魔王と森の魔物 03
家に帰ると早速アルジャンが何やら作業を始めた。
庭先に置いたテーブルの上で、ちょいちょいと珈琲を焙煎し、茶葉を乾燥させ、なんやかんやと仕上げている。
それを見ていると、自分の考える魔術とはずいぶん違うようだ。
人間の使う魔術は、細かい術式に則って、望む結果が得られるように少しずつ積み上げていく。
アルジャンや妖精侍女の使う魔法は、イメージするだけで結果を出せているように見えた。
もしかして、人間が使う魔術は、魔力を無駄に食い過ぎている?
「魔力を使って戦争でもしない限り、そこまで使い過ぎないと思います」
アルジャンが応える。
煎りたての香ばしい珈琲豆の香りがしてきた。
大昔には魔術合戦のような戦争が主流だったらしい。
大魔術師などと呼ばれる者が、一撃で王都を半壊させるような魔法を使ったという記録もある。
民衆はただ、生活を脅かされ、傷ついたり亡くなったりしていった。
「魂も、絶望も、怨嗟も集め放題でしたよ。
それを悪魔の国で魔力に変換し、また戦争のエネルギーとして循環させていました」
「悪魔は、戦争を煽ったのか?」
「それはありません。諍いを望んだのは、人間です。
悪魔は手助けをしているようなものですよ。
循環がうまくいけば、戦争は終わらない。
私めなど、すっかり飽きてしまいまして…」
「虚しいな」
「そう、虚しいんです!
ですが、悪魔が虚しいなど許されない、と上司に一喝されまして。
もう消滅でもいいかな、とカエルなどと遊んでおりました」
アルジャンは紅茶の葉の香りを確かめて、満足そうに微笑んだ。
「午後のお茶に間に合いました。
失礼して、ミルクハウスに行ってまいります」
一人残されたので、さっきから気になっていたものを視界に入れた。
ついて来た若いトレントだ。
彼(推定)は、木を切り倒したあとに広がった場所を、素早く走り回っていた。
地面には切り株が残っているので、足、いや根っこを取られないか心配したが、見事に避けていた。
まっすぐ走り、直角に曲がり、また走り…を繰り返している。
私の視線を感じたのか、こっちに走って来た。
「この場所は気に入ったかい?」
彼は一度目を閉じて、パッと開いた。
肯定のようだ。
「もうじきティータイムだ。君もお出で」
今度は目を閉じたまま、開かない。
否定かな?
「魔王様、トレントは水分や空中の養分以外は飲食しないのです。
…うぇ、キモチワルイ…」
だらりと枝にぶら下がったリムが応えた。
「そうか、残念だな」
「私も午後のお茶はパスします」
「リム、トレントに酔ったんだな?」
「…なんの! 自走式見張り台、乗りこなして見せますとも!
…グエップ」
「無理するなよ、リム。お前に何かあったら、私も困る」
「…ご期待に副えるよう、頑張りますです~!
さあ、もうひと頑張り! それ行け~!!」
トレントが走り出す。
心なしか青い顔をしながら、リムはギュッとしがみついていた。
『オエ……』遠くで何か聞こえる。
トレントの名前はラピッドにしよう。
「アルマン、お茶の支度が出来ました」
イリスが呼びに来てくれた。
「ありがとう」
「リムは?」
「トレントの訓練を優先するそうだ。任せておこう」
「まあ、そうなの?」
イリスは、食いしん坊のリムがそんなこと言うかな、という顔をした。
ひょいとイリスを抱き上げると、彼女は私の肩越しにリムとトレントを見たようだ。
「リム、楽しそう」
「…そうだな」
うん、そういうことにしておこう。
アルジャンが用意してくれた珈琲と、珍しい紅茶はとても美味しかった。
特にカフェオレが好評で、定番になりそうだ。
「こーひーあじのー、おかしもー、つくりたいのー」
「是非是非! ミル様がご必要な量を、いつでも申し付けてください!」
ウシに傅く、美形の元悪魔も見慣れてきた。
母屋に寝室を作ってあるものの、ずっとリビングで雑魚寝でもいいような気がしていた。
屋根の下で野営をしているような、自由な雰囲気が好きだ。
妖精侍女のポカポカ魔法も、一度かければ何時間ももつらしく、遠慮なく任せて欲しいと言われている。
蝶の妖精は花の香りを撒いてくれていた。
甘くない香りを、とリクエストすれば、爽やかな木の香りがただよう。
なかなか芸が細かい。
個室を使うのは、一人になりたい時だけでいいかもしれない。
風邪をひいたときとか?
魔王が風邪をひくのか、わからないが。
そろそろ眠くなって、リビングの明るさを落とそうとしていた頃、外が騒がしくなった。
「見てまいります」
アルジャンが出ていく。
戻って来た彼は、大きな雄鶏を抱えていた。
赤い鶏冠は王冠のように立派だ。
身体を覆う羽は金の輝きをまぶしたような茶色で、長い尾は黒い。
鶏の王様のように見えたので、人語を話す魔術をかけてみた。
「お初にお目にかかります、魔王様。
私は鶏の王。オルと申します。
長き時を経て、新たに魔王様が誕生されたと聞き及び馳せ参じました。
なにとぞ、私共を魔王様の配下にお加えくださいませ」
艶々、フンワリの羽と違い、硬い口調のオルだ。
私共、と言ったか?
