#32 開花
「心中・・・⁉」
私のこころは白波が打ちよせる断崖のきわに再び立ったようにうち震えました。
今でも、あの時の意地悪く嗤う【うらら】の顔と、灰色の空に舞い散る白い手紙が脳裏に焼き付いています。
「どうして、そんなこと・・・。」
私を試しているの?
それとも、本気でおっしゃっている?
おのずと後ずさり、狭い個室の壁に背中をうちつけた私を見て、麗さまがフッと表情を崩しました。
「ゴメン。ボクに命を預けるなんて、嫌だよね。」
私は一瞬、返答を迷いました。
憂いのある悲しげな麗さまを見ると、胸が切なく締めつけられます。
でも私はもう、ふわふわとその場にながされるだけの世間知らずの令嬢ではありません。
私はいちど丹田に力をこめて、麗さまをまっすぐに見つめて本音を吐き出したのです。
「【うららおねえさま】との心中は、もう懲り懲りですわ!」
「え? 」
私は驚く麗さまのお顔を両手で固定すると、紅を塗られたその唇に軽く口づけをしました。
「・・・!」
不意をつかれた麗さまの紅く呆けた顔が可笑しくて、私は思わず声に出して笑いました。
麗さまといるとはしたないことばかりしてしまう自分は、特別な生き物になったようです。
「おねえさまではなく、麗さまとなら地獄にまでもお伴させていただきます。
だって、みつきの夢は麗さまのお嫁さんになることですからね。
今すぐ心中して、天国で祝言を挙げましょう!」
「キミはボクの知ってる気弱な令嬢のみつきじゃないみたいだ・・・もしかしたら別人なのかな?」
麗さまが目を細めて笑いながら、嬉しそうに言う冗談が愛おしい。
私は白いドレスの裾を翻して麗さまの首に腕をからめると、薄紫のオッドアイを熱く見つめました。
「今すぐに証明してみせますわ。」
私は麗さまの黒真珠のネックレスをずらして白い首筋に強く歯を立てました。
汗に混じった麗さまの息遣いと薔薇の匂いが、私の神経を狂わせます。
「フッ・・・。みつき、くすぐったい。」
私の腰をギュッとつかんだ麗さまが、顔をのけぞらせて小さく痙攣しました。
「まだです・・・もう少し我慢して。
噛み続けないと、証明ができませんでしょう。」
「それは【エス】の証明。ボクはこっちのほうがいいな。」
湿り気のある麗さまの声が耳で響き、見上げた私の唇に麗さまの唇が合わさりました。
自然と目を閉じ、お互いの唇の感触を味わいます。
離そうとすると下唇を噛まれて引っ張られ、再び深く交わす唇。
それはひとつに溶けあうとするように、長く、甘く・・・。
※
麗さまと化粧室を出ると、すぐに黒いスーツ姿の八重子の姿を認めました。
「八重子! どうしてここに?」
嬉しさを隠しきれずに駆け寄ると、八重子は複雑な顔をして私を迎えました。
「もちろん、お二人をここから逃がすためですわ。
お坊ちゃま、予定より時間がありませんよ。急いでください。」
八重子はいつからここで待機していたのでしょう?
急に恥ずかしくなって、私は耳まで真っ赤になってしまいました。
「行こう。」
麗さまがそんな私の手を引いて、小走りに細い廊下を移動する八重子のあとに続きました。
すれ違う人はほとんどがホテルの従業員ばかりで、私たち三人を気にとめる人は誰もいません。
廊下の【従業員専用】の扉を抜けて灯りのない通路を通り【非常階段】の扉を開けると、幅の狭い階段にたどり着きました。
慣れた様子で上りの階段を駆けあがる八重子を見て、私はギョッとしました。
「ど、どこに行かれるのですか? 出口は一階ですよ。
まさか屋上から飛び降りたりはしないですよね?」
私を振り返った麗さまが、ほつれて目にかかる髪を払いながらニヤリと笑いました。
「心中して、天国で祝言をあげるって言ったよね。」
「ほ、本気なのですか?」
「半分はね。」
その時、非常階段を先に昇りきった八重子が内錠を開けて重そうな扉を肩で押しました。
開かれた扉から外の生ぬるい風が吹きこみました。
その向こうに見えたのは・・・。
「これって・・・‼」




