#32 嵐の婚約式
二百人ほどが収容できる帝国ホテルの広い会場には、大きなステンドグラスが美しい色彩の光を落としています。
ズラリと並んだ礼装の招待客が赤い絨毯の上で私と紘次郎の登場にワッと歓声をあげました。
「紘次郎、私こわいわ。」
フリルがたっぷりとついた白のドレスに白いハイヒール、髪にはコテでウェーブをあてた私は隣にいる紘次郎を見上げました。
「私の手を握ってくださる?」
私はダイヤの指輪が光る左手を差しだしました。
紘次郎は一瞬驚いたようでしたが、いつもの甘い微笑みを浮かべるとうやうやしく手の甲に口づけして、その手をしっかりと握りました。
「ええ、喜んで!」
上等な燕尾服にピカピカに磨かれた革靴、綺麗になでつけられたオールバックの紘次郎は、オドオドしている私を颯爽とエスコートします。
私の従順な態度を【降参】と受け止めたのか、紘次郎は終始機嫌よく私の手を引いて会場中を連れ回しました。
「ようやく私のみつきさまに戻って下さったのですね。」
ひと通り招待客に挨拶を終えると、紘次郎がひな壇の下で握った手のもう片方の手をそっと上に重ねました。
「はい、プロフェッサーどの。」
私はいつもの冗談を口にしながら色のない微笑みを返します。
「そういえばごく最近、うららさんから聞いた話ですが、五色麗が海上で行方不明になったそうですよ。」
私を試すように紘次郎が話題を振ってきました。
(ここで、この話題を私に振るなんて・・・!)
私はにっこりと満面の笑みを浮かべて対応しました。
「お可哀想に。」
私の顔を見た紘次郎は満足そうに嗤いました。
「完璧な日です。」
紘次郎にどう思われようと、反応しないこと。
【麗さまの安否が知れるまで、魂のない人形を演じる】
私は覚悟を決めていました。
生きて、麗さまに会うために。
※
宴もたけなわになり珍しくほろ酔いかげんの紘次郎のもとに、秘書の田口がすり寄ってきました。
「こ、紘次郎さま。たった今入った情報なのですが、米国の造船業を営む社長のジョージがこの帝国ホテルにいらしています。偶然にも綾小路家の縁者にジョージの知り合いがいて、紘次郎さまにもぜひご挨拶をされたいと熱望しているそうです。
うまく口説けば綾小路家のパトロンになってくれる可能性のある、レアな人物ですよ!」
「造船業・・・戦争成金か?
そんな人脈が綾小路家にあったんだな。」
途端に紘次郎の目つきが変わり、急に私の手をパッと離しました。
「みつき、お疲れ様でした。久しぶりに長く連れ回したから疲れたでしょう?
私は大事なお客さまと話をしてくるから、食事でもしてゆっくりと休んでいてくださいね。」
(紘次郎は綾小路家の銀行の再建だけではなく手広く事業をしているようね。)
内心驚きはしましたが、心の機微を悟られてはつけこまれてしまいます。
私は素直にコクリとうなずいて紘次郎に背を向けて立食テーブルへむかいました。
※
色とりどりのごちそうが並ぶ立食テーブルを見た瞬間に、私は胸やけをもよおしてしまいました。
自分でも嫌になるくらい、神経が身体に影響を及ぼす人間なのです。
ようようとテーブルの横に設えられた長椅子に座ると、はじめての顔ぶれの一団があいさつに訪れて度肝を抜かれました。紘次郎という盾がない分、自分の社交能力だけで立ち回りをしなくてはならなくて、大変な冷や汗をかきました。
みんなが口をそろえていうのは「お似合いの二人」ということです。
誰もが羨む夫と貞淑な妻。
世間からの評価はそんなところでしょうか。
親戚すじには私と麗さまの婚約を知っていた方もいるというのに、誰ひとりその話題に触れる方はいません。
腫れ物扱いされるくらいなら、嘲笑された方が気が楽だったのに・・・。
一団をなんとかやりすごしてオレンジジュースを片手に会場全体を俯瞰で見ていると、今度は一人の女性が近づいてきて、私は丸めた背筋を伸ばしました。
外国人でしょうか?
美しく編み込まれたヘアスタイルに、大きな生薔薇を耳の横に挿した銀髪の美女。
スラリとした体型にスリットが大胆な赤いドレスを身にまとい、大きなサングラスをしています。
どう見ても婚約のお祝いをしてくれる雰囲気ではありません。
「ckaЖИmhe?」
私に向かって話しかけてきたようなのですが、英語でもフランス語でもない言葉に私は泡をくってしまいました。
「ご、ごめんなさい。日本語か英語は話せますか?
ええと、ドゥー・ユー・スピーク・イングリッシュ?」
「Could you tell where the restroom is?」
「あ・・・お手洗いですね。ご案内いたします。」
言葉が通じて安心した私は、会場の外の通路にあるお手洗いに案内しました。
「それでは、私はここで。」
会釈してお手洗いを出ようとした時、突然、美しい女性は私の手を引っ張り個室に連れこんだのです。
「あ、あのっ、個室はひとりで入るものですよ!」
もしかして、外国人だから個室でのお作法が分からないのかしら?
焦りました。
しどろもどろになりながら、どう英語で伝えようかを考えていると、凛とした涼やかな声が耳に届きました。
「静かに。」
私の唇に人差し指を当てた女性は、およそ不似合いなテノールボイスを発しました。
私は驚いて女性をマジマジと見つめてしまいました。
「まさか、あなた。」
私は震えながら女性のサングラスを外しました。
紫のオッドアイ。
切れ長の瞳に涙ほくろの美しい人は、私を愛おしく見つめます。
「会いたかったよ、みつき。」
その腕に抱きしめられた私は、フワッとした薔薇の香りに包まれ確信しました。
「麗さま!
麗さまなのね!」
私の目の前はキラキラした星屑に覆われ、胸が甘酸っぱい想いでいっぱいになりました。
「生きてらした・・・!」
「ふふ。みつきになら絞められてもいいけど、まだ殺さないで。」
「・・・いじわるです。」
麗さまは少し屈んで私の頬に自分の頬を擦りよせました。
ああ、懐かしいこの感触。
私は涙で曇る目を懸命にまばたきして、麗さまをひとときも見逃すまいと思いました。
「みつきに一つだけお願いがあるんだ。」
麗さまはウェーブをつけた私の髪に触れながら、急に声色を変えました。
「なんでもおっしゃって。」
「ボクと心中してほしい。」




