第1章 第1話
「で?どうして俺がお前の手伝いをしなけりゃならないんだ?」
馬を走らせながら、俺は馬車の御者台にいるランスに尋ねた。
ランスは薄いブラウンの髪を風になびかせながら、ふふんと鼻を鳴らす。
「陛下にお尋ねしたら、ジェイドたちの隊が野外練習中だって仰るからさ。こりゃ、丁度いいなって思って」
「答えになってねぇだろ」
俺は少し苛立った。砂よけのフードを目深にかぶる。ランスはくすりと笑った。
「水を汲むのを手伝ってほしいだけだよ。僕のこの細腕じゃあ、すぐに疲れちゃうし日も暮れちゃうからね。それに、ジェイドの部下たちも久しぶりの水泳で喜ぶと思うしさ」
「あいつらの入る前にしろよ?水汲み」
「大丈夫だよ。あそこって滝があるでしょ?通称<光の滝>」
「別名<魔女の涙>だろ?」
俺の言葉にランスは頷いた。
ここ、バース国は周囲を山で囲まれた砂漠の真ん中に位置している。敵には攻め込まれにくいが、生活するのも困難というとても不便な国だ。
敵と言ったが、今は膠着状態。俺らのじーさまたちは、南のリーアム国と領土争いを頻繁にしていたらしいが、王が変わると、国も変わる。今現在はお互い、様子見といったところだろう。ただ時々、南部のリーアムと隣接するウィーリス国が戦争を始めるという噂を耳にするが。
バース国の東部はすべて山。西には協定を結んでいるムーア国と小国家ながらも軍事力の強いディリス国がある。我が国の王、若干20歳のジョン陛下はムーア国の皇女と仲が良く、近々ご結婚なさるとかなさらないとか。そうなれば、北部はほぼ我がバース国の領土となり、南に堂々と攻め入れられるのだが、それはまだまだ先の話らしい。
この国の唯一の水源、それが、今から行く<光の滝>または<魔女の涙>と呼ばれているところだ。馬で2時間ほどのところにあるオアシス。オアシスと言っても、水が湧いているわけではなく、リーアム国との堺にある山から滝として水が落ちてきているのだ。その滝壺に今から行くのである。
どうして、そう呼ばれているのか。説はいろいろとあるようだが、なんでも滝が光るらしい。そして、それが光ったとき、この国になにかが起こるらしい。人から聞いた話で、信憑性に欠けるのだが、じーさまのときは、滝が光った後に大地震が起こったそうだ。子供心に、それは嘘だと思ったが。
<魔女の涙>と言うのは、兵士たちの間で噂されている物語だ。
黒い瞳で黒髪という神秘的な女が一人の兵士と恋に落ちた。しかし、時は戦乱。その兵士も出兵しなければならず、二人は「生きて逢おう」と再開の地に、この滝を選んだ。どうして、その滝で落ち合う約束をしたのかは知らないが、女は待って待って待ち続けた。その間、10年。女はただ待っていただけではなく、男が帰ってくるようにと石に言葉を刻んでいた。それが、その滝のそばにある『誰にも読めない石碑』だ。女が後に『魔女』と呼ばれるようになったのは、その言葉が、どの国のものなのか、いつの時代のものなのかさえ全く分からなかったからだった。
女の願いも虚しく、男は帰っては来なかった。女は涙を流し続け、悲しみのあまり死んでしまった言う。滝でできた大きな湖が彼女の涙で出来ている、というのはここから生まれた話だった。
その湖の水をどうしてランスが汲みに行くのか・・・。
前にも触れたが、ここは砂の国。故に、水はとても貴重なのだ。巷では、水1Lにつき、銅貨1枚から10枚の値が付けられている。ジョン陛下は出来るだけ、民たちに平等な暮らしを与えたいと、ひと月に一度、馬車に空の樽を乗せ、出来るだけ多く汲んでくるように命じている。まさか、国が金を儲けるわけにもいかず、これを城下町へそのまま持っていき一家族につき50Lの配給となる。これは生活できるギリギリの量だ。足りない家は『水屋』と呼ばれているところで銅貨を払って賄っている。こればかりは仕方がなかった。
