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1‐7 天文学的な

 俺達三人は新奈津(なつ)駅にやって来ていた。もちろん理由は大川が金を無事に返すためである。一度銭湯に寄って泥だらけになった体を洗い流し、事前に用意していた吾妻屋の私服に着替えた俺達は一秒でも目を瞑ればそのまま入眠してしまいそうな疲労の中まだかろうじて意識を保っていた。

 今大川は一人でボストンバッグを抱えて立っている。その様子を空調も飲み物もある車内で吾妻屋のしょうもない小話を聞きながら監視していた。

 だらけきった空気が空調の中に吸い込まれていく。低いエンジン音とシートから伝わる僅かな振動のせいで気を抜くと意識が落ちそうになる。

 俺は解けた緊張を再び取り戻すために、缶コーヒーを半缶ぐいっと飲んだ。空きっ腹にぶち込まれたカフェインは胃を容赦なく攻撃する。そのピリピリとする胃痛すらも眠気を吹き飛ばすための道具として利用しなきゃいけないくらい、俺は強い眠気に襲われているのだ。

 そんな葛藤もいざ知らず、運転席に座る吾妻屋を見れば、眠気なんて元から備わっていないというような涼しい顔をして血糖値の塊である板チョコを食らっていた。丁寧に剥がされ丸められた銀紙が太ももの隙間に挟まっていた。

 この申し訳ないほどのだらけきった空気が大川に一ミリも伝わっていないことを願う。

もう少しで終わるんだから、大川には大きな失望も危険もなく、終わってほしいものだ。だが、危ない大人の大切な薬を不注意により洗濯してしまった大川がその弁償として代金五十万をそっくり返すことになったという依頼は完全に達成されるにしても、返すその瞬間まで大川は一ミリ足りとも油断することが出来ない。


新奈津駅に無事に着き、待ち合わせの時間にも間に合ったことを安堵したのもつかの間。今から、命よりも大事な大金を抱えて車を降りようとする大川に吾妻屋は追い打ちを掛けた。

 「天文学的な奇跡みたいな確率でひったくりにあうとかしないといいね」

「え……」

「足元にはようく気をつけるんだよ。転んでカバンから手を離した瞬間にもうないなんてことあっちゃいけないからね」

 冗談としては受け流せない悪意が底に沈殿している。吾妻屋にとってはありうる可能性の話をしただけなのだろうが、大川にしてみればそれは可能性ではなく絶望だ。

 大川はボストンバッグの形が中の形が分かるほど胸に抱き寄せる。その姿はまるで我が子を悪魔から取られないようにする父のようだ。

 「そうなったときのために見張っててくれるんですよね」

「それはもちろん、全幅の信頼を置いて任せくれよ」

「はあ、ありがとうございます」

 大川は流れで小さく会釈をした。これ以上どう反応していいのか分からないらしく困惑を浮かべて吾妻屋が次にまだ言葉を紡ぐのかどうかをじっと伺っていた。

「馬鹿は引っ叩いておくから」

 吾妻屋の横腹をつまむ。肋の浮いている腹は掴むものもなにもなく、吾妻屋はそれでも大げさに叫んでみせた。

「すみませんでした。もうしない。ごめんってば」

 とんだ茶番劇に大川は頬の筋肉が引きつり痙攣しただけの笑みをなんとか浮かべると、ボストンバッグを更に強く胸元に抱え込んで車から降りた。


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