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七、それを許すのは今だけ


 現在の龍王が生まれ育ったのは、神国の王都にある娼館であった。

 物心付いた頃には、おしろいと香水の匂いを覚えてしまっていた。

 龍王の美しさは幼い頃から既に確立されており、母親を含む娼婦たちにたいそう可愛がられていたのだ。

 ちやほやされまくりであった。

 可愛い、美しい、は日常的に聞かされ、美しくたおやかな娼婦たちに抱っこされるのは当たり前。

 そんな環境だったので、自分は可愛く美しいのだという自覚を龍王は早くに持っていたのである。

 しかし、傲慢さや自惚れは持たなかった辺り、龍王の性格は生まれながらに完成していたのかもしれない。

 幼い彼の言動は珍妙であった。


「お母さん、お母さん。つかれた? なら、ぼくを抱っこして。ほら、ぷにぷにほっぺだよ?」


 と、もっちもちな肌を武器に、面倒な客の相手で疲弊した母親を休ませようとする。

 母親のベッドをぺちぺちとたたき、添い寝役をしますと目で訴え、無事に母親を休息させることに成功していた。

 母親の腕のなかで満足げに自分やりましたよ? と他の娼婦にどや顔を見せていた。

 その姿に、娼婦たちは胸がきゅんとなり癒されていたのである。

 自分が可愛いという自覚があるので、娼婦たちの休憩時間に自作の踊りをあざとさ全開で披露することもあった。


「きゃっ!」


 と、踊りの最中にわざとらしく転び、えへへ、失敗しちゃった! と、もじもじしたりもした。

 全部、わかってやっているのは、娼婦たちも理解していた。

 理解していたが、あまりにも可愛すぎて、疲れが吹っ飛ぶのが常なのだ。

 幼い龍王は、娼婦たちの笑顔が好きだったのである。

 悲しい顔や辛い顔ではなく、笑ってくれる姿を見たかった。

 娼婦の世界は過酷だ。

 消耗品のように使い捨てられる。

 そういう現状を、幼いながらも感じていた。

 だからこそ、自分に出来ることを探し、皆を笑顔にしたかったのだ。

 そうして、人の気持ちを思いやる性質が花開き、成長していくにつれ娼館がある地域の子供たちに慕われるようになった。

 簡単に言えば、悪ガキたちのボスになったのである。

 毎日皆と走り回り、いたずらをして、商店街の店主からげんこつを食らうのは日常的。

 だが、人懐っこい龍王を憎む者は居らず、叱られた後にはお菓子を貰い、皆で分け合って食べていた。


「親分! 美味しいね!」

「この黒いの、あまーい!」

「チョコって言うんだって!」


 と、賑やかに過ごしていた。

 いたずらはするが、それは子供らしいものばかり。子供たちは、地域の宝なのだ。

 娼館生まれとして蔑む者も中には居たが、龍王は気にせずすくすくと育った。

 美しさは磨かれていき、不埒な輩が出て来るようになると、娼館の用心棒から教わった技を駆使し、撃退することを覚えた。

 人に愛され、だが敵には容赦しない。

 現在、王として物事を冷静に裁けるのは、こういった育ちが理由なのだろう。

 龍王が、二十歳を過ぎた頃だ。

 娼館の用心棒をしていた龍王のもとに、神国の王室から使者がやって来たのは。

 上品な物腰の使者は見るからに貴族であったので、会うなり深々とお辞儀をされた龍王は仰天のあまり一緒に居た仲間の後ろに隠れてしまった。

 仲間からは、そんな可憐な女の子みたいな態度は似合っているが、お前らしくない! と、無慈悲にも使者の前に押し出されていた。

 人は簡単に裏切るのね、と哀愁漂わせた青年に、使者は丁寧な態度で持参した書状を見せたのだ。

 龍王が過ごした娼館には、やむにやまれず娼婦となった貴族に連なる女性も居たので、彼は読み書きを女性から習っていた。

 書状に書かれた内容を、すらすらと読むことはできたのだが。

 使者は龍王が文字を読めない可能性も考慮して、ゆっくりと聞き取りやすいように読み上げた。

 要約すると、当時の龍王が王宮に青年を召し上げたいと、そういう内容であった。

 彼の美貌は地域に轟いていたが、龍王さまに見初められるほどだったとは! と、騒然となる仲間たち。

 ただ、青年だけは何かを感じ取っていたのか、真剣な表情で使者の持つ書状を見つめていた。

 その後、娼婦を引退していた母親の面倒を見てもらうことを条件に彼は王宮へと上がることになる。

 その先で、自分に良く似た面差しの先代龍王と出会うのだった。


 薄暗い部屋のなかで、龍王の目は覚めた。

 寝心地の良い寝台。

 龍王が帰るべき場所である、春の宮の寝室はまだ夜のなかにあった。

 隣からは、穏やかな寝息が聞こえる。

 龍王はゆっくりと、静かに身を起こした。

 そして、隣で眠る華奢な妻を見つめ、きゅっと口を引き結んだ。

 普段の彼からは想像も出来ないほどの、悲壮な表情を浮かべて。

 そして、龍王の頬を涙が伝う。

 彼はすぐに寝間着の袖で涙を隠した。

 シーツに涙が落ちれば、妻に、レティシアナに何か気づかれるかもしれない。

 だから、溢れる涙は全て袖で受け止めた。

 声にならない嗚咽とともに。

 龍王は、年齢など関係ないとばかりに、泣くときは大声を出す人物である。

 恥ずかしいとは、思わない。

 心を許した相手に、素直に感情を見せることができるのが彼なのだ。

 なのに、今は声を押し殺して泣いている。

 レティシアナに知られては、ならない。

 龍王の悲しみを知れば、彼女は心を痛めるだろう。

 その思いだけで、必死に涙を隠していた。

 この泣き方は、レティシアナと過ごすようになってから覚えた。


 ーーごめんなさい。


 龍王は、ただそれだけを思う。

 彼は王だ。

 龍治大陸を統べる頂点に立つ者。

 だからこそ、謝罪の言葉が出る。

 何故、自分はこんなにも未熟なのだろうか、と。

 それ故に、愛しい存在を悲しませることになったのだ。

 ひと目見た時から、彼女を愛した。

 レティシアナの全てが大切で、大事で、守りたいと思ったのだ。

 だからこそ、自身に怒りが湧く。

 レティシアナの悲しみに、自分が関与しているのが許すことができない。

 知ってしまった。

 何が起きているのか。

 関わる者たちの覚悟、勇気、決意を、全て理解した今だからこそ、龍王は自分を許せないのだ。

 情報が集まり、事態を把握してからは自分にできることを必死に探した。

 側近たちも、全部理解した上で手助けをしてくれている。支えてくれた。こんな自分を。

 龍王は悲しみの滲む目で、レティシアナを見つめる。

 この涙は、後悔は、今だけだ。

 朝になれば、いつもの自分に戻ろう。

 彼女の為に生き、彼女の笑顔を守るのだ。

 だから。

 今は、この瞬間だけは、自分の至らなさに向き合おう。

 悔やみ続けるのは、立場が、責任が許さない。

 夜の帳が下りて、朝露が流れるまでの時間。

 龍王は王ではなく、ひとりの人間として、涙を流すのだ。


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