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#17 愛しい嘘

 私たちが案内されたのは、二十畳ほどある和室の大広間でした。

 日本庭園をのぞむ縁側(えんがわ)がある座敷の(とこ)の間には、立派な備前焼のうつわと水墨画の掛け軸が落ちついた気品を放っています。


 部屋を見渡していた私は、おばさまにうながされて下座(しもざ)に座りました。

 輪島塗の蒔絵(まきえ)がほどこされた座卓と金色の糸で刺繍されているフカフカの座布団は、公爵邸にも置いていない高級品のように見えます。



「成り上がりの華族にしては、財力があるようね。」

 おばさまは青光りするいぐさや畳縁(たたみべり)見分(けんぶん)しながら、辛口の批評家のように言いました。


 五色家の【勲功華族】という肩書に、生まれながらの華族であるおばさまは対抗意識があるようです。

 ほどなくして八重子がふすまを半開きに引いて顔をのぞかせたので、私は緊張した背すじをピンと伸ばして一礼しました。

 



「ごきげんよう。」



 八重子の後方から出てきた女性に、私はとても驚きました。

「う、うららおねえさま⁉」



 ぴったりと肌にフィットするひざ下ワンピースを着こなしたショートカットの女性が、花が咲くようにふんわりと微笑みました。



「このたびはお忙しいところをご挨拶に来ていただいて、ありがとうございます。

 私は()()()()()の【猿渡うらら】と申します。」



 私は不思議な世界に迷い込んだおとぎ話の少女のような感情を覚えました。


 おねえさまと麗さまは同一人物のはずです。

 もう二度とうららさまに会うことはないと思っていたのに、この方は目の前で堂々と【猿渡うらら】と名乗りました。




(いったい、目の前で何が起こっているの?)




 おねえさまの美貌に見とれて言葉を失っていたおばさまが、慌てて取り繕うようにしゃべりはじめました。



「アッ・・・みつきの仲人の恵子です。このたびは、足入れのご挨拶に伺わせていただきました。

 ええと、侯爵さまと麗さまはどちらに?」




 おねえさまは(はかなげ)げに微笑むと小首をかしげました。



「申し訳ございません。

 今日が【足入れ】の日なのは承知しておりましたが、あいにく海軍から緊急の招集令がかかってしまいまして、二人とも在宅はしておりません。

 本日はこの私が五色家の留守を任されておりますので、みつきさまは責任を持ってお預かりいたします。」



「はあ、そうなんですか。

 お仕事でしたらしょうがありませんわね。」



 頬を染めて矢継ぎ早に世間話をするおばさまと、いたってマジメに返事をするおねえさま。

 おばさまはひととおりの話をし終えると、満足そうにおねえさまと握手をして退出しました。


「それではふつつかな姪ですが、どうぞよろしくお願いします。」




 ※




「はぁ、あごが疲れた。」



 二人きりになると、スレンダーな長身の美女は声色を変えて大きく吐息をつきました。

「君のおばさまは、まるでお喋りな小鳥のようだね。

 みつきのおばさまじゃなかったら、この時間はガマンできなかったかもしれないな。」



 私は確信しました。



「あの・・・麗さま、ですよね?

 どうしておばさまに嘘をついたのですか?」



「【うらら】として、みつきに会いたかったんだ。」



 麗さまは優しい眼ざしを私に向けてくださいました。



「五色家の家人はボクが女装をしていることを昔から容認しているから、みつきが望むなら一生この姿で暮らせるよ。

 さすがにこのまま外出することは難しいけどね。」



 やはりこの方は、私の婚約者さまの麗さまです。

 麗さまの言葉を素直に受け取るなら、私が男性恐怖症だから女装をして出迎えてくれたということでしょうか。


 麗さまは私のすぐ隣に座ると、私のほつれたもみあげの髪を優しく耳にかけました。

「結婚の前に【足入れ】をしてくれてありがとう。」



「こんな私のために・・・嬉しいです!」

 私は、麗さまのお気づかいに思わず涙ぐみました。



「よしよし、いい子。」



 麗さまがそっと私の頭を撫でてくれました。

「ボクのみつきは、いつも涙もろいね。」



「ゴメンなさい。これからは泣かないようにいたします。」



 私は恥ずかしくなって着物の袖で涙線を押さえました。

 同級生のようこにも子供あつかいされるような女なんて、軍人の嫁には相応(ふさわ)しくないに決まっています。



「謝らないで。」



 麗さまは頭をなでる手を止めて、私をじっと見つめました。

「そんなみつきだから、結婚を早めたかったんだ。」



「お気持ちは嬉しいのですが、どうか甘やかさないでください。

 私は、五色家の色に染まりたくて花嫁修業に来たのですから。」



 私はおねえさまの不思議な色の左目を見ながら、やんわりと言いました。

 最後にお会いしたときは夜だったので、そこまでオッドアイの色の差が目立たなかったのですが、日を浴びるとより鮮明にその違いが分かります。


 私が目を見ていることが分かったのか、麗さまは左目を隠すように前髪を下ろしました。

「ごめん。気持ち悪いよね。」



「いいえ。透き通る宝石ように綺麗なので、見惚れていたのです。

 少女画報のおねえさまのお写真は白黒だったので気づきませんでしたが、本当にお似合いですよね。」



「そんな風に言われたのは初めてだよ。

 ・・・この瞳のせいで、周りからは煙たがられ仕事場でも気味悪がられるので眼帯をして隠すようになったのだけど。」



「もっと、よく見せてください。」 



 私は自ら麗さまの前髪をすくい上げると、じっと左目を見つめました。

 薄い菫色の瞳の中心は濃い紫で、吸いこまれるような気持ちになります。



「とても綺麗です。私はこの瞳がすき。」



「みつき。」

 麗さまが、私の指に自分の指を絡めました。



「ボクは生まれてからずっと、孤独だった。

 ありのままの自分を愛してくれる人が欲しくて少女画報に投稿したのだけど、親が決めた婚約者の【綾小路みつき】が手紙をくれたことは想定外だったんだ。」



 麗さまが、本心で話をされているのが痛いくらいに伝わってきました。



「はじめは文通も興味本位だった。

 でも、純粋な心を持ったみつきを実際に知って、本当に好きだと魂で感じた。

 みつきが男性が苦手なら【うらら】として見てくれていい。

 こんなボクを受け入れてくれる?」



 麗さまが、私のことを細かに考えて下さっていることが、とても嬉しかった。

 そして同時に私は、おばさまに言われた【夜の営み】の心得を思い出しました。



「私も麗さまが好きです。

 それは例えおねえさまでなくとも、男性でも変わらないと思います。

 ふつつかもので【肌の相性】もよく分かりませんが、どうぞ今夜は、麗さまのお好きなようになさってください。」



 震えながら懸命にそう言うと、麗さまが困った顔をしました。



「震えているね、可哀想に。

 もしかして、誰かに悪知恵を言い含められた?

 【青い実】を無理に()むようなことはしないから、安心しなさい。」



 私はとてもはしたないことを言ってしまったのです!

 麗さまと繋いだ指が震えて、全身が熱く火照るのが止められません。



「ど、どうしましょう。恥ずかしい!」



「大丈夫。ボクにとっては可愛いだけなんだよ。」



 麗さまは私の両手を持ち上げると、手の甲に優しくキスをして上目遣いに見上げました。



「大人になるのは少しずつでいい。大切なのはお互いを知ることだから。」



 その言葉はとても心地よく、私は浮つく気持ちをまっさらにできました。



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