第7話
白い満月。月明かりに照らされ、裏庭も明るい。
そこにあるベンチに魔女は腰かけると、俺に隣に座るよう促した。
俺はそこにぴょんと飛び乗る。
『ランスとエイミーがくっついて良かったよね』
女は自分の膝の上をポンポンと叩いた。
顎を置け、と言いたいらしい。
・・・特権か?
少しためらった後、俺は女の膝の上に顎を乗せた。
柔らかい上に温かい。しかも耳の付け根のマッサージ付きときてる。
眠くなってきた。
『さっき、夕食のときにね、エイミーと話したんだけど。ランスってすごくロマンティックなんだって!聞いててこっちが恥ずかしくなっちゃったわ』
あいつのことだから、どこぞの詩を引用するでもして口説いたんだろう。
目に浮かぶ。
『だから、今日はこんな侍女スタイルなのよ?ギィくん気づいてた?』
気づいてたっつーか、知ってたし。
俺は鼻を鳴らした。女も笑う。
『それでね、マリーと一緒にみんなのお部屋を片付けたの。最初に行ったのがロックさんのとこ。でもすごくキレーで私、何もすること無かったわ。次がガリウスさん。ガリウスさんはベスと付き合ってるから、彼女のモノも置いてあったわ』
へぇ~。初耳。あいつら付き合ってんのか。俺たちに冷やかされるから隠してやがるな。明日でも言いふらしてやろうか。
『チャズさんの所はマリーが入れてくれなかったの。汚かったのかなぁ?』
・・・チャズ・・・。お前、ナニしてたんだ?一応、大臣の孫で大佐だろ?もうちょっとしっかりしてくれ。
『ケビンさんの所は・・・ちょっとチャラチャラしてた。趣味の剣もたくさんあったけど・・・。女性の匂いがした・・・って分かるかな?部屋に女の人が来たなってのが分かるのよね。・・・ジェイドにもあったけど・・・』
えっ?!
俺は顔を上げた。
女の気配?俺が?いつ?どこで?!
『ギィくんの飼い主さんだもんね。気になる?お相手はねぇ、たぶんエスメラルダさんだと思うよ。すごい美人。あの人こそ、王女様って感じなのに・・・世の中は不公平よね。でも羨ましいなぁ。ブロンドで青い瞳でプロポーションも抜群で・・・。女の私から見ても、綺麗って思うもん。男の人だったら、そりゃ放ってはおかないわよね』
はぁ~と魔女は深くため息をついた。
おいおいおい。このアホ女、勘違いしてねぇか?
俺とエスメラルダは単なる<客と娼婦>。愛だの恋だのという気持ちは無いに等しい。
・・・って待てよ。エスメラルダのトコに行った帰りにこのアホに会ったのはいつだ?
・・・って昨日じゃねーか!!
「・・・はぅ」
『ギィくんもため息?同じだね』
再び女の膝の上に顎を乗せた俺の頭を魔女の手が滑る。
・・・今度からエスメラルダの所に行ったら、さっさと部屋に帰ろう。
『今日、私、ロックさんにキスしちゃったみたい』
ピクリと耳が動いた。
『エルザから教えてもらったの。けど、私のせいじゃないって。私、<サンゴ>って魔女さんに乗り移られてたんだって・・・。だからかな。悲しい気持ちだけは覚えてるの』
魔女は月を振り仰いだ。
『愛する人が遠い戦地に行ってしまって・・・彼女は途方に暮れていたわ。何日も何年も待ち続けて、泣き続けて。自分を呪ってもいた。・・・すごく悲しかった』
言うと、魔女は俺を見下ろした。
『ギィくんはずっと傍にいてね?』
答えられない。答えてやることが出来ない。
どの姿にしろ、俺は陛下の命で動く身。どこで戦争があっても、行かなければならない。
――――――と、
・・・しゃり
かすかに、砂を踏みしめる音がした。
ガバッと身を起こす。
『どうしたの?』
俺の様子に、魔女は少し緊張した面持ちで俺を見つめた。
何かが――――――いる。
城は周囲を石壁で囲うことで守られている。その中に、すでに何者かがいるとすれば、相当な手慣れだ。
見張りの兵2人に巡回の兵士たちの目を全て盗んでいることになる。
・・・しゃり しゃり
歩く音がする。
かすかに金属がこすれる音。
・・・ああ、何だ。これは巡回の兵士か。
中庭を越え、裏庭へとやってきた若い兵士は俺と魔女の姿を見て敬礼をした。――――――その時、
ヒュッ
月の光に反射し、何かが空間を引き裂いた。
それと同時、兵士の胸を矢が貫く。
「キャーーーー!!!」
悲鳴が女の口から上がった。
どこだ?!どこにいる?!
ヒュン ヒュン
立て続けに飛び来る矢を、俺は女を押し倒すことで回避した。
どっとベンチの下へ転がるようにして倒れこむ。
こいつ・・・・女を狙ってやがる・・・!!
