#13 眼帯の下の瞳
保健室のドアには【巡回中】の標示板が掲げられていました。
「こんな時に養護教諭が常駐していないことが許されるなんて・・・。」
それでも私を抱きかかえた眼帯の男性が横引きドアに手をかけると、鍵が空いていたので部屋の中に入れたのです。
眼帯の男性は私を簡易寝台の上に座らせました。
「応急処置ができるものを探すから、待っていて。」
優しくそう言われたのですが、まともに男性を直視できない私は、目を逸らせてうなずくことしかできませんでした。
ガラスキャビネットを開けてみたり、冷蔵庫の上段から取り出した氷を砕いたりして、男性はまるでわが家のようにテキパキと動きます。
しばらくして、氷を入れた水まくらと包帯を手に私のもとに戻ってきました。
「これを自分で足首にくくりつけられますか?」
私はフルフルと首を横に振りました。
「これでも私は軍医のはしくれなので、怪我の処置はできるのですが・・・。
あなたに触れる許可を頂けたら、私が処置しますよ。」
今までの対応で私が男性恐怖症だということが分かったのでしょうか?
それとも、やはり・・・。
「あの。」
私は勇気を出して口を開きました。
「遅ればせながら、危ないところを助けていただいてありがとうございます!
それで、あの・・・。
あなたはもしかすると、私の婚約者の五色さまではありませんか?」
ひと呼吸の間をおいて、男性はうなずきました。
「そうですよ。綾小路みつきさま。」
ああ、やはり・・・。
悪い予感は的中してしまいました。
「わ、私のことをご存知だったのですね。」
「もちろんです。」
五色さまは静かに微笑みました。
「婚約者さまのことは、誰よりも知っているつもりですよ。
あなたが【男性恐怖症】だということもね。」
「そ、そうでしたか。」
五色さまの意外な反応に、私は面くらってしまいました。
私のことをお父さまから聞いていたのでしょうか?
【冷酷で残忍な隻眼の軍人】という通り名がウソのような、物静かで思慮深い物言いに私は少し気持ちが落ち着きました。
「あなたが嫌がることはなるべくしたくないのですが、私の見立てでは早急に処置が必要です。
どうか、みつきさまの足に触れることをお許しください。」
五色さまにていねいに頭を下げられ、私は【男性恐怖症】であることが申し訳なく思いました。
「分かりました。少しの間でしたら我慢しますので、よろしくお願いします。」
五色さまは上着を椅子にかけると、シャツの袖をまくり上げました。
白くて細い筋肉質の腕が露わになり、より男性らしさが増します。
(男の人に触られるのは怖い。でも、我慢しなくちゃ。)
跪いた五色さまの手が、私のドレスのすそをめくり膝の上にたくしあげます。その行為にゾクッとしましたが、私は拳をにぎって耐えました。
それから五色さまは、私の絹の薄い靴下をくるくると丸めて脱がせました。
(温かい手だわ。)
素肌にその手が触れるたび、嫌悪感や痛さよりもその温かさを感じることに私は驚きました。
紘次郎の背中に感じたふわふわした気持ちが、同じように五色さまの手からも感じられるのです。
男性なのに、どうして?
私のなかに見たことのないもうひとりの自分がいるような気がして、戸惑う気持ちははやるばかりでした。
※
腫れた足首に冷たい水枕が当たるとかなり気持ちが良く、痛みが薄れるようでした。
五色さまは巻き付けた包帯の端をとめると、チラリと私を見上げました。
「どうです? 包帯がキツかったり痛くはないですか?」
私はハッとして、慌ててコクリとうなずきました。
五色さまの私を処置する横顔が綺麗で、つい見惚れてしまったのを悟られてなければ良いけれど・・・。
「とても楽になりました。」
「それは良かった。」
五色さまはホッとした表情をされると、汗ばんだ前髪をグッとかき上げました。
窓からの光が五色さまの柔らかな髪に降り注ぎ、茶色の髪は明るい黄色に見えます。
「なんだか、おねえさまみたい・・・。」
思わず私はそう呟いていました。
「おねえさま?」
「あ、ごめんなさい。
五色さまが知り合いの方に似ている気がしたものですから。」
「どんな方ですか?」
「とても綺麗な女性の方です!
優雅で華やかで優しくて、私が憧れるすべてを兼ねそなえている方です。」
「そうですか・・・。
みつきさまは、その方がお好きなのですか?」
「はい、とてもお慕いしています!」
五色さまは口をおさえて横を向きました。
それは、なんだか笑いをこらえているような仕草でした。
(男性を【女性に似てる】なんて表現するのは、失礼な行為でしたわね。)
私は恥ずかしくなってうつむきました。
「友人が心配していると思うので、もう行きます。
応急処置をしていただき、ありがとうございました。」
早口でまくしたてて歩き出そうとした私でしたが、足首に激痛が走りよろけてしまいました。
「危ない・・・!」
とっさに五色さまが腕を出してくれたので、思いがけずその胸に身体を預ける形になってしまいました。
「まだひとりで歩くのは早いです。公爵邸までお送りしますよ。」
「あの、ごめんなさい。申し訳ないのですが・・・男性に触れられるのは怖いんです。」
私は五色さまの胸を震える両手で突っぱねました。
思い描いていた怖い婚約者さまではないけれど、やはり苦手な【男性】だという事実は変わりません。
「ああ、ごめんね。
でもこのままでは、みつきさまを家まで送ることができないですね。」
五色さまは少し思い悩むような顔をされましたが、再び簡易寝台に私を座らせると、ニッコリと笑いました。
「これでどうかな。」
五色さまはなんと、自らの眼帯を取ったのです。
私は驚きのあまり、目を見開きました。
黒い眼帯の下は、薄い菫色の瞳だったのです。
オッドアイ。
左右の瞳の色が極端に違う人がいるとは聞いたことがありましたが、実際に目の前で見るのは初めてです。
それよりも私を驚かせたのは、見覚えのある目尻のきわの【小さなほくろ】でした。
(似ているなんてものじゃない。こんなことってあるの・・・?)
「まだ怖い?」
「し、信じられないです・・・お、お、おねえさまが・・・そんな⁉」
「みつき、この前会った時の約束を覚えている?」
そう言うと五色さまは固まる私の首すじに、長い指を這わせたのです。
「ボクである証明をするために、【秘密の儀式】をここでシてもいい?」