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#5 黄昏時の自転車に乗って

「こんな時間から、どちらにお出かけなのですか?」

 ご勝手からつながる裏門を出ると、私の自転車のハンドルに手をかけた紘次郎が柔和(にゅうわ)な笑みを浮かべていました。



 私は青ざめて言いました。

「お願いよ、紘次郎。どうか見逃して下さらない?」



 学校から寄り道することは原則、校則で禁じられていたので、私は(かばん)を置きにいったん家へともどりました。

 それから誰にも見つからないように、裏門から自転車でおねえさまのお家に向かう段取りをしていたのです。


 それが紘次郎にはすべてお見通しだったようです。

 

 ()()()の着物のなかに丸首のスタンドカラーのシャツを着こみ、紺色の(はかま)をはいた優男(やさおとこ)の紘次郎は、遠縁(とおえん)の親せきであり書生(しょせい)で私の家庭教師です。

 兄弟のいない私にとって、幼い頃より公爵家で寝起きを共にしていた紘次郎は頼れる兄貴分でもあります。


 でも、うららおねえさまとの文通のことだけは、彼には内緒にしています。

 【特別なシスタア】のことは女同士にしか理解できない美意識であり、崇高な領域なのだと私は思うからです。


 【心中騒動】の日も心配こそすれ、深く事情を聞いてこなかったのは私の気持ちを()んでくれたのでしょう。

 紘次郎は、そんな大人の配慮ができる稀有(けう)な方なのでした。


 

「お出かけをなさるなら、西洋数学の課題をしてからにしましょうか。」



 無情に私の首根っこを捕まえて家に帰そうとする紘次郎。

 いつもなら、言われるがまま素直にしたがうのですが、今日の私は紘次郎の手をはらって食いさがりました。



「課題は帰宅してからにします。

 今日はどうしても、錦町に行かなければならないのです!」



 紘次郎が「おや」と顔色を変えて私に払われた手をさすりました。



「声も()も張るなんて、みつきさまらしくないですね。

 よほどの大事な急用ということでしょうか。」



 そう言うと、紘次郎はサッと袴をさばきながら私の自転車にまたがりました。

「お送りいたします。自転車のうしろに乗ってください。」



 私はタンカを切った手前、あとには引けなくなりました。



「紘次郎には関係のない用事です。

 私一人で行けますわ。」



「目的地は錦町ですよね?

 みつきさまがこぐ速度では、往復しただけで日が暮れると思います。

 課題のために、私の後ろに乗ってくださいませんか?」



 口で紘次郎に勝てたことはありません。

 私はしぶしぶ自転車のリアシートに横座(よこずわ)りし、紘次郎の肩に両手をかけました。



 ※



 自転車はオレンジの夕陽めがけてゆっくりと走り出しました。


 途中、下り坂で思ったよりもスピードが出て、私は前のめりに体勢を崩しそうになりヒヤッとしました。

 肩をつかんだ両手は、(いや)(おう)でも力が入ります。



「怖ければ、腰に手をお回しください。」

 紘次郎が振りかえって言いました。


 私は言われたとおりに肩から腰につかまると、そのたくましいしっかりとした腰回りに驚きました。カチコチに固い筋肉で覆われた腰は、まるで太い丸太ようです。

 私が知る女子の腰とは、まったく比較(ひかく)になりません。


 ついこの間も、いつの間にか背丈(せたけ)が抜かされていて驚いたばかりだったのに、私は紘次郎が男らしく成長していることを意識せざるをえませんでした。

 それは男性が苦手な私にとっては、今後、苦悩の種になることでしょう。


 でも・・・。


 私は必死に紘次郎の腰に(つか)まりながら、妙な気持ちでいました。

 手から伝わる温かい体温に、私はとても(いや)されているのです。


 ずっと、ぴったりとくっついていたい・・・。

 こっそりと、その広い背中に頬をつけてみました。


 頬からも温かい体温とともに脈打(みゃくう)つ確かな鼓動が聞こえてきて、私は安心感に包まれたのです。

 何でしょう、この気持ちは。


 今まで感じたことのない気持ちになまえがつけられず、私はふわふわしたまま黄昏時(たそがれどき)の街並みを背に、自転車のリアシートに揺られていました。

 


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