゲーム機は一度も持ったことない。羨ましいよな。好きなゲーム買ってもらえるって。俺は個人所有は壊されたり最悪盗られるからなあ。最近の悪ガキは困ったことに転売を覚えている」
そういうと、吾妻屋は納得したようで大きく頷いて、確かになあ。とまるで身に覚えがあるかのように何度も転売かあと復唱した。
「転売屋を殺す貸し仕事をしたことがあってさあ」
吾妻屋はふっと思い出したらしくなんとも物騒なことをいい出した。
「埋めたのか?」
「いや、破産させた」
なるほど。その依頼者はよほど転売者に鉄槌を下したかったらしい。吾妻屋の口から語られるその破産への道は転売者の悪行を更に煮詰めたものだったが、それだけやっても世に跋扈する転売者がようやく一人死んだだけでいかに転売者と戦うことが効率が悪いことか。
「それで最近僕はその依頼者にゲーム機とソフトを貰ったんだよね」
ああ、なるほど。なんとなく吾妻屋がこの話をなんでこんな昼間の通学路にそぐわないことをいい出したのか分かったような気がする。
「それで?」
「協力プレイ専用ゲームでさあ。桐子ゲーム好きじゃん一緒にプレイしようよ」
「今度な」
その今度がいつになるだろうなと積み重なったレポートの締め切りから逆算して考えてみた。しかし、どう考えてもこれから一週間はゲームに長時間付き合うほどの時間は取れないし、吾妻屋を家に呼ぶつもりもない。
たった一言の言質で腕にすがりつくほど歓喜している人間を先の見えない約束で長期間
縛りつけるのは少々心苦しいものがあった。
まあ、いつかはやると約束する。
「まあ、うん本当に今度」
と俺は自分に言い聞かせるようにもう一度復唱した。
築四十年の二階建てマンション、羊歯ハウスの前に吾妻屋の愛車が駐められているのを見て俺は顔を手で覆った。
真っ赤なトヨタのSUVは駐車禁止と書かれているゴミ置き場の前に駐められており、この間そのことで吾妻屋はこっぴどく叱られたばかりだった。
というか、そもそもこの元々駐車禁止の看板も、吾妻屋による度重なる無断駐車のせいで後付でここ最近付けられたものなのだ。
ぴったり横付けされていてゴミ出しが出来ないと苦情が入ったらしい。
「お前さあ、この前泣くほど怒られたじゃん。反省してる?」
「いや、ここしか停めるとかないじゃんか」
「反省、してないんだな」
「反省はしてます。でも、駐めるとこないししょうがないよね」
吾妻屋は一切悪びれた様子なく笑った。
こいつのこういうところがずるくて、でも世渡り上手いよなと思う。俺だったら、一度泣くほど大人に怒られたら二度と同じことしようとは思わない。というか、普通泣くほど注意されることもしたくないが。
「ま、じゃあ俺、荷物置いてくるから」
トートバッグを肩から外して、鍵を取り出す。
「お邪魔するよ」と、吾妻屋は俺の後を靴の先の隙間なくピッタリ着いてくる。
俺は向き直って両肩を掴んだ。そしてシャツに線が着くほどぎゅっと握りしめて、吾妻屋の両目をまっすぐ見つめながら強く音節を区切りながら言った。
「いいか、絶対に、着いてこなくて、いい!」
「え、まさかここまで来て僕だけ車で待ってろって? 桐子のこと迎えていってやったのに?」
「上がったら小一時間はダラダラするし、車をどっかに寄せてろ。邪魔だから。あと迎えに来てくれるならせめて車で来てくれ頼むから」
そうまくしたて最後に肩を二回叩いた。
吾妻屋は小さく舌打ちをして、数回瞬きした。それから拗ねた子どもみたいに頬を膨らませた。
そんなことやっても許されるのは子どもか惚れている女だけだろうに。
運転席の前まで引きずって連れて行くと、吾妻屋が乗り込んで車にエンジンを掛けるまでしっかりと見届けた。
背後でなにかが動く気配して振り返ると、吾妻屋が運転席の中から真顔で中指を立てていた。俺は追い払うジェスチャーを返すと今度は両手で中指を立てた。