第8話
エイミーに夕食を部屋まで持って来させ、早々に平らげた。
今夜は満月。
ざわりと鳥肌が立つ。
こんな身体になったのは、俺が15の時。初めて恋をした相手によって、だった。
13で初めて戦地に赴き、人を殺した。
初めて人を切った興奮と恐怖。
夜中に自分の悲鳴で目覚めては月を仰いで心を静めさせていた、そんなある時。
女と知り合った。
バース国が占拠したある小さな町で、酒場を営んでいた俺より年上の女だった。
何度かそこで顔を合わすうちに、会話をするようになり、いつしかお互い惹かれ合っていた。
夜中にうなされている俺を優しく包み込んでくれた。
怪我をしたら兵たちが眠る駐屯地まで手当てをしに来てくれたりもした。
それなのに――――――――
戦が終わり、俺たちの軍もその町から引き上げることに決まったある晩、彼女はベッドの中でこう言った。
「行っちゃうの?」
横たわる彼女に俺は「ああ」と頷く。彼女は寂しげに長い睫毛を伏せた。
「貴方を失いたくないの」
「俺と一緒にバースに来いよ」
「それはダメ」
彼女の家はここなのだと、力強く主張した。
「また必ず戻ってくるから」
「貴方はきっと忘れるわ」
俺は彼女を抱きしめた。紅い燃えるような髪に顔をうずめる。
「忘れない。約束する」
「それなら、せめて・・・忘れられないような夜にしない?」
形の良い紅い唇を上げ、彼女はどこからか小さな瓶を取り出した。その瓶の中には赤い液体が入っている。
栓を抜くと、彼女はそれを全て飲み干した。
「おい、それは―――――」
言いかけた俺の口を彼女の口が塞いだ。生温かい液体がドロリと口の中に入り、喉を通っていく。
「おい。・・・何だ?これは・・・」
「言ったでしょ?忘れられないような夜にしましょ」
不敵な笑みを見せる彼女。
俺は焼けつくような喉の痛みと共に、全身に力が漲ってくるような感覚にとらわれた。獣のように叫びたい衝動に駆られる。
「な・・・なんだよ、これ・・・!!」
そう口では言いつつも、俺は彼女を押し倒していた。すぐにでも彼女をめちゃくちゃに愛したかった。
「ジェイド、早く――――」
「ああ」
訳も分からぬままに、俺は何度も何度も彼女を抱いた。疲れ果て、眠るまで―――――
そして気がつくと、ベッドに彼女の姿は無く、俺は―――――――
「・・・はぁ」
満月を仰ぐ。
あの薬が一体何だったのか。いろいろな文献で調べてみても『興奮剤』としか記述は無かった。
それがどうして人間を『オオカミ』の姿へと変えることができたのだろうか。
「オオカミ、か。犬よりマシ・・・か」
自嘲気味に笑い、右の前足を見つめる。黒い爪が月明かりに鈍く光っていた。
満月を見ないように過ごすことは可能といえば可能だった。だがその分、凶暴性が増す。つまり、イライラするのだ。一種の禁断症状に陥るらしい。
変身後、一晩眠ると元の姿に戻っている。
一体どういう仕組みかは未だもって謎。ただ、今までそんなに不自由したことはないし、陛下やランス、兵士たちも俺の身体のことは知っている。
だから満月が近付くと俺の周りからは人間がいなくなる。淋しいもんだ。
コト・・・
かすかに音がした。
オオカミになっている間、俺の五感はそれ並みに発達する。これはありがたかった。
部屋でこの姿になり、なんとなくバルコニーに来てみたが、月はいつもと同じ顔で俺を見下ろしていた。
カチャ
誰かがバルコニーに出てきたらしい。ちらりと振り向くと黒髪の女が驚いた顔をしていた。
そりゃそうだろう。
城のバルコニーにオオカミがいるんだから。しかも人間語を話せると知ると、この女はまず間違いなく逃げ出すだろう。
小さくため息をつくと、俺は女を無視して再び憎い月を仰いだ。
『オオカミ・・・さん?』
女の声が耳に入ってきた。
まだ俺やランスの名前くらいしか言えないはずなのに、どうして・・・?
