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砂漠の国に落ちてきた魔女  作者: 中原やや
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第4話

 城の敷地内にその娼館は建てられていた。前王が女好きで、街で見かけた美しい娘を金と引き替えに買い取り、その屋敷に住まわせたのが始まりだという。現ジョン陛下は、父親のように好色ではないが、前王からの側近の者が今も尚、その仕事を受け継いでいるらしい。そのため、女たちは皆美しく、品も良い。

 石造りの建物の中には小部屋が何十とあり、その扉には女の名が刻まれた札がかかっている。それが裏返しになっていれば『入室中』つまり、男が中にいる、ということだった。

 通いなれた細い通路。階段を最上階まで駆け上がる。部屋の前を通るたびに、女の甘い嬌声が聞こえてきた。今夜は皆、燃えているらしい。

 いつもの扉の前に来た。名前の札がある。俺は扉を叩いた。

「俺だ」

「どうぞ」

 札を裏返して部屋の中に入ると、彼女が広いベッドに腰掛け、煙管きせるをくゆらせていた。白い煙が舞っている。

「いらっしゃい、ジェイド。今、丁度休憩してたとこよ。あなたもアレしてほしいワケ?」

「・・・そんなところ、かな」

 苦笑し、俺はマントと剣を外した。あのアホ女の発言のせいで、皆してもらいたいことは同じらしい。

「疲れてないか?」

「大丈夫よ、これでご飯食べてるんだし。・・・あなたの顔も見れたし」

 言うと、艶っぽく笑う。俺は彼女の隣に腰を下ろすと、その細い身体を抱き寄せた。煙管の匂いと、彼女の甘い香り。豊満な胸の感触が気持ち良かった。

「・・・どうしたの?」

 俺がいつまでも彼女の柔らかな髪の間に顔を埋めているのを不思議に思ったのか、娼婦エスメラルダは心配げに聞いてきた。

「何か、あったの?」

「・・・・まぁな」

「もしかして・・・。黒髪の可愛らしい魔女さん?」

「?!」

 ガバッと顔を上げると、エスメラルダは形の良い薄い唇を笑みの形に広げた。

「あら、当たったみたいね」

 言うと、再び煙管を咥え、紫煙を吐く。

「・・・もう知ってるのか。誰だ?チャズか?」

「さぁ、誰でしょう?」

 煙管をベッドサイドに置くと、エスメラルダは身体を俺に押しつけてきた。そのままゆっくりと押し倒される。彼女は俺の手を取ると、自分の胸へと導いた。

 手のひらに有り余るほどの豊かな胸。その感触をしばらく楽しむ。

 誰が言ったかなんてどうでもよくなった。

「今日は私に任せてね」

 艶めかしい透き通るような青い瞳。俺は瞳を閉じた。

「お手柔らかにな」

 ふふと笑うと、エスメラルダは俺の腰のベルトを外しにかかった。





 何やら外が騒がしい。

 目を開けるとまだ薄暗かった。レースのカーテンからは昇り始めた陽の光が緩やかに差し込んできている。

 隣ではエスメラルダが全裸で眠っていた。美しいブロンドの髪が広がっている。彼女を起こさないように起き上がると、窓から外を見た。ここからでは裏庭しか見えない。にも関わらず、そこに侍女たちの姿があった。

 何か・・・あったか?

「ん・・・・ジェイド・・・?」

「すまん、起こしたか?俺はもう戻る」

「・・・うん」

 寝ぼけ眼で答えるエスメラルダ。瞳は閉じたままだった。

 素早く脱ぎ散らかした服を身につけ、マントと剣を手にする。

「じゃあ、またな」

 彼女の額に軽く口付けを落とすと、俺は娼館を後にした。  


 

 ゆっくりと朝日が城の教会の後ろから顔を出し始めた。色とりどりのステンドグラスが地面にその模様を映している。

 外気を吸った。煙管の煙も嫌いではないが、やはり外の空気のほうが俺には合っていた。

「ナナさま〜〜〜」

 裏庭の中央で侍女の一人がそう叫んでいた。

 ナナ様、だと・・・?

