一の姫と森の魔王 03
私たちは、ゆっくりとシチューを作った。
食事の時間が決まっているわけでもないし、客が来るわけでもない。
気楽なものだ。
野菜の皮をむいたり、切ったり。
出来上がりのデコボコで不揃いな形を見て、笑いあったり。
無事、怪我もなく、全ての材料が鍋に入り、暖炉で煮込み始める。
出来上がるまでは、まだ時間がかかる。
食料品店で買ってきたクッキーを出して、お茶にした。
お茶を淹れる私の手元を、彼女がじっと見ていた。
「どうかした?」
「人間の大人は、何でも出来るのね」
人間の大人? 少し変わった言い回しのような気がする。
「少なくとも、私は、何でもは出来ないかな」
「お料理も出来るし、お茶も淹れられるのに?」
「それは生活に必要だから覚えたんだ。そうだな…」
私は目の前のクッキーを取った。
「私はクッキーを作れない。
だから、こうして他の人の作ったものを買ってきて食べる。
私は魔道具を作ることは出来るんだ。
お金を仲介して、出来ることを互いに交換しているわけだ」
「わたしは何も出来ない…」
「そんなことはない。料理を手伝ってくれたし、リムの話し相手をしてくれた。
今は、私の話し相手をしてくれている。
自慢じゃないが、普段は私も料理などしないんだ。
君というお客様がいるから、私も温かいシチューを食べられるんだよ」
一人なら、干し肉とパンをかじって、お茶で流し込めばいい。
後はせいぜい、リンゴでもかじればいいだろう。
それで十分だ。
「わたしも覚えられるかしら…」
「大丈夫だよ。焦らず、ゆっくりやればいい」
私は、彼女の身元を探らねばならないことを忘れかけていた。
なぜか、私よりずっと常識的なはずのリムも、それを急かさなかったのだ。
シチューは、とても美味しく出来た。
ちょっと芋が溶けかかっていたり、ニンジンの皮が残っていたりしたのは、ご愛敬だ。
翌日から、リムの指導で、彼女は家事を覚え始めた。
物干し用のロープを、彼女向けに下げようとすると
「シーツが下についちゃいますよ!」
とリムに怒られた。
「こういう時は、踏み台です」
物置を探すと踏み台が見つかった。
洗濯ものを干す様子を見ていると、踏み台の上で爪先立っている。
危ない、と思う間もなく落ちそうになった。
私は慌てて魔法で彼女の身体を浮かせた。
「ありがとう」
地面に下ろすと、窓の下までお礼を言いに来る。
私は、けして、そういう趣味ではないのだ。
ないのだが、彼女は…可愛すぎる。
冷や冷やしながら見ていてもしょうがないので、残りは手伝った。
朝の食事はビスケットとミルクで軽く済ませたから、昼はサンドイッチを作ることにした。
硬めのパンとハムを私がナイフでスライスする。
彼女はリムに教わって、ゆで卵を作った。
柔らかくしたバターをナイフでパンに塗る。
彼女はそこに、ハムとゆで卵を載せた。
「いただきます」
ミルクティーを用意して、サンドイッチにかぶりつく。
彼女も出来るだけ大きく口を開けて、ぱくりと噛みついた。
よく噛んで、のみ込んだ後、嬉しそうに笑う。
「おいしい!」
テーブルの隅では、リムが山盛りのゆで卵をご機嫌でパクついていた。
彼女が頑張って全部むいたのだ。
それにしても、リムがそんなにゆで卵好きだったとは、知らなかった。
「ミルクティーもおいしい! 今朝、ミルクだけで飲んだ時もおいしかった」
ミルクはリムの伝手で手に入れていた。
リムの知り合いが乳牛を飼っていて、そこから分けてもらっているらしい。
リムに頼まれて搾乳用の魔道具を作ったら、その代金の代わりに時々搾りたての牛乳が家の前に置かれている。
時間を止められる収納空間があるので、新鮮なまま保管できる。
他では飲んだことが無いような、濃くて癖のない牛乳だった。
もう既に、魔道具の代金以上に牛乳をもらっている気がして、一度リムに相談したのだ。
すると「適時、絞らないといけないらしいので、もらっておきましょうよ」と言われた。
ならばと搾乳機が壊れたら、いつでも無料修理する、と伝えてもらった。
食事の片付けをすると、彼女はうつらうつらし始めた。
朝から、いろいろ頑張って働いたのだ。
小さな身体でエプロンを翻しながら。
