魔王と森の魔物 04
アルジャンがミミズを放った畑は、一日経つとすっかりフカフカの土壌になっていた。
秘蔵のミミズは、やはり一味違うのだろう。
雌鶏軍団がリムを捕食することは無いが、一味違うミミズは食べたそうだった。
規律正しいレディたちであるから理性で堪えてはいるものの、ついついふらふらと畑に吸い寄せられてしまう…
穏やかな微笑みを浮かべながら、アルジャンは黙って畑を結界魔法で覆うのだった。
現在、畑周辺を哨戒中の雌鶏は四羽。
八つのつぶらな瞳と、アルジャンの艶めく瞳が見つめ合った。
口には出されないものの、その表情が語る内容はこう見える。
「レディ、ごちそうを目の前にぶら下げる無礼をお許しください」
「いいえ、構わなくてよ。あなたの務めですもの」
妄想のような会話を頭の中でしていると、アルジャンが私を振り向く。
「魔王様、ほぼ合っています。ちゃんと我々の心中を読めていらっしゃいますよ」
などと言う。
だとすると、自分で妄想だと思っていたのは、観察対象から感じ取った心の内だったのか?
「多分、ご自分で気付かれていない能力が、いろいろ眠っているかと思います」
簡単に使えるのに、気付いていない魔法があるのか?
しかし、それよりも…
「アルジャン、私は気付かずに破壊魔法など出すかもしれないのか…?」
最初に火魔法を失敗して、イリスの魔力を不安定にさせた実績がある。
暢気に考えていたが、あの時、もしも私の魔力がもっと暴発するようなことになればイリスを傷つけていたかもしれないのだ。
「魔王様は、基本の性格が穏やかなので、滅多なことはないと思います。
心配ならば、私が家庭教師を務めましょう」
なんと頼れる元悪魔なのだろう。
そして、やはり、きちんと魔法を習い直さなければいけないようだ。
「魔王としては、生まれたてなのだから、一から始めるべきだな。
よろしく頼んだ」
「畏まりました。ではまず、畑を作りましょう」
魔王の道も一歩から…そして、その道は畑から始まるようだ。
魔王ってこんなんでいいのか?
「…そもそも魔王って何なんだろう。
私は今まで自分とは関係ない、おとぎ話の登場人物のように思っていたんだ」
「時代によって様々です。偶然が重なって誕生するものですし。
この森には、魔王誕生の条件が集まりやすかったわけですが、それでも、アルマン様がここで生まれた初めての魔王様です」
「リムは、どうして私を魔王に推そうと思ったのかも分からないしな」
リムが、魔物の森の管理人が欲しかったのは分かった。
だが、なぜ私だったのだろう?
畑の近くを、のしのしとトレントのラピッドが歩いて行く。
トレント酔いから回復したらしいリムは、なんとオルと共にラピッドに乗っていた。
「宰相と将軍が同等に並び立つのは、平和の象徴でございます」
左右に張り出した枝に、それぞれリムとオルを乗せているラピッドが一番偉そうに見えるのは、気のせいだろうか?
トレントは無表情なので、どことなく凛々しさが漂うのだ。
鳥族が苦手なリムが、どういう風の吹き回しなんだろう?
「妻は一匹でも扱いが大変なのに、二十四羽も!
雄としては尊敬すべきと考えます」
オルは軍団の長ではあるが、穏やかそうだ。
話せばわかり合えるのかもしれない。
後は、リムの過去が気になるが…
「黙って背中で語りたいと思います」
……語る肩とか、哀愁の背中とか、どの部分を指すのかな?
