池の中の王国 03
大人イリスの魅力に危機感でも持ったのか、令嬢がヒステリックに叫んだ。
「魔王が何だと言うの!? こちらには悪魔がいるのよ。
あなた、さっさとこの侵入者たちを片付けてちょうだい!」
あれ? 相手が悪魔だと、魔法で戦って太刀打ちできるのか?
「悪魔の魔力って、ほぼ無尽蔵だったかな?」
「ええ、そうですわね。でも、心配いりませんわ」
「どういうことかな?」
「強大な力を持つ者には、必ず枷がかかるのです。
悪魔の世界は序列が厳しく、行動もかなり制限されているはずです」
侍女たちが教えてくれた。
そんな会話をしている前で、悪魔は令嬢に応えた。
「交わした契約は、王国を造ることと、妖精姫を攫うことだけですよ。
もう既に、達成しています。後は報酬をもらうだけだ」
「何を! 私が魔王になるという目的を達成していない!」
「あなたを魔王にするという契約は結んでおりません」
「ええい、埒が明かない! こうなったら」
王子は玉座から立ち上がると、剣を抜いた。
そして、私に向かって走って来る…かと思えば、なんと一飛びに距離を詰めて切りかかって来る。
ものすごいバネだ。
王子が直接攻撃してくるとは…
イリスを抱いている私には、反撃しようもない。
どうしたものかと考える前に、イリスの声が響いた。
「リフレクト」
イリスの片手から放たれた魔法が、切りかかってきた衝撃ごと王子を跳ね返した。
空を飛んでやがて床に落ちた王子は、ごろごろと転がって玉座の脚に激突する。
…すごく痛そうだ。
「夫に危害を加えることは、このわたしが許しませんわ!」
「イリス」
「アルマン、ごめんなさい」
「え?」
「せっかく大人になったのに…」
腕の中のイリスは、再び少女に戻った。
「護ってくれてありがとう。疲れただろう、少しお休み」
私がそう言うと、イリスは微笑んで目を閉じた。
さて、イリスを攫って軟禁して、更には今さっき侮辱までしてくれた彼等には、どうしてお返しすればいいのだろう?
イリスを抱いたままで攻撃できないだろうか?
見るだけで相手を黒焦げにするような魔術は…どうやればいいだろう。
「魔王様、仕置きをしたいお気持ちはお察ししますが、先にこの悪魔めが契約の報酬を取ることをお許しいただけますか?」
さっきの話だと実行犯はこの悪魔だ。
しかし、丁寧に頼まれたので、つい頷いてしまった。
「ありがとうございます」
銀髪の悪魔は、王子と令嬢に向き直る。
二人は、成り行きに呆然としていた。
「では、報酬をいただきましょう」
「報酬とはなんだ?」
契約を結んだはずの王子が、今更の質問をしている。
「希望の後の深い絶望。たったそれだけですよ。
結界で護られ栄える王国。ここに暮らす民たちは、その幸福を享受しました。
それが一瞬にして幻と化す。
姿が元に戻るだけなのに、どうして絶望などするのでしょうかねぇ…」
「やめろ、やめてくれ…」
銀髪の悪魔は、慈悲深くさえ見える美しい微笑みを浮かべた。
彼に向かって手を伸ばした王子は、全身が緑色に変化していく。
大きさはそのまま、ヌメヌメした質感の緑色のカエルへと…
へたり込んでいた令嬢を見れば、彼女もカエルになっていた。
人語を発せなくなったらしい彼らは「グエッ」と一言鳴いた。
それは、酷く悲し気に響いた。
気付けば、私たちは池のほとりに立っていた。
結界の解けた池には、たくさんのアマガエルがいる。
戸惑ったようにキョロキョロと辺りを見回しているものが多い。
池の中央にある小島には、二匹のアマガエルがいた。
小さな姿に目を凝らせば、一匹は金の王冠を被っている。
「王子には目印を付けておきました。ご存分に、お仕置きくださいませ」
銀髪の悪魔は、そう言って私に跪いた。
「私めへの仕置きも、ご存分に」
「契約の報酬を受け取ったら、悪魔の国に帰らなくてもいいのか?」
悪魔の殊勝すぎる態度に、思わず訊いていた。
「ご覧の通り、私めはどうもショボい仕事しか出来ませんので…
絶望やら怨嗟やら、集めるのが苦手なもので規定量に達せず、もう二百年も帰っておりません」
ああ、着いた仕事に向いてないんだね。
「悪魔は転職できないのか?」
「転職…素晴らしい響きですが、どうでしょう?」
「国には、君の上司がいるのかな…」
その言葉に反応したように、目の前に突然、全身黒ずくめの男が現れた。
「お呼びですか? 魔王様」
「あなたは?」
