池の中の王国 02
リムは肩に乗り、妖精侍女の二人は上着の裾をそっと持って付いてくる。
私は胸に、しっかりとイリスを抱いて、いざ、結界内へ踏み込んだ。
ほとんど抵抗なく内側に入れた。
だが、なにぶん、外からの見た目が池だ。
入ったら、いきなり水の中にポチャン、かと思ったが違った。
結界内には、立派な城下町があったのだ。
結界は内側からは、城壁に見える。
城壁内は中央に向かって緩やかな上り坂になっていて、一番高い所には城が建っていた。
街中は人が頻繁に行き交い、活気がある。
ごく普通の人々が暮らす場所に見えた。
ただ、人々は全員、髪の毛がエメラルド色だ。
後は、湿度が異様に高い。
じっとりし過ぎて、何とも息苦しい。
歩き出そうとして躊躇した。
もしも、ここにいる人間の姿をしたものが魔物だったら…
私たちの姿を見せては、まずいのではないか?
「魔王様、姿を隠す術をかけておりますので、ご安心を」
妖精侍女の片方が、囁いた。
なんと気が利くのだろう。
私は黙って頷いた。
腕の中のイリスは、何かを思い出したのか、私の服をギュッと掴む。
背中を支えていた手を動かし、優しくポンポン叩けば、少し安心したような気配がした。
私の肩に乗っていたリムが、イリスの耳元で何かを囁いた。
イリスが頷くと、なんとリムはイリスの頭に巻き付き、ヘアバンドに擬態した。
似合うけどさ…なんかこう、羨ましいというか、オマエ、人の嫁さんのどこ触ってんだよ、というか。
イリスはくすぐったそうに小さく笑っている。
…まあ、このことについては後でリムとじっくり話し合おう。
ようやく歩き出してみると、奇妙なことに気付いた。
姿を隠しているので、ぶつからないように気を付けなければと考えたのだが、こちらへ向かって歩いてくる人が勝手に避けてくれるのだ。
「こちらの姿は認識されないのですが、障害物があることは感じられるようになっております。
それから、音声もこの五人以外には聞こえませんから、よほど大きな音を出さなければ大丈夫です」
すごい術だ。今度、教えて欲しい。
妖精侍女というのは、女王の側近の面もあるのだろうか?
実質、妖精界のナンバー2~4なのかもしれない。
ぶつかる心配がないので、街の様子をじっくり見てみる。
通りの商店が並べている品物は…
食料品店らしい店先には、虫かご。
中に入っているのは三十センチはあるハエや、五十センチを超えるコオロギ。
店の奥には…あまりハッキリと目にしたくないようなモノたちがウゾウゾしている。
イリスに見せたくないと思ったが、既にじっくり見ていた。
「……」
「イリス、大丈夫か?」
「え? 何がですか?」
意外と平気そうだな…
「虫を見て、気持ち悪いと思わないのか?」
「ああ、人間の少女ならそうなのでしょうか?
虫は妖精に近しい者もありますから、気持ち悪いことは無いです」
なるほど、そういうことか。
城までの間、食料品店より衝撃的なものは幸いにして目にしなかった。
他には、人の服装が簡素で、動きが軽快な者が多い感じがした。
城の入口に近づくと、門番はいるものの扉は開け放たれている。
町人も気軽に出入りしているようだ。
リムと侍女たちの顔を見ると「参りましょう」と頷いた。
そのまま、中に入って行く。
入ってすぐ、広いホールがあり、装飾が美しい二つの階段がアールを描いて上へと続いている。
階段の間には閉じられた立派な扉があり、槍を持った衛兵に護られていた。
姿を消していても、さすがに、この扉を開いたら気付かれるだろう。
どうやって通ればいいか考えていると「魔王様、お任せを」と妖精侍女が言う。
侍女の一人がパンパンと二回手を打った。
近づく者がないか頭を巡らしていた護衛がピタリと動きを止める。
もう一人の侍女が、指を鳴らす。すると、扉が勝手に開いた。
促されて通り抜けると、すぐに扉が閉まる。
「衛兵は、何も気付いておりません」
「ありがとう」などと、魔王っぽく言ったが、早業に呆然としていた。
妖精侍女を、師匠と呼んでも差し支えないだろうか…
それはともかく、扉の中は薄暗く、湿度も更に高そうだった。
部屋の奥には玉座があり、ここはいわゆる謁見の間のようだ。
城の構造には詳しくないが、入ってきた扉の外は町人も行き交うホールだ。
王城にしては、妙に甘い造りではないだろうか?
