街へ 01
魔王になってから、服が汚れない。
いや、汚れはするのだが、すぐにアルジャンが感知して浄化してくれるのだ。
いつでもクリーニングしたての服、更にはなんとなく新品方向に戻っている気までする。
かといってけして着心地が悪くもなっていない。
彼の魔法は、本当に細やかである。
考えてみれば、アルジャンにしろ妖精侍女にしろ、ここに来て以降、着ている服が変わっていない。
なるほど、こういう仕掛けか、と思った。
イリスも、私が最初に用意した服をずっと着続けている。
今の時代、貴族や金持ちでなければ、それほど服は持たない。
普段着、寝巻、礼服の三種類があれば十分だ。
普段着は三着目の予備があれば贅沢なくらい。
幸い、私は魔道具の儲けが生活費を上回ったので、季節に合った服を揃えることが出来ていた。
その感覚でいくと、イリスに着替えが必要ではないかと考えてしまうのだ。
「妖精であれば、気分で服を変えることは造作も無いのです」
ほら、このように、と妖精侍女は服のデザインも色も、次々変えて見せた。
「でも、姫様は魔王様にいただいた服が気に入っているので、そのまま着ていらっしゃるのですわ」
イリスが着ているのは、普段着よりは少しお洒落なドレスだ。
旅行用として見繕ってもらった成果だった。
妖精女王の姿になった時は、少し大人っぽいデザインに変わっていたが、妖精姫の姿になったとともに服も戻っていた。
「イリスに服を贈りたいな」
「まあ、是非お願いいたしますわ!」
妖精侍女の笑顔が喜びに輝いた。
…といった会話を前にしたことがあった。
それで、イリスを街のドレス店に連れてきたのが、今日のことだ。
「お客様、また御越し頂き、誠にありがとうございます。
もしかして、こちらの可愛らしいお嬢様が姪御様で?」
にこやかな店長に出迎えを受けた。
「ああ、姉が旅行の途中で、私の顔を見に寄ってくれたんだ」
ということにしておこう。
「左様でしたか。当店のドレスが、こんなに美しいお嬢様に着ていただけているとは…感無量でございます」
話し方がなんだか、リムみたいに大げさだ。
イリスが本当に可愛くて綺麗だから、全然お世辞ではないのだが。
「本日はどのようなご用件で?」
「この通り、ここのドレスがとても気に入っているようだから、もう数着、買い足そうと思って」
「ありがとうございます!」
「私は他に用事があるので、姪と、彼女の家庭教師を預けていく。
よろしく頼む」
「畏まりました」
イリスの設定は、上流家庭のお嬢様。
私の架空の姉は、イリスを産むほどの美貌を買われて、身分のある男に嫁いだのだ。
そういう家なら、侍女かメイドか家庭教師の女性を娘に常時つけている。
私は店を出て、魔術師ギルドに向かった。
一緒に来ているアルジャンは、市場に出されている作物を見に行っている。
魔術師ギルドに入ると、いつものベテラン職員が迎えてくれた。
「アルマン、新婚旅行短すぎないか?」
「貧乏なので、しょうがない」
言い訳を思いつかなかった。
そうだ、新婚旅行でギルドの仕事を休むと言ったのだった。
「メンテナンスの依頼はあるかな?」
「いや、ない。お前さんの魔道具は滅多に壊れないからな。
新しい注文は、急がないというのだけ受けたんだが、どうする?」
「大丈夫だ。請け負うよ」
「そうか、ありがたい」
ギルドカードを渡すと、魔道具に通している。
データを読む職員の顔が驚きを見せた。
「…アルマン、これ」
「なにかあったか?」
「職業に魔王が追加されてるが」
魔王って職業なのか。
今のところ、森の管理人らしいのだが。
「なんだか、そういうことになった」
「そうか…魔王様か。あんたの魔力量なら、不思議ではないが」
「というか、魔王そのものには驚かないんだな」
「ああ。こういう可能性もあるから、魔力量の多い魔術師の対応は気を付けているんだ」
