第3話
その3日後には、いつものメンバーで兵舎棟の食堂に遊びに来る魔女の姿があった。
兵たちが大喜びする中、俺はただひたすら食事を平らげていた。
その1週間後の夜、久しぶりにエスメラルダのところに行こうとしていた時、自室の少し開いた窓からかすかに歌声が風に乗って流れてきた。
外を見る。
黒髪の魔女が歌っていた。
砂漠ともう少しで円になる満月を背景に。女は物悲しく歌っている。
月だけは同じだと以前、言っていた。もしかしたら<ニホン>へ帰れるかもしれない、とも。
しかし、実際はあの女はどうやら向こうの世界では死んでいるらしい。
一体どういうことだろう?
「考えたって、仕方ないか・・・」
飲みかけの酒を飲み干すと、俺はマントと剣を置いて、娼館へと向かった。
久しぶりということも手伝い、すぐに果ててしまった。何度も抱くと明日に響くので、名残惜しげなエスメラルダを引きはがすと、俺は娼館を後にした。
身体が軽い。
急に襲ってきた睡魔と闘いながら城へと続く通路を歩いていた。
すると再び歌が聞こえてくる。
「これは・・・」
あの女と町へ出かけた時、旅芸人が歌っていた『姫と狩人』だ。それに合わせてぎこちないリュートの音も聞こえてくる。
・・・それにしても、このリュート・・・ヘタすぎる。一体誰だ?
好奇心から、自然と足はバルコニーへと向かっていた。
すると、バルコニーへと降りる入り口にマリーの姿を見つけた。
・・・と、いうことは・・・
「あら、ジェイド様。少々うるさいですか?」
「いや、誰かなと思ったんだが・・・。あのアホ・・・ナナか」
マリーの前で魔女のことを悪く言うと叱られる。
今も、『アホ』と言った時点で眉をしかめていた。
本当に母親のようだ。
「ナナ様、あの曲を弾きたいんですって。リュートはランス様がくださったんですよ」
いつの間に?
女は楽譜を見ながら練習していた。必死だ。
「ふふふ。可愛らしいでしょう?うまくなって、ジェイド様をギャフンと言わせるんだって意気込んでるんですよ」
「ふん」
生意気な女だ。
悪いがすでにリュートは弾ける。
というか、城にいる貴族連中のほとんどの者がこれを歌えるし、何らかの楽器で弾けるんじゃないだろうか?
「あっ・・・」
ベンチに座り、楽譜を睨んでいた魔女が声を発した。
見ると、風で楽譜が舞っている。それはひらひらとガラス戸の方へ飛んでくる。
「あ・・・ジェイド」
女に見つかってしまった。
マリーはにっこりと笑うと、ガラス戸を開けてくれた。
俺は足元に落ちていた楽譜を拾い、女が座っているベンチへと近づく。
「へたくそ」
「なっ・・・なによ?!」
女は顔を赤くした。俺の手から楽譜をひったくる。
「今、練習中なの!手が小さいから難しいの!」
「・・・関係無いんじゃないか?それは」
「うるさいな!」
女は再び楽譜を見つめ、リュートを持った。爪ではじく。
・・・って押さえるトコ、ずれてるし・・・。
「貸せ」
リュートを奪うと、俺はベンチに腰を下ろした。軽く鳴らしてみる。
持つのも久しぶりだった。
「返してよ!」
「歌えるんだろ?」
「え?」
魔女は怒っていた顔をきょとんとさせた。まじまじと俺を見つめる。
「・・・弾けるの?」
「当たり前だろ。まぁ、どこぞのアホ女なんかより遥かに上手いことは確実だな」
「何よ――――――」
女が文句を言う前に、俺は前奏を弾き始めた。
女も慌てて歌詞に視線を戻す。
月夜に、リュートと魔女の不思議で透き通った声が響いた。
・・・あの女旅芸人より上手いんじゃないだろうか?
耳に心地良いその声は、日々の疲れや悩みを全て拭い去ってくれたかのように、曲が終わると穏やかな気分にさえなっていた。
しばしの余韻を楽しむ。と、
「お前、上手いな」
「ジェイド、上手ね」
ほとんど二人同時に口を開いた。
俺は口の端を少し持ち上げる。
「言ったろ?お前より断然上手いって」
「・・・いいもん。練習するから」
魔女は頬を膨らませた。
「でも、どうしてそんなに上手いの?習ったの?」
「まぁな。ガキの頃に一通り習わされるんだ。リュートにダンス、馬術に剣術。もちろん読み書きもな」
「そんなに?」
驚いて、隣の女は俺をまじまじと見た。そして、ゆっくりと口を開く。
「・・・もしかして、ジェイドって貴族?」
「言って無かったか?一応、王族の端くれだぜ?俺も、ランスも」
女は黒い瞳を丸くした。
俺の母親は前王の妾だった。
ランスも異母兄弟。
多くの妾の子の中で、俺が一番年上だったために、今の地位に就いている。昔から頭の良かったランスを参謀につけるという条件付きで。
「じゃあ、陛下とも兄弟なのね?」
「まぁな。陛下は本妻――皇后の子供だから、直血ってワケ」
「それじゃあ、ロックさんたちは?皆、似てないけど・・・」
「ロックたち隊長クラスは貴族。チャズはあれでも大臣の孫だぜ?」
黒髪の女は再び、目を丸くした。
・・・チャズ、お坊ちゃんに見られてないぞ?