『オオカミさん、どうしてここにいるの?迷子?』
なんでだよ。
口には出さず、俺は振り返った。
女は少し怯えてはいるが、俺を真っ直ぐに見つめていた。その淋しげな黒い瞳に見つめられ、気まずさに顔をそむける。
『私の言葉分かる?お馬さんたちとは話せたんだけど・・・。オオカミさんには無理かな?』
俺は返事をしなかった。
女は小さくため息をつくと、俺と少し離れたところで夜着の膝を抱えて座った。
『私ね、おとといここに来たばっかりなの。前はね、日本っていう国にいたんだけど、気が付いたらオアシスにいたの。周りは砂漠で・・・すごく神秘的で、キレーだって思った。絵本の中みたいって。ここのお城もすごくキレーだし・・・』
女は一人で話していた。俺は黙って聞いている。
『ここの人たちのことはまだよく分からないの。よくしてくれるのは、ランスとマリーとジェイド。
ランスは薄茶色のちょっと長めの髪に青い瞳のかっこかわいい人。絶対女の子にモテてると思う。
マリーはね、お母さんみたいな人。すごく良くしてくれるの。早く言葉を覚えなくちゃ。
それから、ジェイドは・・・・』
女はここで言葉を切ると、自分のつま先を見つめた。
『ジェイドはね、緑の瞳がキレーな男の人。アッシュブラウンって言うのかな。短髪もよく似合ってるの。ただちょっと怖いけど。
なんだか近寄りがたい感じ。う~ん・・・向こうが拒否してる感じ・・・かなぁ?
オオカミさん、分かる?』
分かるかよ。
言いたいが口には出さない。俺はうつ伏せに寝転んだ。
女は手を後ろにつき、月を振り仰ぐ。
『キレーな満月よね。私も満月って好き。この月だけは私のいた世界とも繋がってるんじゃないかって思うんだけど、どうなんだろうね?』
しばしの沈黙が訪れた。
女を見上げるとただじっと月を見つめている。黒い瞳が輝いていた。
『馬のマックスたちから聞いたんだけど、ここはまだ戦争があるんだってね。だからジェイドたちはあんなに一生懸命訓練してるんだけど・・・。ちょっと悲しいね』
ピクリと耳が動いてしまった。
女のほうを見る。女は俺を見るとほほ笑んだ。
『私の国ではね、もう戦争は無いの。平和主義って言って絶対に戦争はしないの。すごくひどいことがあったから・・・。でも、世界の中では戦争や紛争が起きてるわ。宗教上の問題だったり、国民の反発だったりね。
ここは、まだ剣や槍しかないけど・・・いずれは機械化されるのかしら。そうなるともっと多くの死者が出ちゃうのにね』
<キカイカ>?剣や槍よりも威力が上なのか?一体どんなモノだ?
それより、この女の国は戦争は無いと・・・?だからこんなに―――――なんというか、ホワンとしているのか、納得。
『だからジェイドたち兵士さんが実際に戦っている姿を見て、正直ショックだったの。歴史の授業で習ったはずなのに・・・。
この目で見ると本当に怖かった。ダメだね、私。弱いね』
再び、女は膝を抱えた。長い黒髪が頬にかかっている。
戦争を知らない女、か。温室でぬくぬくと育ったお嬢様と何ら変わらないな。
フンと鼻を鳴らした。
それをどう思ったのか、女が手を俺に伸ばしてきた。
『オオカミさん、人間に慣れてるのね。ちょっと触ってもいい?』
言うや、俺の頭を撫で始めた。
ガキの頃以来のことに、俺は戸惑うと共に動けなくなる。
『キレーな毛並みね。瞳も緑色。誰のペットなの?ジェイド?』
耳が動いてしまった。
バレたか、と思ったが、女は笑っただけだった。
『あはは。ジェイドのペットなのね?だから無口なのかしら。おりこうさんね、偉い偉い』
言うと、女は耳の付け根を軽くマッサージしてくれた。
やばい。すごく気持ちがいい。
『気持ちいい?良かった。お腹とかは?』
俺の胸へ手を回し、そこを優しく撫でられる。
俺は横になってしまった。もうどうにでもなれ、といった感じだ。そのまま瞳を閉じる。
今まで、オオカミの俺にこんなに接してくれた人間なぞいなかった。まして、俺の身体を撫でてくれた奴も・・・。
女は俺の身体を撫でながら、口を開いた。
『オオカミさん、ほんとうに無口ね。やっぱり私の言葉、分からないのかしら・・・。
でもこんなところで一人でいたら淋しいでしょ?ご主人のところに帰らないと。ね?』
顔を両手で包まれた。真正面に女の顔がある。
『あなたはいいね。ご主人さんにも可愛がられて、こんな立派なお城に住んで・・・。私は・・・・』
フッと女は視線を落とした。
おいおい、泣くなよ?
