第5話
マリーの仕事は早くて正確だった。馬女を朝食の時間までに仕上げてきた。
今日の女の姿は淡い紫色のドレス。所々にフリルのついた実に女の子らしいもので、なぜか胸元が大きく開いている。その胸も谷間があったりするから、実に驚きだ。肩までの黒髪は上に結い上げられ、白い首にはネックレスが光っていた。
絶対に魔女には見えない。
陛下が「魔女にしろ」と仰っていただけに、今この女の姿を見たら一体何とお思いになるか・・・。
女は朝食中の俺とランスを見つめ、もじもじしていた。
「・・・何だ?」
「ランス・・・。ジェ・・イド・・・。ごめ・・ん・なさい」
『えっ?!』
言葉を失った。
目を点にしている俺たちをよそに、女は深々と頭を下げる。
「ごめ・・ん・なさい」
再び謝った。しかも俺たちの<ドール語>で。
一体どういうことだ?!
日々成長をしていくのか?この女は?!
これが<魔女>というものなのか、もしかして?!
何も言えないでいると、マリーが笑いながらやってきた。手には女の朝食を持っている。女を俺の隣に座らせると、
「ナナ様ね、あまりに私が謝るものですから、言葉を覚えてしまわれたんです。頭の良いお嬢様ですね。あ、魔女様でしたかしら。どちらにしても、ジェイド様にぴったりですわ」
「何でそうなるんだよっ?!」
じろりとマリーを睨む。ベテラン侍女は俺を真正面から見つめると言った。
「可愛いとはお思いになりませんか?」
「・・・馬女をか?」
「はい」
「・・・・」
黙秘。
視線を逸らし、手元にある冷めたオートミールを口に運んだ。向かいに座るランスが笑っている。その脛を思いきり蹴ってやると、呻き声と共に笑うのをやっと止めた。
本当によく笑うヤツだ。
ふと女を見ると、オートミールを凝視していた。何かに化けたりするんだろうか・・・?
「おい」
女ははっとして振り向いた。俺は手のスプーンを振る。
「食わないのか?」
確かに、このオートミール。一見薄い茶色のドロドロした液体・・・のような固体。だが、麦やルミという実を甘いスージと牛のミルクで煮ているだけなので、まずくはない。
女は俺たちが食べているのを見て、恐る恐るスプーンを取ると茶色い液体を少し掬って口へ運んだ。そのとたんに表情が明るくなる。ほんとに分かりやすい女だ。
「ねぇ、ジェイド。今日はこれからどうするの?」
俺と女のやり取りを見ていたランスが口を挟んできた。デザートのニナという実の殻を剥いている。
「早朝特訓が無かったからな。今日は裏の広場で組み手だ。後は、実戦だな。ハードでもついてこれるだろ」
「実戦ねぇ・・・。可哀想じゃない?」
「緊張感が足りないヤツがいるから丁度いいんだよ。それに、アイツら時々近くの村を襲ったりしてるから、退治も兼ねてるって前にも言ったじゃねぇか」
ランスはまだ納得していないようだ。ニナの種を口の中で転がしていた。
城の裏の広場には闘技場のようなモノがあった。その端で飼われている(?)のが<ファング・パンサー>とという牙のある黒ヒョウ。砂漠を縄張りとし、群れで行動する。毎年開かれる武術大会ではこのファング・パンサーと兵士との一騎打ちが最大の見ものとなっていた。
「アイツもそろそろ終わりだな」
「うあ。野蛮」
嫌な顔をするランス。そして女の方を見た。
「じゃあ、ナナちゃんはどうするのさ?」
『ナナ』の言葉に女はランスを見つめた。『呼んだ?』というような顔をしている。
「こいつはマリーに城の中でも案内させよう。勉強って手もあるけどな。マリーに読み書きできたか?」
「なんなら僕が―――」
「お前は書類が山のようにあるだろうが」
ランスが皆まで言うより早く俺が言うと、ランスはむっとして俺を睨んだ。そのまま口を開く。
「ふんだ。どうせ本当は自分で手取り足取り腰取り教えたいのに・・・・ってそのナイフを置いてください。ごめんなさい」
ぺこぺこと平謝りするランス。
そんなに怖いか?ただナイフをやつの目の前に持って行っただけなのに・・・?
