静かな時間 02
それから長い時を経て、ある時、森の端っこでリムは人間に会った。
慌てて身を隠そうとしたリムに彼は言った。
「邪魔をしてごめんよ。ここに落ちている魔力を含んだ枯れ枝が欲しいんだ。
拾ったらすぐに帰るから、見逃しておくれ」
リムはビックリしていた。
そして気付いた。
その人間は魔力が多い。
魔族の自分が、うっかり姿を見られてしまったくらいに。
ヘビを嫌う人間は多い。
毒のあるものがいるし、大型のものには絞め殺されそうだと警戒する。
意外と動きが素早くて、見極めるのが難しいのも嫌がられる。
でも、あの人間は、落ち着いて話しかけてくれた。
怖がらずに、しかも、自分の方が侵入者だと謝罪してきた。
魔力が多く、落ち着いていて、小さい動物を馬鹿にしない。
もしかして、もしかしたら、彼は魔王になって、困った時に助けてくれたりしないだろうか?
自分だけではない。
魔族とはいえ、小さく、何にも抗う術の無い者たちを見守ってくれないだろうか?
それから、暇なときは森の端っこで彼を待つようになった。
彼は何度もやってきて、その度、リムに声をかけて来る。
リムは森の様子を見守っているドワーフのジャックに相談した。
魔王様に推薦したい人間を見つけたから、この森に住んでもらうことは出来ないだろうか、と。
ドワーフのジャックにしてみれば、地上の森の管理は少々手間がかかる。
魔王が現れて、面倒を引き受けてくれるなら、そんなにいいことはない。
ジャックは時々森にやって来る人間が、魔術師ギルドに所属していることを突き止め、ギルドに勤める獣人のルナルドに相談した。
ルナルドからは、魔王候補の男が魔道具の研究をするのに、手狭な貸家で苦労しているという情報を得た。
ジャックはドワーフ。作るのは得意だ。
森の中に家を建て、住人を募集する大家を装った。
そして、ルナルドを通して、魔王候補の男に、森の家の借り手を探していることを伝えた。
引きこもり体質だと言う男は、思ったより早く森に引っ越してきた。
だが、魔王にするには魔族七代表の推薦が必要だ。
リムもジャックも、長期戦を覚悟していた。
男が森に住み始めてから、リムは家の周りにいつもいた。
彼が来てくれたことが嬉しくてしょうがなかった。
巣穴は別のところに構えていたが、こうなったら、家のそばに新たな住処を用意しようかな、なんて考えていた時だった。
「おはよう」
木の枝に巻き付いていた自分を見上げて、男が挨拶をした。
「君は、いつも森の端っこにいたヘビかな?」
言葉は通じないので、頷くように頭を動かす。
「おや、話が通じた」
男は笑った。
リムは嬉しかった。
それからも男はいろいろと話しかけてきた。
人っ子一人いない魔物の森だ。
他に話し相手もいないだろう。
男から、薬草や霊木の生えた場所を訊かれて案内した。
お礼に、家の中に招かれ、チーズというものを御馳走になった。
野生動物であれば、人間の食べ物は身体によくない。
幸いにもリムは魔物だ。
美味しいものには、身体の方が合わせていくという都合のいい能力があった。
家に招かれた日から、帰れとも出ていけとも言われなかったので、リムは家に居座った。
相変わらず、男との会話は頷くのと首を横に振るのの二種類で済ませていた。
そんなある日、美味しいハムを御馳走になってご機嫌なリムに、男が尋ねた。
「君と話がしたいんだ。魔法をかけても構わないだろうか?」
リムは一瞬なんのことか分からなかった。
でも、少し後でハッとした。
そしてブンブン頷いた。
「落ち着いて」
男は笑って、リムに手を差し出した。
リムは、そっと手の甲に頭を摺り寄せてみた。
「そのまま、私の手に触れていて」
男は空いているほうの手で魔法陣の描かれた小さな紙片を持ち、リムの上にそっと置いた。
すると、リムの頭はポカポカと温かくなり、気付けば紙片は消えていた。
「まおうさま」
リムが最初に発した言葉は、それだった。
「え、何だって?」
「まおうさま!」
「私は魔王ではないよ。……君の名前は?」
「リムです。まおうさま!」
「私の名はアルマンだ」
「魔王のアルマン様」
男は根負けして、好きに呼ばせることにした。
時々は、軽口で文句を言ったけれども。
それから後の話は、私もよく知っている。
リムは、よい話し相手になってくれた。
どこで仕入れて来るのか、私に人間の常識すら教えようとした。
「生意気なヘビだとは思わなかったのですか?」
声をかけられて目を開けた。
室内にはいつの間にか、アルジャンがいる。
「生意気と思ったことはないな。
リムがこんな経験をしていたことは知らなかったが、彼の言うことには何かあると感じていたのかもしれない」
「そうですね。宰相様は、それなりの御歳ですしね」
私は不安を覚えた。
「……リムの寿命は、どうなんだろう?」
「通常ならば、そろそろ晩年に差し掛かっているところなのですが」
リムは結構なお爺さんなのか……
「魔王様に出会って、いろいろ甘やかされた弊害で、寿命が延びております」
弊害って、アルジャン?