彼によると、魔術師ギルドの入口には魔力量を計測する装置が付いているそうだ。
一定以上の魔力量を感知すると、受付の職員がベテランに替わるらしい。
「とりあえず、魔王就任おめでとうございます」
「ありがとうございます?」
「魔物代表七種集めた?」
「まさか」
「あー。ということは妖精女王か!」
「そんなところだ。詳しいな」
「そもそも魔力量の多い人間というのは魔物の血を引いているんだ。
人間同士でつないできた血統には、魔力の多い者は生まれないんだよ」
魔物、獣人、半獣人。いろいろ交わって血が受け継がれている。
初めて聞く話だが、どこか納得できる。
「魔力のある者が、言ってみれば半魔物だということを隠して人間に混じっているわけだ」
「ということは、君も?」
「ああ」
そう答えた受付の男は、ヒョイっと耳と尻尾を出して見せた。
「モフモフ…」
「俺は白狐の半獣人だ。魔力もそこそこある」
「私はどうなんだろう? 両親や他の親族も、特に魔力が多い者はいなかったな」
「だとしたら、先祖返りかもしれない」
自分がどれだけボーっと生きてきたかわかる。
リムやイリスに会わなければ、一生知らずにいたのかもしれない。
「ちょっと訊きたいんだが…」
「俺でわかることなら」
「魔王って、魔物の面倒を見なければいけないのだろうか?」
受付係は一瞬固まった。
「…そうだよな。魔物の王様だから、そうなのか?」
「放っておいても配下がどんどん増えるんだが…」
「よくわからんが、少なくとも今のところ俺は面倒を見てもらおうとは思わない。
今まで通り、魔術師ギルドの受付として付き合いたいと思う。
俺の立場で言えるのは、それだけかな」
「そうか、ありがとう」
私は少しホッとした。
その時、アラームが鳴り響いた。
「なんかヤバそうな奴が来たようだぞ。魔王様、狙われてたりする?」
いや、心当たりはないが…
「魔王様! よい野菜がたくさん買えました!」
バッと扉を開いて、満面の笑みで入ってきたのはアルジャンだった。
固まる私と受付係に丁寧に頭を下げる。
「これは失礼いたしました。喜びのあまり、つい。
初めてお目にかかります。私、魔王様にお仕えしていますアルジャンと申します」
「…これは、ご丁寧に。
俺は魔術師ギルドの受付をやってるルナルドだ。
魔王様の受付は今後、俺が専任だからよろしくな」
「畏まりました」
「アルマン、彼は何者だ?」
「元悪魔だ」
「上司に見放されまして、魔王様に拾っていただきました」
「なるほどな。
アルマン、お前は少し人が好過ぎる。
大魔王城でも建てない限り、そうそう魔物が集まることは無いと思うが、気を付けた方がいいかもしれない…」
『大魔王城』にアルジャンが反応していたが、スルーだ。
そういえば…
「アルジャン、どうやって野菜を買ったんだ? 金は?」
下見だけだと思ったのでアルジャンには金を渡していない。
彼の収納空間には生死を問わないアンティークが唸っているようだが、まさか…
「ミルさんから、お菓子を預かっておりまして。
商業ギルドに持って行ったら、鑑定しがてら味見をした職員の方がギルドのおやつ用にとお買い上げくださいました。
その売り上げで買い物をしました。
次回のご注文もいただいております」
事後報告万歳。
料理長も執事も優秀過ぎて仕事が早い。
アルジャンは執事でよかろう。庭師を兼業で。
「商業ギルドで即買い上げの菓子? それは食べてみたいな」
「まだございますので、こちらをどうぞ。
魔王様がお世話になっているのですから、ご挨拶代わりに」
「じゃあ遠慮なくいただこう。どうもありがとう」
アルジャンはラッピングされた包みとは別に、試食用のケーキが入った箱も差し出した。
そんなものまで用意しているとは。
一通り味見したルナルドは、一通り予約注文してくれた。
毎度あり!