ガッ ガッ
目の前に矢が突き刺さった。
乾いた大地に刺さったそれを見て、再び女が悲鳴を上げる。
「・・・グルルルル・・・」
倒れている女を庇うように、俺は矢が飛んできた方向に唸り声を上げた。
矢の角度から考えると、おそらく石垣の上からだろう。――――――が、俺がここを離れるわけにはいかない。
ランスやロックが早く気付いてくれれば良いのだが・・・。
『ギィくん・・・』
俺の前足に女がそっと触れてきた。震えている。
ヒュッ ヒュッ
今度は俺を狙って放ってきやがった。軽いフットワークでそれらを避けたその時、
「ぐあっ!!」
悲鳴ともつかない男の声。そして、ドサリという何か重たい物でも落ちた音。
「ナナちゃん!!大丈夫?!」
そう言って、走り寄って来たのはランスだった。
女は緊張から一気に解放されたのか、ランスの顔を見て泣きだした。その頭をランスは優しく撫でる。
「賊は一人だった。姿はリーアムの者だけど・・・誰の命か、目的は何だったのかは・・・今、向こうでロックたちがやってる」
ランスは女に言い聞かせるようにしながら、俺に目配せした。「行ってこい」ということだろう。
小さく頷くと、地を蹴った。
後ろから女の俺を呼ぶ声と、ランスの宥める声が聞こえてくる。
・・・どうして、リーアムのヤツがあの女を・・・?
もう<魔女>の噂はそんなに広まっているというのか・・・?
「・・・誰に命令された?!」
城下町へと下りる坂の手前、石壁寄りでロックがそいつの喉を踏んでいた。
隣には矢を番えたチャズの姿。
どうあら、チャズが矢を放ち、落ちた所をロックがしとめるという段取りだったのだろう。少し離れた所にはケビンとガリウスの姿もある。二人とも剣を抜いて神経を研ぎ澄ましていた。
「だ・・・だれが、言う・・・・・ぐはっ!!」
ロックは容赦無くそいつの腹部に刺さった矢をさらに奥へと押し込んだ。黒づくめの男は口から血の泡を吐く。
「あの黒髪の女性を狙ったんだろ?」
「・・・・」
今度は沈黙。命令を下した者がそれほど恐ろしいらしい。おそらく、暗殺を失敗しただけでも<死>に相当するのだろう。
「・・・チャズ」
ロックの命でチャズは弓を引いた。至近距離から矢を放つ。
それは賊の太ももに深々と突き刺さった。男の口から絶叫が上がる。
「まだ何も言う気になれないか?」
賊は黙している。
二本目のチャズの矢は、もう片方の太ももに突き刺さった。
「このままこの地に矢で繋がれたいのか?吐くならそれなりに手当てもしてやるぞ?」
「・・・だれが・・・吐くか・・・」
三本目の矢。左手のひらを射抜いた。
・・・無駄だな。これは。
こいつは吐かない。吐かせるなら、何か策を・・・。
俺はケビンに向かい走った。彼も俺に気付くと膝を折る。
「・・・何ですか?」
「あの賊に『魔女と呪いは関係があるんだろ?』と聞いてみてくれ」
小声のやり取り。
俺が人間であることを、あの賊に知られたくはない。そして、どこかで見ているかもしれないもう一人の賊にも――――――。
ケビンは俺の頭をぽんぽんと叩くと、ロックの元に走った。耳打ちをする。
賊の手足はすでに矢で全て貫かれていた。乾いた大地に赤い液体が染み込んでいる。
「魔女と呪い・・・。何か関係があるんだろ?」
賊の目が大きく見開かれた。ロックはすかさず畳みかける。
「リーアムの大臣が何か企んでいるらしいな。それか?」
「き・・・貴様らに、何が・・・分かる・・・」
口から血を吐きながら、賊は途切れ途切れに言った。
「この地は・・・呪・・われている・・。いずれ・・・貴様らも・・あの方に・・・」
「あの方?大臣だろ?」
ロックの問いは無駄だった。
賊の口から大量の血が溢れている。
舌を噛み切ったか。たいした奴だ。
「ケビンとガリウスはこのまま警備を。チャズはこの賊を調べてくれ」
ロックは三人の隊長にそう命令を下すと、俺を見下ろした。そして、「城の中へ」と合図をする。
――――――長い夜になりそうだった。
「どう思われます?指揮官」
「あれはどう見ても、最初はあの女を狙ってたぜ?見回りの兵士は邪魔だと思ったから消したんだろうが・・・。にしても、変だよな」
「はい」
ロックの部屋。
あの女が言っていただけのことはあり、俺の部屋よりも随分片付けられていた。と言うか、家具があまり無い。
二人掛けのソファーにロックが、一人掛けの方に俺が座っていた。
「もし、ナナさんを狙っていたのだとしたら、夜中じゃなくても良かったはずです。町へ下りた時に拉致してしまうのが手っ取り早いですからね。そばには侍女のマリーくらいしかおりませんし」
「ああ。それにあの賊、弓の腕もそれほどじゃなかった。どちらかと言うと、潜伏タイプだ。情報収集とかな」
「・・・何かの確認、だったのでしょうか?」
顎に手をやり、ロックは唸る。
「確認って・・・何の?」
「例えば、指揮官の呪いだったり、ナナさんの魔法だったり―――――――」
『それだ!!』
俺とロックは顔を見合わせ、ほぼ同時にそう叫んでいた。
魔法が使えるか試したんだ。だから、矢が当たっても当たらなくても良かった。
しかし、あの女は泣き叫ぶばかりで戦うそぶりさえも見せない。賊はどんなに焦っただろう。いや、それともそれも知ってのことか・・・。
「ナナさんが魔法を使えるにしろ、使えないにしろ、賊はどちらでも良かったと思われますね」
「だな。つーことは、やっぱりもう一人いたな。しかも見てた奴がいる」
さらに、その見てた奴のほうが厄介だ。おそらく、今回の自害した賊よりも腕は確かだろう。
「あの女の周りを固めないとな」
「警護ですか?」
ロックは問うてきた。俺は頷く。
「それならば、適任者がいるじゃないですか」
「誰だよ?ランスか?あいつは文官だし―――――――」
ロックはにっこりと笑った。そして、すっと手を上げる。
「貴方ですよ」
その指は俺を指していた。