「魔王様の愛情に常に触れているので、あと数百年はかたいかと」
それなら、まだまだ一緒にいられる。
それに……私が先に逝く心配はなさそうだ。
あんな経験をしてきたリムを、置いて逝くのだけは嫌だからな。
そう言えば……
「アルジャン、これは魔法の地図なのか?
リムの過去が私の脳裏に映されたのは、これのせい?」
「いいえ、そうではありません。
地図は、具体的な場所を思い浮かべるためのきっかけになっただけです。
魔王様の知りたい気持ちと、宰相様の知って欲しい気持ちが働いたのでしょう」
私が興味本位で、一方的にリムの記憶を覗き込んだのでなければいいのだが。
「そろそろ、お茶の時間です。
ミルクハウスに移動しましょう」
「リムも連れて行こう」
「畏まりました」
アルジャンが乳母車と共に転移した。
私は一階の様子を見てからミルクハウスに向かおうと、階段を降りた。
すっかり作業場と化した一階には、イリスと妖精侍女が一人。
メリーさん一行はミルクハウスに移動中だ。
「アルマン、丁度いい所に。見てください!」
笑顔のイリスが手で示したテーブルには、編み物作品がひとつ置かれていた。
「これは……リムの?」
「ええ。すごいでしょう?」
今、リムが付けている着ぐるみは、単なる細長い袋のような形だ。
だが、そこにあったのは、メリハリのあるボディに手足と頭がついた、つまるところコスチュームと言えるものだった。
なんと、立派な翼までついている。
「ドラゴン、か?」
「皆で作業していたら、どんどん凝ってしまって」
「素晴らしいが、リムに見せたら『ヘビの尊厳が……』とか言い出しそうだな」
「そうですね。着るかどうかはリムに委ねないと」
だが、着たらどうなるのか、是非見たい。
イリスたちと一緒にミルクハウスに入った。
今日のお菓子はアップルパイ。
甘酸っぱく香ばしい香りが、部屋中にあふれている。
とはいえ、メリーさんたちは菜食主義者だった。
ミルさんが監修し、妖精侍女が美しく盛り付けたサラダを前にしている。
「遅れて済まない。さあ、お茶を頂こう」
一応、この森の主となっている私を待っていてくれた皆が「いただきます!」とパイやサラダにかぶりつく。
旺盛な食欲は見ていても気持ちいい。
いつもは隣にいるイリスが一席分離れて座っている。
彼女と顔を見合わせて『美味しい』とアップルパイの感想を伝え合った。
イリスと私の間には、リムの乳母車が置かれている。
さっきのやり取りから、アルジャンが気を利かせてくれたのだ。
皆が食べ終わるころ、リムが目を覚ました。
「なんだか、いい匂いがいたします……」
幌に掛けた淡い琥珀色のレースから、鮮やかな緑の頭が顔を出した。
「アップルパイだよ」
「私の分もございますか?」
「もちろんだ」
少し寝ぼけ気味のリムが、笑った。