「よく来てくれた、オル。歓迎するよ。連れがいるのかな?」
「はい。私の妻が二十四羽、共に参っております」
…鶏がハーレムで来た。
「外は寒いだろう。中に入ってもらおう」
アルジャンに言えば、オルを下に下ろして迎えに行ってくれた。
オルが私の隣にいたイリスに挨拶すると、すかさず抱き上げられてしまった。
「こ、これは妖精女王様、こんなに近くでご尊顔を拝し…」
最後はモニョモニョと声が小さくなる。照れているようだ。
屋内に入ってきた雌鶏二十四羽は、品種が全て違う。
大きさも、色合いもまちまち。手広いな、鶏の王よ。
雌鶏たちは、揃った仕草でピシッと礼をした。
まるで騎士のようだ。
「ようこそ、鶏の王の妃たち。どうか寛いでくれ」
雌鶏たちはイリスの前でもう一度礼をし、思い思いにリビングに散らばっていく。
その様子を見ていたら、気付いてしまった。
全員が下げた頭を上げる瞬間、鶏の王を睨みつけているのを。
イリスの腕の中でデレっとなった夫に厳しい目を向けているのだ。
ちょっと怖い。
「オル、君たちはどこから来てくれたんだい?」
「隣国の魔の森から参りました」
「それは、道中大変だったろう」
「いえ、私の妻たちは、この愛らしい容姿に反して強いのです。
自慢の精鋭部隊なのです」
デレを挽回すべく、雌鶏を褒めるオル。
「まあ、頼もしい」
イリスはオルを下ろすと、近くにいた一番小柄な雌鶏を抱き上げた。
「…ちなみにヒグマは倒せるか?」
一応、強さの目安を聞いておこう。
「妻たち四羽でかかれば、楽勝でしょう」
即答だった。
「ちなみに、毎日とは参りませんが妻たちは卵を産みます。
子孫を残すための特別な時以外は、食用として提供できます」
すごい売り込み文句が来た。
微睡みかかっていたミルさんが、首を上げて目を見開いた…
翌朝のことだ。
「嫌ああああああああああああ…でございますぅぅぅ…」
リムの絶叫が轟いた。
昨夜はトレントの訓練に疲れ果て、鶏軍団が来たことを知らずに寝こけていたのだ。
鶏軍団がリムを襲う可能性は無いだろう。
フクロウと違って、鶏はリムよりもずっと小さいものを食糧にしている。
そりゃ、襲われたらリムは絶対負けるだろうが…
「私は頭脳派なのでございますぅぅぅ!」
口だけ出すやつな。
ああ、もちろん、ほとんど素晴らしい助言だよ?
リムが恨めしそうな視線をよこす。
「リム抜きで話を進めるつもりはないよ。
彼等を歓迎したのは、あくまでここを訪ねてくれたからだ。
ここに居てもらうかどうかは、これから決めるんだ」
とはいえ、断る理由はないだろう。
なにせ、鶏軍団は品行方正。見た目も美しく、大人しい。
美しい見た目は、つまり珍しかったり、価値が高い品種であるらしく、その卵をもらえると聞いたミルさんが前のめりだ。
加えて、朝の散歩に出て行った彼らは、森の周囲で動物を狩ってきた。
魔族ではない小動物…中にはどうやって運んだんだというような大きめのモノもいた。
狩られた獲物は庭先に積み上げられ、彼等の実力を皆に知らしめた。
私に獲物の山を披露すると、アルジャンがさっさと魔法で捌いてくれた。
食用の肉、加工用の皮や骨、そして臓物などに分けると収納空間に放り込む。
「臓物はどうするんだ?」
「この切り株を片付けて、畑を作る許可を頂けましたら、肥料として使います」
アルジャンは農業をやりたいのか。
野良着姿で農具を担ぐ彼を想像した。
「もちろん構わないよ」
「ありがとうございます」
彼が指を鳴らすと、十個ほどの切り株が掘り返され、薪に姿を変えて軒下に積みあがる。
次に収納空間から横幅三十センチほどの箱を取り出すと、いそいそと中身を土の上にそっと撒く。
「何?」
「ミミズです。こんなこともあろうかと、コツコツ集めた甲斐がありました」
すごい魔法を簡単に使う彼が、有機農法とか…
「大きな畑を作る機会があればと思って、古代ミミズも持っているのですが…
これは死蔵品になりそうです」
古代ミミズとは…確か大蛇みたいなデカいやつだった気がする。
そして、既に絶滅している。
「もう、私、気を失ってもいいでしょうか?」
古代ミミズの話でショックが加算されたらしいリムが言った。
リム、気を失うのに許可はいらないよ。
だが、鶏軍団を常駐させるかどうかは宰相の許可がいるな。
「オル殿を魔王軍の将軍として採用するのは妥当かと考えます」
「リム、ありがとう」
「宰相殿、ありがとうございます」
こうして、魔王城(仮)に鶏軍団が採用された。
アルジャンが畑を始めたので、城感より農場感が更に増したのだが…