十、ようやく動き出す思考
レティシアナは、自分を生まれ以外は平凡な女であると知っていた。
王族で、母親は寵姫。
そして、至宝とまで呼ばれるほど、父王から愛されている。
マナーなどは王室の講師から及第点を頂いていたし、東国に限りだが、いつか侯爵家に嫁ぐ身として必要な貴族たちの知識もあった。
だが、それは優秀な講師が丁寧に教えてくれたからだ。
当時の婚約者であったカイトを支えたいという、強い意思もあったから成し得たこと。
それは殊更誇ることではなく、周りの貴族に生まれたご令嬢たちも身につけているものだ。
だから、レティシアナにしたら自分は姫という立場以外、特出したものはないと思っている。
神の寵愛を受けた方のように、魔法なる力も発現しない。
魔法を使えたならば国に尽くすことも出来たが、残念ながら特別な力を有してはいないのである。
そもそも、魔法を使えるのであれば、妃たちに嘲笑されたりもしなかった。
魔法使いは貴重な存在なのだから。
魔法使いに会えるのは、国の王ぐらいだ。
立太子した兄王子も、即位しなければ会えない。
閑話休題。
つまり、レティシアナは特別な存在ではない。
歴史に名を残す偉人のなかには不測の事態に備えて、何通りもの起こり得る未来を予測し、対処した人物がいる。
しかし、レティシアナにはそんな素晴らしい頭脳はない。
なので、予想もしなかった事態が起きた時、彼女は自分を責めたのだ。
婚約者が聖女と共に姿を消した。
それは、自分のせいだと、そう思ってしまったから。
神殿には、カイトの他にも十数名の騎士が派遣されていた。
彼らは未だに帰国していない。
神殿が解放してくれなかったからだ。
当然神国を始め、各国は抗議した。
当初神殿は沈黙していたが、流石に味方につけた筈の辺境の民にも説明を求められれば動くしかなかった。
聖女と派遣された騎士の一人が居なくなったが、聖女が書き置きを残していた、と発表した。
書き置きには短く、『真に信じる人と行きます』とあったそうだ。
筆跡は確かに聖女のものであり、文字に乱れがないことから聖女の意思で騎士と姿を消した可能性が高い、と。
しかし、調査をしたいので、しばらく騎士たちの身柄は拘束したい。
神殿からもたらされた情報により、批難が集中したのがレティシアナだった。
何かを含んだ文面に、聖女と騎士は恋仲になったのではないかと推測する者が多く。
騎士たちの家族、婚約者は、何故婚約者であるレティシアナはカイトの異変に気づかなかったのかと責めた。
カイトの生家である侯爵家にも批難はあった。
しかし、色恋に絡めた疑惑により、婚約者を繋ぎ止められなかったレティシアナに集中したのである。
そこに鬱屈した思いを抱えた妃たちが関与してもいたのだろう。
噂と疑惑は膨れ上がり、父王の力でしても抑えることはできなくなった。
そして、レティシアナは遊学を理由に神国へと逃されたのである。
婚約者が行方不明になったことに、レティシアナも心を痛めていたのに。
彼女も理由を探し、そのなかで幼い頃以上の悪意に晒され、そして行き着いたのは自分が二人の邪魔となり、それゆえに姿を消したという考えであった。
あれから時が経ち。
レティシアナの思考は、ようやく動き出したのである。
予想もしない出来事により、たくさんの悪意に責められ、自分が悪いのだと思い込むことで心を守っていた。
だが、現在。
レティシアナは喧騒から遠い場所で過ごし、龍王と共にあることで、少しずつ周りが見えるようになってきた。
龍王と出会い、愛する喜びが世界を満たした。
龍王の笑顔を見たい。
龍王のそばにいたい。
彼がくれる愛に報いたい。
そうなのだ。
レティシアナが見つけた愛とは、相手を思うこと。
そうして、過去に思いを馳せる。
浮かんだのは、何故? という疑問。
カイトと聖女は恋仲だと、多くの者が口にした。
レティシアナも、そうだと信じていた。
けれど。
本当に二人が愛し合っているのなら、何故こんな不誠実なことができたのだろう、と。
そう思うのだ。
カイトは仲間である騎士たちを置いて行った。
賢い彼のこと、騎士たちがどうなるのかわかる筈だ。
聖女は、人柄も含めよくは知らない。
だが、責任ある立場の者が居なくなれば、混乱が起きるのは必至。
本当に、何もわからずに行動に移したのだろうか。
何故、周りの理解を得ることをしなかったのか。
レティシアナの知るカイトは、侯爵家に恥じぬよう振る舞う人だった。
人は、そんなにも突然変わるものだろうか?
動き出したレティシアナの思考は止まらず、深く沈んでいく。
手紙は、月に何度か来ていた。
カイトの無事を祈るレティシアナは、食い入るように読んでいた。
カイトからの手紙には、いつもレティシアナの身を案じる文があった。
他の者が言うような異変など、温かみのある文章からは感じ取れなかった。
他に想う相手ができたというのに、婚約者の身を真摯に案じる文面を書くという器用なことを、彼にできるだろうか。
だからこそ、無責任な行動に疑問が尽きない。
本当に、ただの逃避行なのだろうか。
ふっと、意識が浮上した。
手を握られたからだ。
大きくて、優しい手。
レティシアナは顔を上げた。
「考え事は終わった?」
優しい眼差しに、思考の海から戻ったレティシアナはきょとんと目を瞬かせた。
そして、ふっと笑う。幸せに満ちた笑みを愛しい旦那さまに向ける。
「はい、旦那さま」
「うんうん。今日はデートだもんねっ」
寝台の上ではしゃぐ龍王の姿に、レティシアナはほっとした。
疑問に答えは出なかった。
けれど。
レティシアナは思う。
愛しい龍王に、誠実でいたい、と。