「なぁ、ランス。お前、仕事はどうなったんだ?調査は進んでるのかよ?」
馬上から問う。ランスは砂混じりの風から口元をマントで隠しつつ答えた。
「ああ、リーアム国についてでしょ?なんでも将軍が代わったみたいだよ?だから、今は攻めてこない」
「またか?前にも代わらなかったか?」
「内部分裂してるみたい。亡き国王の息子たちがいるでしょ?兄側と弟側に分かれて、ごたごたしてるみたいだよ。それで、今はその兄が暗殺されて、弟側の大臣だった人が将軍」
「・・・よくわかんねー国だな」
ぼやくように言うと、ランスは笑った。
このランス。名をランス=グレッグストンと言い、この国の参謀――つまり、俺の頭脳を務めてくれている。年は22になったばかりと若いが、頼りになるし、何より頭がいい。その上、女のような顔をしているせいか、女たちにも人気があるようだ。
「リーアムか・・・。いずれその大臣が何か仕掛けてきそうだな」
「やめてよね!そんな怖いこと考えるの」
平和主義者のランスが俺に文句を言った、その時、
「指揮官殿」
声がした。赤毛の馬に乗った隊長のロックだった。短い茶色の髪と同色の瞳。額の汗に砂がこびりついていた。その表情が、少し険しい。
「何だ?どうした」
「指揮官殿、先程・・・声が聞こえませんでしたか?」
気持ちの悪いことを言う。思わずランスを見ると、彼も首を傾げていた。
耳を澄まして見る。どどどっどどどっ、という馬の蹄と馬車の音以外は変わった音は聞こえてはこないが・・・。
「・・・確かか?」
「・・おそらく・・・」
ロックはすでに見えている滝を見つめた。あの滝の辺りから声が聞こえたということか。俺には馬車の音に紛れて滝の音さえかすかに聞こえるくらいなのに。
ロックの聴覚がずば抜けて良いことは実戦で知っている。暗闇の中、かすかな衣ずれの音から敵の居場所を突き止めた男だ。また、剣の腕も良く、兵士たちからの人望も厚い。今では俺の右腕にまでなっている。
「よし、ランス。行くぞ」
「え・・・えぇぇぇ?僕も〜?」
「当たり前だろ。そんななりでも一応参謀だろ?情報収集しないとな」
意地悪く笑うと、ランスはふくれっ面をして俺を睨んだ。ロックがくつくつと笑っている。ランスを軽く受け流し、俺はロックに告げた。
「残りの者を連れ、湖の手前で待ってろ。合図をしたら来い。いいな?」
「はっ。畏まりました」
馬上で律義に敬礼をする部下。それに大きく頷くと、俺は馬を速めた。
「先に行って、様子を見てくる」
「うん、気をつけてね」
「誰に向かって言ってんだ?」
俺の皮肉にランスは手をあげて答えた。「そんなことは知ってるよ」とでも言いたそうな顔で。
耳の傍を風が唸りをあげて通り過ぎていく。フード付きのマントで鼻と口を覆ってはいるものの、砂漠というのはどうしてこうも埃っぽいのか・・・。
湖の周りに生えている木々が風で揺れている。森・・・まではいかないにしろ、林くらいには草木が茂っていた。黒毛の馬から降り、足音を殺して滝へと近づいて行った。
かさり・・・
人の気配がする。腰の鞘から剣を抜いた。太陽が剣に反射し、その眩しさに一瞬目を細める。
林を抜けた。こんなところで誰が何をしているというのか。水浴びか?もしもそれが女だったら・・・。あらぬ妄想を抱きつつ、俺が見た物―――。
それは、石碑のそばに佇む見知らぬ女の姿だった。
更新がだいぶ開きました(>_<)
次は早めにしたいと思います・・・