 誰だ、それは。

「ナナさま〜〜〜。どこですかぁ〜〜〜?」

 侍女はまだ若いエイミーだった。この城で働くようになってまだ何年も経ってはいない。よく働く娘だ。確か年は今年で18だったか・・・。

「エイミー。<ナナさま>とは誰のことだ?」

「あぁ、ジェイド様。あの・・・ナナさまとは黒髪の魔女さまのことです。昨夜、ランス様がナナさまのお世話をするようにとマリーさんにご命令なさっていたんですが・・・」

 ここでエイミーは声を落とし、目を伏せた。

「あの・・・マリーさんを殺さないとお約束してくださいますでしょうか?」

「はぁ?」

 思わず聞き返すと、エイミーは瞳に涙をいっぱい溜めて懇願してきた。

「お願いでございます。どうか殺さないでください!」

「わ・・・分かったから。泣くな」

 ポンと彼女の頭に手を置くと、エイミーは心底ほっとしたように胸を撫で下ろした。

「ランス様に頼まれたマリーさんは、それからすぐにナナさまのところへ赴き、ナナさまのお部屋で休んだそうです」

「マリーはあの女の専属になったってことか」

「はい」

 エイミーは頷いた。

「ジェイド様とランス様はこれからはわたくしに何でもお申し付けくださいませ」

「誰でも構わんさ」

 肩をすくめて見せると、エイミーは再び小さく頷き、話を続けた。

「それで、つい先ほどのことです。マリーさんが起きてみると、ベッドにはナナさまの姿がなかったそうです」

「・・・は?」

 間の抜けた声を出してしまった。エイミーは俺の反応をどう思ったのか、再び狼狽し始める。

「あの、ですから、ナナさまがどこにもおられないんです。洗面所にも食堂にも・・・お城のどこにも」

「どこにも・・・か?」

「はい。隅々までお探ししました。マリーさんは『私の責任だ』と自分を責めておいでです。このままでは自殺を図るやもしれません!!」

 そんな大袈裟な・・・。

 声には出さなかったが、マリーならやりかねないとも思う。人一倍責任感の強い女性だ。今まで頼まれた仕事を失敗したことなぞ一度としてない。城中の者がマリーを信頼しているし、彼女もまたそれを分かっているからこそ、『自殺』の文字が浮かんだのだろうが・・・。

 ちらりとエイミーを見る。ほとんど彼女は泣いていた。震えている肩に手を置くと、堰を切ったかのように声を上げて泣き出してしまった。

 俺は小さくため息をつく。

 あのアホ女がいないらしい。ランスのやつ、どうでもいいがよく名前を聞き出せたものだ。

 <ナナ>という名前のようだが、やはりこの国のものではない。

 あのアホがいなくなったのは、昨夜遅くかマリーが起き出す早朝。城門には常に交代で兵士が配属されているし、街へ降りられるはずもない、か・・・。

「ナナさま、きっとここが嫌で、魔法の杖か何かで飛んでいってしまわれたのではないでしょうか」

「もしそうだとしたら、昨日のうちに出てるだろ。あの馬女うまおんな―――」

 言いかけ、俺は女のいそうな場所を思いついた。

「・・・城を全て探したと言ったな?」

「は・・・はい。あの・・・どうしたんですか?ジェイド様」

 涙で濡れた瞳で見上げてくるエイミーに、俺は口の端を上げた。

「あの馬女なら、きっとあそこだぜ」




「ヒース、いるか?」

 俺は木製の扉を叩くと、中から間の抜けた若い男の声が返ってきた。

「あの・・・ここって馬小屋ですよね?」

「ああ。探してはいないだろ?」

 俺の言葉にエイミーはこくこくと頷く。

 この馬小屋も城の裏側に位置していた。娼館が東側、小屋は西側に建てられている。この小屋には馬子のヒースと、その父クリフが住み込みで働いていた。馬子は数十人ほどいるが、この城ではヒースたち親子以上に馬に関して知る者はいない。

 かちゃりと扉が内側に開き、ぼさぼさ頭のヒースが顔を出した。

「あれ?おはようございます、ジェイド様。こんなに早くどうしたんで?」

「女が馬小屋に入りこんでいるかもしれん。ちょっと見せてくれないか?」

「ええっ?!納屋にですか?・・・あんなトコには何もないけどなぁ〜」

 ヒースは独り言のように言うと、「ちょっと待っててくださいね」と一旦家の中に入り、大きな鍵を手にして帰ってきた。その足で隣接する納屋へと走る。俺とエイミーもヒースに続いた。