「それじゃあ、この国は・・・一人の男とたくさんの女が結婚するのね?」
女の言葉を理解するのに、しばしの時が必要だった。
『一人の男とたくさんの女が結婚』・・・?
「ああ!一夫多妻制って言いたいわけか?ま、陛下にもよるかな。ニホンはどうだったんだ?」
「そりゃあ・・・一人の男と一人の女が結婚するわよ。世界の中にはイップ・・・一人の男とたくさんの女が結婚するところもあるけど」
どうやら、女は『一夫多妻制』という単語を覚えていないらしい。
まぁ、通常は使わないシロモノだが。
女は俺を見上げた。
「ねぇ、それはジェイドたちにも当てはまるの?」
「何が?」
「イップなんたら」
「無いな」
俺は手にしていたリュートを弾く。
「それは陛下に限られる。周りに女をはべらすかどうかはご本人次第だ」
「羨ましいって思わない?」
「無いな」
どちらかと言うと煩わしい。特に満月の夜は。
いつの間にか、指が勝手に曲を奏でていた。黒い砂漠に静かに響いている。
「これは、なんて言う曲?」
「秘密」
「『秘密』って言うの?キレーな曲・・・」
俺の嘘をあっけなく女は信じてしまった。
本当のタイトルは確か・・・『川』。『秘密』のほうが格好良く思えてくる。
「そうだ!聞いて!私、星座を習ったの」
「へぇ~」
曖昧な返事をすると、女は月の傍にある星を指差した。
「あれが<弓座>・・・でしょ?それで、このお城の向こう側にあるのが<矢>。勇者ドルガンが大ダコを倒したって物語よね?」
「・・・そうなのか?」
初耳だ。つーか、忘れてる。
女は「そうなの!」と断言した。
なら、俺に同意を求めるなよ。
「それで・・・。その大ダコさんが・・・。う~んと・・・あの赤く光ってる星が大ダコの目だから、あれが頭で・・・」
「あれは<アビ座>の目」
「え?じゃあ・・・」
女は真上を向いて悩んでいた。
俺はリュートを弾くのを止めると、星を指差す。
「あの青白っぽいヤツが目だ。その周りを大きく円を描いてるのが分かるか?・・・って見てないな?」
「う~ん・・・」
女は首の後ろをトントンと叩いていた。どうやら首が疲れたらしい。
「お前、背もたれを使えよ」
「あ、そっか」
ベンチの背にもたれ、女は再び上を向く。
・・・どこまでアホなんだよ・・・。
「青白いの・・・ないよ?」
「ある。探せ。弓座の南東だ」
「南東って・・・右?左?」
「右下だ、アホ」
「・・・ジェイドの意地悪」
女は夜空をにらめっこをしている。
しばしの時が過ぎ、俺は女を見た。すると――――――
「てめぇ!寝てるじゃねーか!」
「うん?あ、一瞬寝てた」
あははと笑うアホ女。
もう知らん。ここまで付き合った俺がバカだった。
アビ座と大ダコ座を間違えようが、何だろうが俺の知ったことじゃない。
「もう寝る」
俺は立ち上がった。
「え~?!待ってよ、大ダコ座は?」
「知らん」
リュートを女に返した。女は上目遣いで俺を見つめる。
「ごめん、ジェイド。だから教えてよ」
「もう無理。お前、寝るし」
「もう寝ないから~!」
女は俺の左腕を握って揺すった。
ガキかよ。駄々っ子かよ・・・。
「ダメ。自分で考えろ」
「ジェイドの意地悪ーー!!」
「アホよりマシだろ?」
「ジェイドのケチーー!!」
「バカより良いんじゃねーか?」
女はとうとう口をつぐんだ。
勝った。
ニヤリと笑っていると、
「ジェイド様、ナナ様。もう少しお静かにしていただけませんか?」
マリーがガラス戸を開けて入ってきた。少し怒っている。
「お歌やリュートは素晴らしかったですが・・・口喧嘩は止めてください。大人げない」
言われてしまった。
俺と女は顔を見合わせる。
「・・・ごめんね、マリー」
おずおずと女は口を開いた。
「そんなに声、大きかった?」
「ええ。大ダコ座を教えてもらっていたのに、ナナ様、いつの間にか眠っておられたんでしょう?それはジェイド様も怒りますよ」
言うと、マリーはくすくすと笑う。
「星座は今度でもよろしいではありませんか。それともまだ二人っきりでいたいのでしたら、どちらかのお部屋にでも―――――――」
「寝る」
俺はさっさとガラス戸の方へ歩き出した。
「言っとくが、俺はこんなアホガキには興味無いからな」
「なっ・・・!ガキじゃないもん!ってゆーか、私だってジェイドみたいな意地悪の人好きじゃ――――――」
「はいはい。ナナ様、分かりました」
マリーが割って入った。
侍女はガラス戸を開けながら、俺を見上げる。
「・・・また、ナナ様にリュートを弾いてあげてくださいね」
「・・・気が向いたらな」
俺の言葉に、侍女は優しく頷いた。
閉められたガラス戸の向こうで、黒髪の魔女と侍女が何か話している。
「・・・大人げない、か・・・」
苦笑すると、俺は自室へと戻った。
星座を見る二人には・・・
ロマンティックなことは何も起こりませんでした(泣)