「当ててごらんなさいませ!」
いや、興味ないし。
きっと、アルジャンが畑にかかりきりで遊んでくれないので、新しい友達を作ることにしたのだろう。
通り過ぎかけたラピッドの枝から、リムが振り返った。
そして、感慨深げに頷いている。
『魔王様、心を読めるようになったのですね。
ようございました。私がお世話した甲斐があるというもの!』
と言っている顔に見えた。
畑の横で、慎重に種を選んでいたアルジャンが小さく笑っている。
「なにか、可笑しかったか?」
「申し訳ございません。魔王様は心を読んだ相手の言葉遣いまで再現されるので、その丁寧さが素晴らしいな、と思いまして」
な、なるほど。この辺が無駄なのだな。
魔物や妖精、悪魔たちは必要な情報だけを読み取るのだろう。
「難しいものだな」
「いいえ、魔王様はそのままでいいのです。
…ところで、古代カボチャを植えてもよろしいでしょうか?」
「大きいのかな?」
「一個で最大八人乗りの馬車が作れますが」
妖精侍女が杖を振る場面が見えた。
舞踏会に出かける、ドレス姿のイリスも。
…いや、駄目だろう。王子に会いに行かせるわけにはいかない。
「いくら収納空間があっても、大きすぎないか?」
「そうですね。カボチャ祭りを開催する時までとっておきましょう。
ゲスト用のコテージに、いいかもしれません」
アルジャンの農園計画には収穫祭まであるのか…
本当に農業が好きなようだ。
「もう少し、食用に向くものはないのか?」
「万能野菜の種がありますが…」
「万能野菜?」
「一株に、キュウリやナスやトマトや豆などが生ります。
カボチャやスイカ、サツマイモなどが生る蔓だとか…
撒いてみないとわからないのです」
「必ず、食用野菜が生るのだろうか?」
「…食用可能なものが生るのは間違いないのですが」
「詳しく?」
「…調理して食べると、まことに美味でありながら見た目が動物的な何かだったりすることもございます」
元悪魔が言い淀むような『何か』って…さすがに遠慮したい。
「街で、普通の種を買ってきたいのだが?」
「名案です」
「ミルさんに、どんな野菜が欲しいか訊いてみよう」
「素晴らしいお考えです!」
アルジャンは、どれだけミルさんを崇拝しているのだろう。
結局、その日は黙々と畑を整えた。
積み重ねるのではなく、イメージを直接再現するように魔力を使う。
アルジャンが作った畑の隣に、同じものを作る感じで…
少し時間がかかったが、自分では満足のいく出来上がりだった。
しかしアルジャンは「なかなかよろしいです」と言いながら、土中の石ころや小さな根っこを人差し指一本で、パパっと掘り起こした。
それから、彼は元の畑に屈みこみ、土に向かって優しく声をかけた。
すると、地面からミミズが現れ、新しい畑に移動していく。
鮮やかな手並みに、感嘆するばかりだ。
いや、まだ一日目だ。明日も頑張ろう。
その夜、母屋のリビングで雑魚寝前の寛ぎタイムに、ミルさんに料理に使いたい作物を訊いた。
「うふふー、なんでもー、おいしくできるのー」
さすがミルさん。
「では、今から適当に何か撒いて来ましょう!」
アルジャン、その張り切りは要らない。
「いや、明日、街へ行って種を買って来よう。ついでにギルドに寄りたいし」
注文は受けなくとも、以前に作った魔道具のメンテナンスを頼まれることがある。
それから…
「イリスも一緒に行ってみるかい?」
「いいのですか? 嬉しいです」
実を言えば、イリスを連れて行くのが本命だった。
少女姿の彼女と一緒に歩けば、おそらく父親か叔父に見られてしまうだろう。
いや、彼女との品の差で、従僕に見られたり…
まあ、イリスが楽しめればいいか。
妖精侍女が付き添い役を決める勝負を始めていた。
杖を出して、やたらキラキラしたものを振りまいているが大丈夫だろうか。
アルジャンは暗記できるくせに、わざわざミルさんの欲しいものリストを丁寧に紙に書きつけている。
ちらりと見えた紙の裏面に、物凄いマーブル模様があるような気がしたが…
彼の収納空間には、まだまだ謎が多い。
リムとオルは暖炉の上で、二十羽の雌鶏は適当に固まってうつらうつらしている。
四羽の雌鶏は哨戒中だ。
アルジャンも結界を張っているが、雌鶏の目視もあったほうがいいらしい。
森が王国で、農場になりつつあるここが王城。
鶏軍団は王国軍やら近衛やらの立ち位置だ。
初級の魔王には、過ぎた配下であることは間違いなかった。