二十、感謝と罪責感
ふっと、微睡みから覚める。
柔らかで肌触りの良いシーツの感触。
もうすっかり馴染んだ部屋の内装。
レティシアナは柔らかく笑うと、隣を見る。
そこには、美しい旦那さまの姿があった。
目を閉じ、深く眠っているようだ。
「……お疲れ様でした」
起こさないように、囁く。
昨夜、寝入った時は龍王の姿はなかった。
カイトと聖女が事を成し、世界はあるべき姿に戻ったのだ。
そうして、龍王は龍治大陸を統治する者として、忙しない日々を送ることになった。
神殿がどうなったのか。
英雄たちはどうしているのか。
レティシアナの耳には何も入ってこないけれど、春の宮に帰れないほど、龍王が忙殺されたのは確かだ。
外の世界の様子はわからないけれど、きっと空は綺麗に晴れていることだろう。
龍王が春の宮に居るということは、ある程度の事は収まったということ。
愛おしい旦那さまの帰還に、レティシアナは微笑んだ。
「ありがとう」
そして、感謝を捧げた。
曇天の日々、降る雨は冷たく、大地を濡らすだけだった。
人々は、雨を厭い、空の青を求め続ける。
神殿で過ごし、それから三年近い旅をした。
実りにあまり変化はないが、太陽の光を浴びないのは健康に良くない。
どこか疲れた顔をした人々は、雲が晴れてから、笑顔が溢れている。
今日はあいにくの雨だけれど、人々の顔は明るい。
「聖女さん、傘を差しな。濡れるよ」
「ありがとう、アニー」
東国の地を踏み、王都の街並みを眺めていた少女は差し出された傘を受け取る。
「国巡りはここが終われば、後は神国だけだよ」
【青空の神】を解放してから、少女たちは各国を訪れていた。
皆が感謝を捧げたいと願ったからだ。
四カ国のなかで、東国を最後にしたのはカイトの故郷なのが理由だ。
神国へ向かうまでは時間がある。
カイトが家族と再会し、少しでも長く過ごせるように皆で考えた。
カイトは、「家族には迷惑を掛けた。殴られる覚悟で会いに行くよ」と、沈痛な表情を浮かべていた。
だけど、彼が苦しげに顔を俯かせたのは家族だけが理由ではない、と少女は思った。
――旅の間は、目指すものがあった。でも、それが終わった今は、現実がのしかかる。
少女は唇を噛む。
神殿でカイトと話したのは、偶然だ。
装飾のリボンが風で飛ばされた先に、神官から関わるなと言われた騎士のひとり――カイトが、居た。
リボンを拾った彼に、少女は笑いかけた。
子供らしく、愛想良く。
「ありがとう」
リボンを受け取った少女に、カイトは真剣に言った。
「貴女は、信じられる人がいますか?」
それは言葉を縛られた彼が言えた精一杯のメッセージだったのだろう。
信じられるのか。
周りは、敵しか居ないのかと、探っていたのかもしれない。
「道は、ひとりでは作れません」
だから、手は必要か、と。
そう聞いたのだと思い。
少女は、彼を選んだ。最初の仲間として。
騎士たちの協力を得て逃れる際に、神官のひとりが付いてきた。
彼は、神殿が成そうとしていることに気が付き、神を救いたいと言った。
そして、半年後にアニーと出会ってからは各地を巡り、龍脈の異変、世界に起きた異常を調べ、囚われた神を探し続けた。
その旅路は、必死で、ひたすら駆けた。
だから、全てが終わった今、置いてきていた現実が追いついたのだ。
「……ここに、婚約者さんが居るんだよね」
城下町から見える白亜の城。
カイトが想う、姫君が居る場所。
アニーは、困ったように笑う。
「聖女さんが気にすることじゃないよ。カイトが自分で決めた結果さ。縁がなくなったとしても、想う相手が笑顔なら、満足するような男だからね」
アニーの口調は、どこか皮肉を感じた。
問いかけるように見れば、アニーは肩を竦める。
「あいつを、信用してるし信頼してる。だけど、貴族の世界は綺麗じゃないから。騎士として生きるあいつには見えないだろうね。姫さんは、まあ、色々あると思う」
最後は、自分を気にして濁してくれたのだと思う。
少女も気づいている。
自分がカイトを選んだことで、カイトが失ったものがあると。
これから取り戻せるものは、ある。
でも、カイトが想う相手は。
彼女の存在だけは、二度と届かない。
騎士の在り方、カイトの感情、それは少女には分からない。
だけど、忘れては駄目だ。
何かを選択するということは、選ばなかった方を手放すということを。
――ごめん、なさい。
少女は、口に出すことが許されない謝罪を、心のなかで呟いた。