俺は慌てて立ち上がると女の前に座り直した。とたんにぎゅっと抱き締められる。
鳥肌が立った。
どうすることもできずに直立不動でいると、俺の耳元で女が囁いた。
『オオカミさん、また会ってくれる?』
「・・・・」
一瞬開いた口を慌ててつぐんだ。言葉を発してはいけない。この女は俺をただのオオカミだと思っている。
『ジェイドに言ったら・・・会わせてくれるのかな?』
それは無いだろうな。
俺は首を動かした。女の髪が鼻にかかる。甘いに匂いがした。
『オオカミさん、私――――――』
コツコツ
靴音が聞こえてきた。
俺は女から身を離すと、首を廊下へと向ける。
ガラス戸の向こうにランスを見つけた。こちらを見て、心底驚いたという顔をしている。
「ジェ―――――」
ランスが何か言う前に、俺は走り出していた。ランスに向かって。
頭の良い参謀は俺の意図することが分かったのか、戸を開けてバルコニーに出てきた。
声を落とす。
「ジェイド、どうしたの?ナナちゃんと一緒って・・・?」
「あの女、今の俺を俺のペットと思ってやがる。だから、何も言うなよ?詳しいことは後で話す」
「う・・うん。わかった」
ランスは頷くと、女を手招いた。黒髪の女は静かに近寄ってくる。
「・・・ランス?」
「ナナちゃん、マリーが呼んでるよ?マリー」
「マリー・・・」
女は口の中でそう呟くと、俺を見下ろした。そっと頭に手を乗せられる。
『またね、オオカミさん。お休みなさい』
女は廊下で待っていたマリーを見つけるとそちらに走って行った。2人並んで部屋へと向かう。
「・・・で?ナナちゃんと何かあったワケ?」
女の方を見ていた俺はランスの声に我に返った。見上げると、ため息を一つつく。
「俺の部屋へ行こう。あの女について、いろいろ分かったぞ」
「ふぅ~ん。じゃ、ナナちゃんは<ニホン>って国からどういうわけか来たってことだね?そこは戦争もなくて平和だけど・・・何かすごいモノ・・・<キカイ>ってのがあるんだ」
「・・・らしい」
俺はベッドに寝転がっていた。ランスはソファーで酒を飲んでいる。
「その姿にそんな便利機能があるなんて知らなかったね」
「便利機能ってなぁ!好きでこの身体になったワケじゃねぇ!!」
「ああ、そうだっけ?」
すっとぼけるランスに、俺は立ち上がると低く唸ってやった。ランスは慌てて謝る。
「でも、ナナちゃんのこと少し分かって良かったね。これで毎月の満月も楽しみになるし」
「楽しみってなぁ~・・・。あの女、俺を俺のペットと思ってやがるんだぜ?」
「名前考えないとね」
ランスはいきなり変なことを言い出した。
名前?何の・・・?
「その姿のときも<ジェイド>って呼んだらバレちゃうでしょ?何がいい?ポチ?」
「誰がポチだ!誰が!!」
「じゃあ・・・・」
ランスはう~んと唸る。唸りつつ部屋をキョロキョロ見回した。棚にある酒瓶に目を止める。そこには<ロギ>という果実酒が置いてあるのだが、まさか・・・・。
「<ギィ>ってのはどう?」
「・・・何とでも呼べよ」
「じゃ、決まりね。ギィくん」
ランスは言うとにっこりと俺に笑いかけた。
どうでも良いが<ロギ>からどうやったら<ギィ>になるんだ?
ふてくされた俺をどう思ったのか、ランスはソファーから立ち上がる。
「それじゃあ、僕はそろそろ部屋に帰るね。マリーと一緒にナナちゃんを捜してただけだったし」
「あの女、またウロウロしてたのか。マリーも大変だな」
口に出し、思い出した。あの女がマリーのことを『母親のよう』と言っていたのを。
そして、『早く言葉を覚えたい』と言っていたことを。
「あの女、早く覚えたいらしいぞ。ここの言葉」
「そう言ってたの?」
俺は頷く。
ランスは少し考えてから半ば独り言のようにぼそぼそと呟いた。
「それじゃあ先生をつけてあげないと・・・。初等教育からだよね・・・。大丈夫かなぁ~・・・」
腕を組み、突っ立ったまま天井を見ているランスに俺は口を開いた。
「おい、部屋に帰るんだろ?さっさと出てけよ」
「うん?ああ、分かった分かった。ナナちゃんの勉強のことは僕に任せてよ。っていうか、ジェイドが本当は面倒みなきゃいけないことなんだからねっ!」
「・・・話せるようになったらしてやるよ」
「・・・本当かなぁ」
首を傾げつつ、ランスは部屋の扉を開けた。
「んじゃあ、お休み。<ギィくん>」
「明日、覚えてろよ?」
バタンと逃げるように扉を閉め、ランスは出て行った。
小さく息を吐き、俺は再びベッドに横になる。
あの女、俺の正体を知ったらどう思うだろうか・・・。
そう考えているうちに、いつの間にか眠ってしまった。
☆奈々ちゃんメモ☆
どうやら動物全般(鳥は不可)と話せるらしい(今のところ馬とオオカミのみだが)
☆ジェイドメモ☆
今の今まで便利機能があることを知らなかったマヌケ男