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#10 唇の感触

 私はおねえさまへの手紙を書いては書き直し、書き直しては破り捨てていました。



「どうしましょう。」



 頭にグルグルと浮かぶのは昼休みのこと。

 ようこの予言通り、青山先生が私を演劇の主役に指名してきたのです。


 しかも【白雪姫】だなんて。

 ようこは飛び上がって喜びましたが、私は胃痛で女学院を早退してしまいました。



「ハァ・・・。」



「悩みごとですか?」



 三十回目のため息を吐いたあと、いつの間にか紘次郎が私の部屋の入り口に立っていました。



「あら、ノックくらいしてくださいな。あなた、大学はどうしたの?」



「ノックはしたのですけど、気づかなかったようですよ。大学の講義はちゃんと受けてきました。

 今からみつきさまのお勉強の時間です。」



 紘次郎が(ふた)を開けた懐中時計をのぞきこむと、針は夕方の四時をさしていました。

 時間が溶けたように感じて、私はもう一度ため息を吐きます。


 紘次郎は私の(けやき)材の文机の横に、いつものように椅子を置いて座りました。



「女中のひな子に聞きましたよ。昼間に学校を早退したと。

 帰ってきてから、ずっとこのように手紙を書いていたのですね。」



 書きかけの手紙とゴミ箱の中の破り捨てた手紙とを見比べながら、紘次郎は少し眉根を寄せました。

「また猿渡さまへの手紙ですか・・・。」



 ※



 五色家におねえさまに会いに行った夜、私はおねえさまとの交際を紘次郎に打ち明けました。

 客間で睡眠薬入りのお茶で眠らされたあと、紘次郎は自転車ごと車で先に帰らされたようで、公爵邸の使用人たちの間では大騒ぎになったそうです。


 私が帰宅をすると玄関で仁王立ちをしていた紘次郎にこう言われました。

「きちんとした説明をしなければ、父上に話す」と。


 それで、しぶしぶ【秘密のシスタア】との文通の話をしたのです。


 もしかしたら、この行為を紘次郎に理解されないかもしれないと思っていたのですが、紘次郎は私たちの関係には何も言いませんでした。

 ただ、五色家の女中をお金で買収したつもりが、結局は彼女の手のひらで転がされていたようで無駄骨だったと、紘次郎は悔しがっておりました。


 なので、紘次郎におねえさまの話をするのはタブーではないのです。

 むしろ、ようこ以外に気安く【純愛】の相談ができる相手が増えたことに、私は安堵(あんど)しておりました。



 ※



「実はね、文芸大会で主役の【白雪姫】を演じることになってしまったの。

 おねえさまに来てもらいたかったけど私が壇上に立つ姿を見られるなんて恥ずかしいから、お招きするべきかを迷っているの。」



「白雪姫? まさかお受けしたのですか?

まったく、気弱なみつきさまらしくもない。」



「担任の先生からのご推薦よ。断るわけにはいかないわ。」



 苦しいため息を吐いて頬づえをついた私と同じように、紘次郎が机に(ひじ)をついて私の横顔をのぞきこみました。



「みつきさまの白雪姫なら私も観てみたいな。

 きらびやかなドレスはきっとお似合いです。」



「あなたまで、私をからかう気?

 今回は学年全員で演劇をするのよ。

 声は小さく、人前に立つとあがって(ども)って震えてしまう私が主役だなんて、せっかくの()し物に泥を塗ってしまうに決まっているわ。」



「ならば練習をしましょう。努力もしないで決めつけるのはもっとも失礼な行為です。

 私が相手役になりますよ。」



 文机に置いていた台本を手にとって、紘次郎はパラパラと(ページ)をめくりました。



「では、白雪姫が毒リンゴで眠っている場面から。

 みつきさまは寝台(ベッド)に仰向けに寝て、目を閉じてください。」



「はい、プロフェッサー殿。」



 昔遊んだ【ごっこ遊び】の気分で、私も紘次郎の提案に乗ることにしました。


 私は寝台に横になると、組んだ手をお腹に乗せて目を閉じました。



 ※



『この棺桶の美しい女性は、いったい誰だろう。』



 玲瓏な声で、紘次郎が王子さまの台詞をとつとつと読み上げます。

 目を閉じていると、着物に袴の紘次郎が白い燕尾服の王子さまに脳内変換されるのが不思議です。


 緊張するかと思っていましたが、紘次郎相手だと笑ってしまいそうになりこらえるのが必死でした。



()()()、ニヤニヤしてはいけません。」

 紘次郎に小声でたしなめられて、私はスンと気持ちを(しず)めました。



『胸が苦しい。目を開けておくれ愛しい人。』



 紘次郎の大きな手が私のあごに触る感じがします。



(くすぐったいわ!)



 我慢できずにそうっと薄目を開けた私の眼前に、紘次郎の顔がせまってきました。

 私が次の台詞を言おうと思ったその時、唇にあたたかいものが触れた気がしたのです。



「ええっ!」

 私はガバッと飛び起きました。



「みつきさま、次の台詞は『ありがとう王子さま』ですよ。」



「あの・・・いま、紘次郎の唇が私の唇に触れなかったかしら?」



「失礼。ギリギリで止めようとしたのですが、もしかして当たってしまいましたか?」



 慌てる私とは対照的に、のんきな紘次郎。

 そんな態度に私は拍子抜けしてしまいました。



(ただ、演技をしてぶつかってしまっただけなら、事故ということ?

 これはキスとは言わないのかしら。)



 気心がしれた紘次郎相手に唇が触れたと騒ぎ続けるのも、なんだか間違えている気持ちになります。

 私たちはその後、何もなかったかのように演技の練習を続けました。


 

「では文芸大会の日まで、勉強のあとに毎日演技の練習をいたしましょうね。」



 そう言って紘次郎が部屋のドアを閉めたあと、私は唇を触りながら文机に突っ()しました。

 どうにも頭の中がグチャグチャして、よけいにおねえさまへの手紙が書けなくなってしまいました。

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