灯りもなく、静まった部屋は無人ではなかった。
玉座に人影がある。
力なくひじ掛けにもたれるのは、若い男。
エメラルド色の髪が煌めく。
これがイリスが言っていた王子様だろうか?
もっとよく見えるように近づこうとしたとき、奥の扉が開いて美しいドレス姿の令嬢が入ってきた。
その後ろからは、銀髪の細身の男。
令嬢に何か言われた男が指を鳴らすと、玉座周辺に灯りがともった。
「まあ、王子。いつまでふさぎ込んでいらっしゃいますの?
麗しいお顔が台無しですわ」
「…誰のせいだと! お前が妖精姫を追放などするから…」
「あら、あれだけ熱心に王子が求婚なさったのに、あの小娘、にべもない態度だったではございませんか。
あれ以上は時間の無駄ですわ」
「そんなことはない。この美しい私を嫌うものか。
照れていただけなのだ。もう少し待てば…」
「脈があったとは思えませんし、わたくしも我慢の限界に達しましたの!
あのような幼女に、しつこく求婚なさる我が麗しの王子…
見ていられませんわ!
あなたのお好みは、わたくしのようなボンキュッボンのはずですわ!!」
「それはそうだが…
しかし、ただの幼女ではないのだ。なんとか頷かせれば、私が魔王になれるはずだ」
「別に魔王になどなれなくても、よいではございませんか。
王子に力を貸す、この悪魔さえいれば王国は安泰。
今の時代、名ばかりの魔王になるより、使える悪魔の方がよろしいですわ」
ねえ、と振り返られた銀髪の悪魔は、空虚な微笑を浮かべた。
「お前も、私の思い通りにしてやると言っていたくせに、結局、妖精姫は私の物になっていない。
悪魔など、たいしたことはないではないか」
「お言葉ですが」と悪魔と呼ばれた銀髪の男は、喋り始めた。
「妖精姫を迎えるために王国を造り、あなたがたの姿を姫にも受け入れやすいよう整え、妖精の花園から大罪を犯して姫君をお連れしたのですよ」
彼は鼻で笑う。
「後は、王子様の魅力不足ではないのですか?」
「臣下の分際で、王子様に対して何という口の利き方ですの!」
「貴様っ! 私を侮辱する気か! 私が魔王になった暁には覚えていろ!」
「王子様が魔王になる機会は、今後、千年は訪れそうもありません。
ご紹介しましょう。こちらが今代の魔王様です」
銀髪の悪魔がパチリと指を鳴らすと、私たちを護っていた魔法が解けたようだ。
「な、どこから入ったのだ!」
「衛兵は何をしていましたの!?」
王子は慌てながらも、私の抱いているイリスに目を止めた。
「妖精姫ではないか! やはり私の元に戻ってきたのだな。
さあ、私の求婚を受けて、私を魔王にするのだ!」
王子は、玉座から立ち上がりすらしなかった。
妖精姫が自ら、近づいてくるとでも思っているようだ。
「お断りいたしますわ!」
イリスは背筋を伸ばして顔を上げると、王子に言い放った。
それから、ギュッと私の首にしがみつくように抱き着く。
「わたしには、アルマンという素晴らしい夫がおりますもの!」
王子と令嬢は、私の顔をじっと見た。
そして同時にふふん、と笑った。
「それが、妖精女王の夫? 魔王? そんな平凡な人間風情が?」
「妖精は冗談がお好きなのね」
平凡と言われても、私は別に何とも思わなかった。
もともと、自分の容姿が平凡なことは知っている。
金の繭に包まれた後、鏡を見たが、見た目は全く変わっていなかった。
今でも私は、ごく普通の男だ。
「冗談ではありませんわ!
アルマンはわたしを見つけて温めてくださいましたもの。
森に放置されて冷えた身体も、攫われて軟禁され、凍ってしまいそうだった心も。
わたしに温かな愛を教えてくれたのは、アルマンです」
腕の中のイリスが少しだけ重くなった気がした。
彼女は、妖精女王の姿になろうとしている。
私は、彼女の抱き方を変えた。
お姫様抱っこへと。
「アルマン…あの、下ろしてくださっても…」
「いや、この国に、君の足を着かせたくはないな」
「…アルマン」
大人の姿ではにかむイリスも…可愛い。
そして、抱いていたから気付いた事実。
イリスさん、お胸が…かなりなものです…