#1 白亜岬心中
私は生まれて初めて乗った鉄道の終着駅で降りて、駅のタクシー乗り場に向かいます。
いちばん手前で待つ運転手に行き先を告げて車に乗り込むと、初老の運転手がオウム返しに「白亜岬」と、つぶやきました。
それから眼鏡をずり下げながら振り返り、私を上から下まで品定めをするようにジロジロと見たのです。
「若い娘がひとりで行くところじゃないけどねえ。」
「ご、ご心配なく。ひとりじゃありませんわ。」
私が待ち合わせをしていることを告げると、大きなエンジン音を響かせて車はゆっくりと発進しました。
「最近、あそこは【自殺】する人が多くてね。
つい先週も、私が駅から乗せた男女二人が崖から身を投げたんです。何でも身分違いの恋だったとか。
あれにはまいったな。
秘境の絶景がおかしな認識をされて、地元の人間も困惑しているんですよ・・・。」
だいたいタクシーの運転手はじょう舌だけど、いまの私にその話は耳が痛いのです。
なぜなら【心中】が図星だったから。
ただ、私の場合はお相手が殿方ではないのだけれど・・・。
視線を落とした手帳の間に【綾小路みつきさま】と書かれた私宛ての封筒と雑誌の切り抜きがはさまっています。切り抜きは、私の意中の方の写真です。
私は、雑念を払うためにそれを取り出して、じっくりと目に焼きつけることにしました。
(ついに会えますわ。憧れのおねえさまに・・・。)
写真を両手で抱きしめ、私は軽く目をつぶりました。
『おねえさま』こと猿渡うらら。
少女画報の文通相手募集のコーナーにその写真が掲載されて以来、わたしはうららおねえさまの従順なるしもべです。
おねえさまは、まるで外国人のように目鼻立ちがしっかりと整っていて、左目の目尻に泣きぼくろがあるのが特徴の美人です。
少し短めのショートカットで長い手足をモガのスタイルで身を包んだ姿は、まるでお手本のモデルさんのよう。
女神のようにこちらに微笑むさまは清純可憐でいとおしく、写真であると分かっていてもときめかずにはいられません。
初めて文通のお願いの手紙を出してから返事が来たときには、背中から翼が生えてそのまま空を飛べるかと思いました。
それから愛にあふれる文通のやりとりをして約一年。
【あるできごと】があって、私たちはお互いの【純愛】を確認するために、今日、『白亜岬』で落ち合う約束をしたのです。
目を開けると、くわえ煙草の運転手が吐き出した紫色の煙が窓の外に立ち昇り、曇り模様の空へと吸いこまれていくさまが見えました。
その横に、真っ白な石灰岩の岩壁が岬を囲むように広がる海岸線が見えて、私は歓声をあげました。
「わあ、外国の景色のようね。とっても素敵だわ。」
私は窓から身を乗り出して景色を眺めました。
潮の匂いが風に運ばれて鼻孔をくすぐると、まるで海の中に足を踏み入れたような気分になります。
「もっと晴れていたら、海が青く見えて写真映えするんだけどね。
ラヂオでは午後から雨模様だって言っていたから、お嬢さんも用事が終わったらすぐに引き上げた方がいいよ。
岩場は滑りやすいからね。」
乗車賃の1円を受け取ると、タクシーは去っていきました。
※
会った時にすぐに私だと気づいてくださるように、わたしは女学院のセーラー服に赤い帽子をかぶってきたのですが、あいにく革靴は岩場を登るのに適していなくて、展望台に登るまでに何度も滑って足をくじきそうになりました。
(がんばれ、みつき。もうすぐ頂上よ。)
私は息を切らしながら、自分を鼓舞してゴツゴツした岩場を登りました。
(きっとおねえさまは、優しく微笑んで私を抱きしめてくださるわ。
ここを乗り切ったら、私たちだけの秘密の花園が待っているの。)
妄想を活力にしながら展望台にたどり着くと、つばの大きな麦わら帽子をかぶったスタイルの良い女性が、岸壁で海を眺めているのが見えます。
(あれがおねえさまね・・・!)
私は恥ずかしさと期待で胸をドキドキさせ、体じゅうが熱くなりました。
厚い雲の切れ間の日差しを受けて、まぶしさに目を細めながら彼女に一歩、また一歩と近づきました。
そして、私は思い切ってその華奢な背中に声をかけたのです。
「あのッ、あなたは猿渡うららさんですか?」
彼女は緩慢な動作でこちらを振り向きました。