「あれ?おかしいな」

 納屋の扉の前でヒースは首を傾げた。南京錠が開いている。

「かけ忘れたはずはないんだけど・・・」

 赤い納屋の扉をヒースはゆっくりと開けた。馬たちが眠っている。独特な馬と藁の匂い。

 その中に、あの女はいた。

「ああ!」

「まぁ・・・」

 思わず上がる、ヒースとエイミーの声。俺は逆に大きく息を吐いていた。

 女は俺の馬、マックスに寄り添うように丸くなって眠っていた。それを守るかのように、マックスも首を曲げて眠っている。

「・・・やっぱりな」

 半ば呆れつつ溜息と共に言葉を吐いた。一歩踏み出そうとしたところで、俺はヒースを振り返る。

「・・・おい。あの女を連れて来い」

「あ、はいはい。ただいま」

 ワシワシと慣れた足取りで藁を踏みしめ、ヒースはマックスたちが眠っているところへ辿り着いた。馬子の気配に気づき、マックスが首をもたげる。その鼻を撫でてやりながら、ヒースは女を揺すった。

「ジェイド様。このお嬢様のお名前は何と言うんですか?」

「・・・え〜っと・・・」

「ナナさまです」

 代わりにエイミーが答えてくれた。

 そうだった。変わった名前だった。

 ヒースは「ナナさま」と呼びながら、女の肩を揺すっているが、女は全く起きる気配がなかった。

「おい、ヒース。抱いてこい」

「えぇっ?!いいんですかっ?!」

 なぜそこで興奮する?

 隣のエイミーがクスクスと笑っていた。俺はヒースに苦笑交じりに言いなおす。

「女を抱き上げて、こっちへ運んで来いっていうことだぞ?」

「ああ・・・。なんだ。そういうことですか」

 小さく舌打ちする音が入口にいる俺たちにまで聞こえてきた。

 あいつ・・・あんなトコであの女を文字通り抱くつもりだったのか・・・?

 俺らの目の前で・・・?有り得ない。

 ヒースは「よいしょ」と言うと、女を抱き上げた。どうやら夜着のまま眠ったらしい。女のそれは藁まみれになっていた。

「ジェイド様。ナナさまのお召し物に馬の糞が付いているんで、あっしがお運びいたしますよ」

「ああ、頼む」

 言うとヒースは嬉しそうな顔をした。久し振りに女を抱いたのだろうか・・・。顔に締まりがない。 

 ヒースは確か、ランスと同い年だった。年老いた父や他の馬子たちと共に、全ての馬の面倒を見ている。生まれや育ちが違うだけでこの格差とは・・・。少し寂しい気もする。

「ヒース、こっちよ」

 侍女のエイミーに促され、俺と女を抱えたヒースは女の部屋へと急いだ。そろそろ兵士たちが起き出す時間だ。城の廊下にはちらちらと文官や兵士たちの姿が見え始めている。

「う・・・ん・・・・・・」

 女はヒースの薄い胸に頬を擦りつけるように眠っている。

 どう見ても魔女には見えない。見えないのだが・・・・。

「・・・・ヒース」

「は・・・はい。何でしょう?」

 ギクリとして、ヒースは立ち止った。俺は苦笑いを浮かべつつ、馬子の耳元で囁く。

「・・・お前、コーフンしてるだろ?」

「は・・・分かりますか?」

「丸わかりだ。バカ」

 パカっと後頭部を叩くと、ヒースは面目なさそうな顔をした。

「だって、ジェイド様。こんなに可愛らしいがあっしの胸にすり寄ってくるんですよ?!スースーって可愛い寝息も聞こえてくるし!すごく柔らかいしっ!」

「分かった。分かったから、こっちへ渡せ。で、お前は帰れ」

「えーーー?!」

 非難の声を上げつつも、ヒースは俺の胸へ女を預けた。その寝顔をヒースは穴があくほど見つめる。 

 俺はそんな馬子にため息交じりに言った。

「ヒース。今度この女が納屋に行ったら、俺かランスにすぐに知らせろ。鍵もかけるんだぞ。いいな?」

「は、はい。それはもちろん・・・。では失礼いたします」

 名残惜しげなヒースに、やや冷めた視線を送るエイミー。そのヒースとすれ違いざまに、ランスが廊下の先からやってきた。

「あ、ジェイドにエイミー。おはよ・・・・ぐっ!!」

 元気にやってきたランスは、俺たちに近づいたかと思うと奇妙な声を上げた。そして、鼻をつまむ。

「・・・ジェイド・・・臭い」

「・・・黙れ」

 確かにすごい匂いだ。この馬女の夜着の裾にこびりついているソレが原因だとは思うが・・・。だいぶ鼻がバカになっているに違いない。よくもまぁこんなところで眠れたもんだとつくづく思う。