「そこのショボい悪魔の上司にあたる者です」
意外と簡単に上司キタ…
せっかく来てくれたのだ。話をしよう。
「彼は悪魔の仕事が向いていないようだ。転職させては?」
上司は考え込んだ。そして、何かを思いついたらしい。
「悪魔に生まれた身ですから、役に立たぬとなれば消滅させるしかありません」
厳しいな。
だが、上司の言葉には続きがあった。
「悪魔の力は、この世界の者にとっては脅威。野放しには出来ないのです。
ただし、魔王様の配下として使っていただけるのなら、お譲りいたしましょう」
消滅か使役か。嫌な二択だが、仕方ない。
「わかった。私が引き受けよう」
「では、そのように。確かにお譲りいたしました」
そう言うと上司は消え去り、銀髪の悪魔は呆気なく私の配下になった。
「魔王様、よろしいので?」
いつの間にか、ヘアバンドを辞めて、私の肩に登ったリムが訊いてくる。
いいこと思いついたぞ。
「リムが指導してやってくれ」
「私が悪魔の指導ですか?」
「リムは我が王国の宰相だからな。補佐がいて当然だろう」
「おやおや。そういうことでしたら、お引き受けしないわけにはまいりませんですね」
リムはまんざらでもなさそうだ。
「魔王様、お引き受けついでに、もう一つ」
「ん?」
「この、カエルの池、私が管理しても?」
「ああ、構わないよ」
「ありがとうございます」
「カエルの養殖池ゲットでございます!」
小声で言いながら、肩の上で小躍りするリム。
うん、くすぐったいな。
跪いたままの銀髪の悪魔は、呆然としていた。
「魔王様、ほんとうに私めをこちらに置いていただけるのですか?」
「ああ、上司から引き受けたからな」
「もう、絶望とか怨嗟とか集めなくていいのですね…」
銀髪のイケメン悪魔が泣いている。
「あ、でも食事に魂とか要るのか?」
今更だが心配になって訊いてみた。
「いえ、食事などは必要ありません。
悪魔の身体は、命令通り動く器のようなものです。
今までは国から魔力を供給されていましたが、今後は魔王様から魔力をお借りすることになります」
「ごっそり?」
「いえいえ。私めが使えるのは最大で、仕える主の魔力の十分の一まで。
ただ、この身体が魔法を使うことに慣れておりますので、効率よく魔力を活かすことが出来ます」
なんだか優秀な感じだな。
「仕事で結果を出せないのに、魔力の消費が多いと上司の小言が止みませんので…
どんどん効率よく省魔力化を進めましたところ、そういうやり方が身に付きまして」
「…」
とにかく、頼もしい仲間が増えた、ということでよかろう。
「名前がいるな。…アルジャンでどうかな?」
「…アルジャン」
銀色の悪魔は、何度も頭の中で反芻しているかのようだ。
「素晴らしい名前を、ありがとうございます」
アルジャンは丁寧に礼をした。
「とりあえずは、リムの指示を聞いて動いてくれ。
多少、めんどくさいこと言うかもしれないけど、頼むな」
「畏まりました」
リムはカエルの養殖池にご満悦で、池のほとりでベロベロ舌を出しては、アマガエルたちを怯えさせていた。
「あ、アルジャン、さっそくですけどカエルが逃げないように結界を張っていただけます?」
ほら、と私が少し顔をしかめると、アルジャンは美しく微笑んだ。
うーむ、イケメンだなあ。
リムとアルジャンを池に残し、妖精侍女と共に家に向かった。
途中でイリスが目を覚ます。
「アルマン?」
「イリス、気分はどうだい?」
「…カエルの王子をぶっ飛ばしたので、ちょっと爽快です」
「それはいい」
侍女たちも笑っている。
「君の誘拐実行犯の悪魔は、私の配下になったのだが、構わないか?」
「彼は、わたしを丁寧に扱ってくれたと思います。
それに…彼がしたことのお陰で、アルマンに会えたと思うの」
「そういう面もあるな」
「カエルの令嬢は、なかなか魅力的でしたね…」
イリスがポツリと言う。
小娘と言われたのを気にしているのだろうか?
慰めたいが、大人イリスのほうが魅力的と言ったら、今は少女姿のイリスが傷つくだろうか…
「姫様、あの令嬢のお胸は、少々弾み過ぎではございませんでした?」
「ええ、そうですわ! ちょっとお下品だと思いましたもの」
「弾み過ぎ…カエルだけに?」
妖精侍女たちの助け舟に、思わず呟くと、イリスが思い出したように言った。
「弾んで…ましたね。ポンポンと」
「そうだな、ポンポンと」
私たちは顔を見合わせて、声を上げて笑った。