「少し、昼寝をしたほうがいいよ」
「うん」
仮の寝床にしている長めのソファに大人しく横になったので、毛布をかけてやった。
そろそろ、ギルドから注文された品の作業に取り掛ったほうがいいだろう。
魔道具を作る部屋は、細かい道具がたくさんあるので別にしてある。
だが、暖炉の火も心配だし、まずは居間で設計を考えよう。
「なんだ、リム?」
「いえ、暖炉の火なら、魔法でキープ出来るんじゃないですかね?」
「……」
出来るさ、出来るとも。
ちょっと面倒だけど。
「彼女が起きた時に、寂しがるかもしれないだろう」
「なるほどなるほど」
仕事部屋にこもってしまったら、私は時間を忘れるかもしれない。
起きた彼女が、暗くなった部屋でポツンと一人ぼっちなんて嫌だ。
私は一人掛けのソファに座り、魔術師ギルドからもらってきた注文書を見始めた。
ざっと見て、それほど難しいものはない。
余白にいくつかのメモを書き込んで、テーブルの上に置いた。
伸びをして、ふと彼女を見れば、ぐっすり眠っている。
毛布を掛け直してやる。
暖炉の薪は十分くべてあるし、温かい。
しばらくは大丈夫だろう。
私も腹いっぱいで眠くなってきた。
ひざ掛けをとり、ソファに戻る。
眠りかけた私の耳元で、リムが何か言った気がした。
「…お嬢さんのこと、ちゃんとお呼びしたいですねぇ」
「…ん? …呼ぶ?」
「一の姫様、では味気ないですねぇ」
「………な、まえ?」
そこで意識が途切れた。
眠りに落ちる途中で、彼女の深く青い瞳が綺麗だなと思った。
「…さま、ま…さま」
誰かが呼んでいる。
「まおうさま」
魔王様? いいや、私は魔王ではない。
瞼を開くと、私を覗き込んでいた彼女と目がった。
「私は魔王ではないよ。私の名はアルマンだ」
「アルマンさま」
「さま、は無しだ」
「…アルマン」
私は出来るだけ優しく、彼女に微笑みかけた。
「君にも名前が要るな。
保護者が現れて、後から名付けるかもしれないが…
ここにいる間の、仮の名前を付けてもいいかな?」
「はい」
彼女はしっかりと頷いた。
なぜだか、側にいるリムが緊張しているような気配がした。
「青い目が綺麗だから、イリス。イリスはどうかな?」
「素敵な名前。…わたしは、イリス」
その時、彼女の身体が柔らかく白い光に包まれた。
ふんわりとした繭のような光。
それが収まると、そこに立っていたのは美しい大人の女性。
黒い髪に深い青色の目。
「イリス?」
コクリと頷き、恥ずかし気に微笑むイリス。
少女用に買ったはずのドレスは色味や生地はそのまま、ちゃんと大人サイズになっていた。
不思議なことに、デザインも大人向けで、よく似合っている。
「君は…もしかして妖精姫?」
イリスは頷いた。
子供の頃に聞かされたおとぎ話に、妖精姫の話があった。
妖精姫は少女の姿で生まれる。
何かの条件を満たすと、大人の姿になって妖精女王になるのだ。
その条件の一つに、名づけを受け入れるというものがあるらしい。
あれは本当の話だったのか?
だが、名づけを許される相手というのは…
「アルマンは、私の旦那様」
「え?」
「…嫌ですか?」
んなわけはない。
「嫌ではない」
「よかった」
花のように柔らかな微笑み。
綺麗だ。
だが、彼女が妖精姫なら寿命がとても長い。
人間の私では、すぐに彼女を置き去りにしてしまう…
いや、それでいいのかもしれない。
そうしたら、新たなパートナーを選び直せばいいだろう。
仮の、そう仮のパートナーだと思っていればいい。
一時、君の寂しさを慰められるなら、それでいい。
「アルマン、私と結婚してくださいますか?」
「私でよければ。イリス、貴女と共に…」
そう答えた時、今度は私の周りが光りだした。
強い金色の光だ。
金の繭に包まれて、熱い流れに呑み込まれた…
「アルマン、なんともない?」
「…ああ、大丈夫だと思うが。何があったんだ?」
気付けば、元の部屋の中に立っていた。
目の前には心配そうなイリスとリム。
リムはちゃっかり、イリスの肩に乗っている。
「魔王様?」
「リム、私は魔王ではないと何度言ったら…」
「ごめんなさい、アルマン」
私の小言にイリスが割り込んできた。
「貴方は、もう魔王なの…」
はい?