 ランスに事情を説明しながら、廊下で兵士たちとすれ違う。その兵士たちは俺を見ると敬礼をしていくのだが、その顔は皆歪んでいた。

「指揮官、おはようございまうっ!!」

 「うっ!」ってなんだよ、「うっ!」って・・・。

 その兵士は恐ろしい形相のまま、兵舎へと逃げて行ってしまった。

「う・・・んん・・・」

 女が小さく伸びをした。そのまま目をこすっている。そのうち違和感に気付いたのか、女と目が合った。

「・・・!!・・ジェー・・・ド!!」

 おっ。昨日よりマシになってやがる。

 俺は女を見つめたまま「よぉ」とだけ告げた。瞬時に女の顔が赤くなり、何か言いながらじたばたともがき始めた。どうやら降りたいらしい。そっと降ろしてやると、気まずそうに俺たちを見回すと顔を伏せた。

「ナナちゃん」

 ランスの声に、女は伏せていた顔を上げた。 

 どうやら、本当に『ナナ』という名前らしい。

「マリーは?」

「マリー・・・・マリー・・・」

 『マリー』という単語もランスが教え込んだのか、女は口の中で二,三度「マリー」と呟くと、キョロキョロと首を回し始めた。

「ランス・・・・マリー?」

「マリーはたぶん、こっち」

 ランスに手を引かれ、女は階段を上がっていく。俺とエイミーも二人に続いた。階段を上がると、客間の扉の前でそのマリーは泣いていた。

「マリー!」

 女の声に侍女マリーは飛んできた。そして、女の身体をひしと抱きしめた。

「ああ、ナナ様。どんなに私が心配したか・・・。お怪我はございませんか?何かされていません?藁まみれになって・・・。一体どこにいらしたんです?」

 女に言っても分からないのに、マリーは女を抱きしめたまま質問を投げかけていた。女はただ侍女の背中を優しくさすっている。

「マリー、あのね。言うの忘れてたんだけど・・・」

 ランスはちらりと俺を見た。俺は「お前が言え」と合図を送る。ランスは意を決したように口を開いた。

「ナナちゃんね、馬と話せるんだ」

『・・・・は?』

 侍女二人の声がハモった。俺は自然と顔に笑みが広がってくる。

 いつ聞いてもおもしろい。

「だから、たぶん・・・ナナちゃんは馬たちと話がしたかっただけだと思うよ。怪我とかはしてなさそうだし・・・。ただかなり臭いけど・・・」

「風呂にでも入れてやれ。なんなら薬湯を使ってもいい」

「薬湯・・・でございますか?あれは高価で―――」

「仕方ないだろ。その匂い、どうやって取るんだ?」

 マリーは女を見た。そして、次に若い侍女を見やる。彼女はぶんぶんと首を縦に振っていた。

「・・・そうですね。それでは使わせていただきます。なんでしたらジェイド様もご一緒にいかがですか?」

「必要ない」

 女から視線をそらし、俺はマリーを見つめた。

「その女の世話はお前に任せる。俺やランスの世話は特にしないでいい。用があったらこっちから行く」

「はい、畏まりました。ランス様、エイミーでよろしいですか?」

「うん、いいよ。よろしくね、エイミー」

 ランスが微笑むと、エイミーはほんのりと頬を染めた。

 うん?この女、ランスのことを・・・・?

「・・・じゃあ、頼んだぞ」

 言うと俺は自室へと向かった。

「さ、ナナ様。お風呂に入りましょうね?」

 マリーの声が聞こえる。

 あの女・・・。マックスと何の話をしていたんだろう。俺には関係のないことかもしれないが・・・。

 そんなことを考えていると、不意に隣から声がした。

「ジェイドもさ、我慢しないでナナちゃんとお風呂に入ればよかったのに。薬湯の節約にもなるのにさ」

「・・・ランス。死にたいか?」

「お断りします」

 馬の落し物の匂いを撒き散らしながら、俺はランスと共に自室へと戻って行った。

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