#28 純愛
信頼していた紘次郎の裏切り。
どんなに泣き叫んでも誰も来ない。
恐怖と絶望の一夜を過ごした私は、明け方の白くて細い月を二階の窓から眺めていました。
上品で繊細な二日月。
そんな二日月に愛しい麗さまの横顔を重ね合わせて、私はため息を吐きました。
(もう、二度と麗さまには会えないかもしれないわ。)
宝箱にしまっていた【うららおねえさま】の写真を胸に、涙をこぼしていた私はいつの間にかソファで眠っていました。
※
夢を見ました。
また、七歳のときの悪夢です。
いつものように、私は下校途中に眼鏡をかけた若い男に呼び止められます。
「駅には どう 行きますか?」
見上げた眼鏡が太陽に反射して表情が見えないのと、たどたどしい喋り方に違和感を覚えながら、幼い私は駅までの道案内をしようとしてしまいます。
「まっすぐ進んで、いっこめのポストを左にまがって・・・。」
男は耳が聞こえないらしく、悲しそうに首を横に振ります。
それからしゃがむと、地面に落ちていた木の棒で『かいて』と書きました。
ああ、また同じ展開!
夢の中でも、ダメと分かっているのに。
また私は荒い息の男に突然抱きしめられて、嫌な体験をして、逃げて夢は終わるー。
しかし今日は、ふと思いました。
(あの時、本当に私はあの男の顔を見ていないのかしら。)
「みつき すき」
男に太ももを触られながら、夢の中の私は思いきって男の眼鏡めがけて腕を伸ばしました。
「アッ・・・!」
嫌な予感は的中し、私は悪寒に震えました。
眼鏡の下の男は、公爵家に来る前の紘次郎の顔だったのです。
※
突然、耳に入って来たドアのノック音に私は飛び起きました。
「お嬢さま、朝餉をお持ちいたしました。」
女中のひな子の声です。
私は腫れあがった目を無理やり開くと、走ってドアノブに飛びつきました。
「ひな子?」
「おはようございます。」
食事を乗せたワゴンを差し入れるほどの隙間を開けたひな子が、こわばった顔で私に挨拶をしました。
「ひ、ひな子、私、昨夜から紘次郎に監禁されているの。
ねえ、お願いよ。今すぐにここから出してちょうだい‼」
「悪い夢の話ですか?」
ひな子は悪い点数を取った子供を見るように、ため息を吐きました。
「監禁だなんて、新しいご当主さまに失礼ですよ。
紘次郎さまは、綾小路家の未来とお嬢さまの幸せを案じていらっしゃるだけなのです。」
「私の幸せ?」
「本来ならば綾小路家は、松之助さまが事業を失敗した時点で債権者たちに家財一式を差し押さえられて没落する運命でした。」
それは昨夜にも紘次郎から聞いた話ですが、改めて聞くと苦しい感情がよみがえります。
「紘次郎さまは大学進学をあきらめて学生の身でコンサルティング会社を設立。
さらに財閥企業の特別顧問になり傾きかけていた経営を立てなおして全幅の信頼を勝ち取り、その会社の社長の椅子を蹴ってまで綾小路家の窮地を救うためにご当主になられたのですよ。」
「もともと、紘次郎は跡継ぎのいない綾小路家に後見人として入ったのだと聞きました。
家を継いでくれたことには感謝するけれども、麗さまから私を引き離して自分と結婚しろと言うのはおかしいと思うわ。」
「お嬢さまが政略結婚で五色家に嫁ぐことも、元は借金返済のための布石だったと聞いております。
それを、紘次郎さまはいつも心配されていました。」
そこで私は、ひな子がひそかに紘次郎に想いを寄せていたことを思い出しました。
「私はお嬢様が、ただただ羨ましいばかりです。」
ワゴンを部屋の中に入れるとすぐにドアを閉じようとしたひな子を、私は必死で引き留めました。
「ひな子お願い、ここから出して。
私、麗さまのところへ帰りたいの。」
「いけません。お嬢様はあの男にだまされているのです。
冷酷な隻眼の軍人に嫁ぐより、公爵家で紘次郎さまと結ばれる方が幸せに決まっています。」
洗脳されている、と思いながらも私はひな子を説得することにしました。
ここは引き返せない一本道。
もう、ひな子を攻略するしか先はありません。
(言葉を選んで、慎重になるのよ。)
「私がここに閉じ込められていることを知ったら、みんなが心配して探すと思うの。
しかも紘次郎が私を閉じ込めたということが広まれば、公爵家の当主としての世間体が・・・ねえ、分かるわよね?」
ひな子が少しうろたえた顔をします。
(私に同情してくれたのかしら? もう少し押せば味方になってくれるかも・・・!)
「みつきさま、ひな子を手ごめにしようとしてもムダですよ。」
ひな子の後ろから顔を出したのは紘次郎でした。
今朝はいつもの袴に髪も洗いっぱなし。
見た目は普段通りですが、その口から吐き出されるのは猛毒の極みでした。
「みつきさまには、婚約破棄の署名と女学院の退学届を書いていただきます。」
「書くわけないわ。」
「お可哀想に。まだ、ご自身の置かれている状況が理解できないのですね。
私の友人に帝国新聞の編集長がいます。
今すぐに電話一本をするだけで、五色麗は破滅するんですよ。」
「卑劣よ。」
私は怒りの感情を抑えながら、渡された書類を受け取りました。
ガラスペンで署名した紙に涙がポタタッと落ちて、文字が淡くにじみます。
「ねえ、紘次郎。」
署名を終えた私は、机に向かったまま紘次郎に話しかけました。
「あなたが綾小路家に来る前、私が通っていた小学校の近くに住んでいたのよね?」
「よく覚えていましたね。まだみつきさまは小さかったからお忘れかと。」
「思い出したの。
私が男性不審になった原因・・・襲った男は紘次郎、あなたに似ていたわ。
あの事件の一年後にあなたはうちに来ることになった。
もしかしたら、全てがあなたの仕組んだことではないの?」
「懐かしいな。初めて公爵家に来たのは私が13才のころですね。」
フフッと笑うと、紘次郎が勉強を見るときのように自然に私の横に椅子を置きます。
そして組んだ腕の上に甘い顔を乗せると、私の横顔をいたずらにのぞきこみました。
「さすがに男性不審になることを見込んで小さなみつきさまを襲うのは無理があるとは思いますが、そのときから私がみつきさまに執着していたとしたら、それは立派な【純愛】ではないでしょうか?」