「・・・ランス。・・ごめ・ん・・なさい?」
突然の女の声に、俺とランスは同時に振りかえった。
ああ、そうだった。『ごめんなさい』を覚えてたんだ。
どうやら、この女はランスが急に謝ったことが不思議らしい。
「ごめ・・んなさい?」
「うん、そう。ごめんなさい」
笑いながらランスが言うと、女はにっこりと笑い再び食事を開始した。
「・・・ランス。お前すごいな」
「何がさ?」
参謀は食後のコーヒーを飲んでいた。小首を傾げながら俺を見つめている。
俺はスプーンで女を指しながら口を開いた。
「よくこの馬女と意思の疎通が出来るな」
「そう?要は思いやりじゃない?」
「俺には真似できん」
頭を小さく振る。女は丁度ニナの実を手に取ったところだった。
「貸してごらん?」
ランスがすかさずそれを取り上げる。何か言う女に、ランスはそれの殻を剥いて渡した。透明な白い実を女の掌に乗せる。
「はい、どうぞ。ナナちゃん」
「%$#&、ランス」
何か言ってから女はそれを口にし・・・
がりっ
やっぱりな。やると思った。
ニナには大きな種がある。普通はそれを避けて食べるのだが、初めてだったり慌ててたりすると、時々種を噛むことがある。それが思った以上に苦い。
「うーーー!ランスーーーー!!」
「あっははは。ごめんってば、ナナちゃん」
怒る馬女と笑う参謀。何だか二人がお似合いに見えてきた。
「・・・バカらしい」
コーヒーを一口すすり、俺は立ち上がると声を張り上げた。
「食後はいつもの広場に集合!特訓が無かった分、今日はハードだからな!覚悟しとけ!」
「えーーー?!指揮官、今日オレ、役立たずですよぉ」
一人の兵士の発言に食堂が一斉に笑いに包まれた。唯一、俺の隣に座る女だけがキョトンとしている。
俺は笑いながら言った。
「そっちは役立たずでも、身体は軽くなっただろうが。きっちり動け」
「うあ。ジェイド。ナナちゃんの前で・・・」
「分かりゃしねーよ」
ちらりと見ると、女は粉々になった種を口から出していた。
ガキかよ・・・。いや、馬か・・・。
「とにかく!9時前に集合!遅れた者は腕立てプラス200回!分かったな?!」
『畏まりました!』
食べ終わった兵士たちは各自その準備へと兵舎に帰って行く。
俺も自分の食器を返却口に返すと、まだテーブルにいるランスたちに言った。
「ランス。この女、マリーに預けとけ」
「ちょっと!ジェイドが陛下から頼まれたんでしょ?丸投げは―――」
「いいからやれ」
命令口調で言うと、ランスは「分かったよ」と渋々頷いた。それを見届けてから食堂を出る。そこには兵士たちがたむろしていた。俺を見て敬礼をする。
「いいですね、指揮官。可愛らしい魔女さん・・・でしょ?っていうか、どう見ても魔女には見えないんすけどねぇ〜。いいなぁ〜。オレも一回くらいヤッてみたいなぁ〜」
「・・・チャズ大佐」
名前だけではなく、肩書きまで呼ばれて、チャズは固まった。最敬礼をする。
「し・・・失礼しましたっ!悪ふざけが過ぎ―――」
「歯、食いしばれよ」
ばきっ
言うや否や、俺はチャズをぶん殴っていた。床に尻もちをつく大佐のチャズ。口の端が切れたらしく、赤い筋が流れていた。チャズ隊の兵士たちがあっけにとられて、事の成り行きを見守っている。
俺はチャズの胸倉を掴むと、引き寄せた。
「俺とあの女はそういう関係じゃねぇ。分かったな?」
「は・・・はい。失礼いたしました」
荒々しく胸倉を離し、チャズを一瞥する。彼に背を向けたところで、兵士たちが隊長に群がって行った。声だけが俺の耳に入ってくる。
「隊長、今夜は満月だから指揮官の機嫌が最悪なの忘れてたんすか?」
「それでなくてもいつも怖い人をこれ以上怒らせてどーするんすかっ?!」
いつも怖いって・・・。そうでもないとは思うが・・・。
チャズの周りでわいわいやっている兵士たち。どうやら、あいつはあいつなりに隊の兵士たちから信頼されているらしい。
「魔女か・・・」
あの女のどこがいいんだ?
俺の呟きは乾いた風に乗り、どこかへ飛んで行ってしまった。
☆奈々ちゃん記録☆
覚えた言葉『ごめんなさい』