第9話
目覚めると人間の姿に戻っていた。
本当にどういう仕組みになっているのかさっぱり分からない。
まだ薄暗い早朝。身支度を整えると訓練のために城の裏手へ回った。
「おはよう、ギィくん」
ニヤニヤとした笑みでランスが近付いてきた。珍しく手には訓練用の木刀を持っている。
「珍しいな。参加するのか?」
「少し鈍ってきたからね。毎日書類とにらめっこだし。たまにはいいかな~と思ってね。ギィくん」
「・・・ほぉ・・・」
俺はスィと目を細めるとランスの木刀を奪い、それで奴の頭を殴った。
パカンと良い音がする。
「いったぁ~い!参謀を殴ったね!陛下にも殴られたことないのにっ!」
「はいはい。一生やってろよ」
木刀を手に広場へ向かう。そこにはすでに兵たちが集まっていた。思い思いに身体をほぐしている。
あの女の国ではこういうことも無意味なんだろうな・・・。
戦うことが当たり前だと思っていたが、血を流さずに済むのならその方が良いに決まっている。
なかなかそれが難しいことは分かっていても、だ。
「指揮官、おはようございます。今朝のご気分はいかがですか?」
ロックの声で我に返った。
いつの間にか兵士たちが俺の前にきちんと整列している。
「大丈夫だ」と、告げるとランスがくすくすと笑いながら言った。
「ロック、聞いてよ。実はね、昨日ナナちゃんにかわいがられたんだよ。バルコニーに二人っきりで。ね?ギィくん」
「ランス、てめぇ!!」
木刀を振り上げたその時、
「ギィくん?!」
「指揮官、ナナちゃんとヤッたんすか?!」
「でも昨日は満月だから・・・・」
「オオカミの姿で襲っちゃったんすか?!やばくないっすか?!」
兵士たちが口々に騒ぎ出した。ロックら隊長たちは口元に手を当てて笑いをかみ殺している。
てめぇら・・・俺をこけにして・・・
「うるせぇ!!」
バキッ
振り上げたままだった木刀を地へ叩きつけると、それはいとも簡単に折れた。それを見てやっと兵士たちが静かになる。
「てめぇら、分かってんだろうな?!」
ごくりと生唾を飲み込む音が耳に入ってきた。大きく息を吸う。
「腕立て・腹筋・スクワット各500!終わった者は城の周り20周!始めっ!!」
非難の声が湧き上がる。
小さくなった木刀を再び地面に投げつけると、今度は木っ端みじんになった。
渋々兵士たちは腕立てを開始する。
「あ~あ。かわいそ」
隣で佇むランスがのほほんと口を開いた。俺は視線を参謀に向ける。
「お前もやれ」
「ええ~?!100回がやっとなのに~?!」
「大丈夫」
がしっとランスの両肩を掴んだ。
「死んだらこの俺がキレーに埋めてやるよ」
「ジェイドの鬼ーーーーー!!」
ランスの悲鳴を聞きながら、太陽はゆっくりと昇っていった。
ぐったりとしたランスを引き連れ、遅い朝食をとった後、ランスは書斎へ、俺は再び広場へと出た。
朝食時にあの女がいなかったのは幸いだったかもしれない。
オオカミの姿だったとはいえ、頭や身体を撫でられた上に抱きつかれたとあっては、意識していなくともやはり恥ずかしいものがある。
早朝特訓でだらけきった兵士たちの相手をしていると、時はあっという間に過ぎてしまった。
すでに陽は沈みかけている。
「よし。今日は終了」
片付けを終え、兵士たちは敬礼をするとのろのろと兵舎棟へ歩いて行った。砂埃に顔をしかめる。
「指揮官殿」
砂埃がおさまった後、ロックが近付いてきた。体中砂と汗まみれになっている。
それは俺も同じか・・・。
「うん?どうした?」
ロックに振り向くと、彼は人差し指で城の裏口を指した。つられてそちらを向く。―――――――あの女がいた。
「ジェイドーーー!」
俺と目が合った女は、本を両手に抱えながら走ってきた。
そういえば昼食時にもこの女の姿は食堂にはなかった。一体今まで何をしていたんだ?
「ジェイド」
俺の目の前まできた女は、俺を見上げてにっこりと笑う。
・・・何だよ、一体・・・?
「あなたは誰ですか?」
『は?』
俺と、そして隣にいるロックの口からも同じ音が発せられた。
俺はどう対応していいのか分からず、しばし呆然とする。
「ナナさん・・・。こちらはジェイド=フォーリー指揮官です。・・・ご存じでしょう?」
ロックの言葉に、女は首を左右に振ると、人差し指で俺を指した。
「ジェイド。あなたは誰ですか?」
・・・今、自分で俺の名前言ったじゃねーか・・・。
と、女が抱えている『初等教育 文法書1』という本のタイトルが見えた。
ははん。なるほど。今までランスと一緒に勉強してたってことか。で、その成果を俺で試すってワケか・・・。めんどくせぇな。
俺は小さくため息をつくと、目の前で今か今かと目を輝かせて待つ女に、答えてやった。
「俺はジェイド=フォーリーだ」
フルネームを言ってやると、女はにっこりとほほ笑んだ。通じたのがよほど嬉しいのか、今度は隣に立っているロックを指さす。
「あなたは誰ですか?」
「私はロック=ウィーザーです。あなたはどなたですか?」
逆にロックに質問をされても、女は嬉しそうだ。少し思い出す素振りを見せた後、ゆっくりと口を開いた。
「私は高崎奈々です。はじめまして。ロックさん」
綺麗な発音で答える女。ファミリーネームは『タカサキ』らしい。
俺は思わず女を見つめていた。黒髪の女はロックと握手をしているところだった。
「ナナさん。ランス参謀に教わったんですか?」
ロックが女の本を指しながら言う。女は首を傾げ、しばらくして首を横に振った。
ランスではない、ということか。
「×&%」
「わかんねぇーって」
苦笑する。どうやらまだ『あなたは誰ですか?』くらいしか言えないらしい。
ま、後でランスにでも聞くとしよう。
「さぁ、中へ入りましょう。指揮官、ナナさん」
ロックが城へと歩き出す。女は俺を見上げてから、ロックの後に小走りでついて行った。
「ジェイドーー!」
途中で振り向き、俺を手招く女。
・・・って待てよ。さっき、あの女、ロックには『ロックさん』と呼んでなかったか?
俺とランスは呼び捨てで、ロックには『さん』付け・・・?
俺らのほうが位が上なのに・・・?
「ジェイドーー!」
裏口で女が俺を呼んでいる。ロックもこちらをにこやかに見ていた。
何だか腑に落ちないまま、俺は城へと歩を進めた。
死闘が繰り広げられていた。しかも食堂で。
俺とロックは着替えのため一旦部屋に戻り、あのアホ女も本を置きに部屋に入る所までは見た。
着替えて食堂に降りてみたところ・・・
「・・・何やってんだ?」
あの馬女を中心に兵士どもが騒いでいる。そのポジションを争っているのか、そこここで小競り合いが起こっていた。
平然と食べているのは、隊長のロックとケビン、ガリウス。そしてランス参謀。
「あいつら、何やってんだ?」
ランスの向かいに座り、俺は顎でその方向を指しながら言った。ランスはパンを食べつつ、
「ナナちゃんがね、みんなに『あなたは誰ですか?』って聞いて回ってたの。で、ナナちゃんと会話出来る!!って色めき立っちゃって・・・。あの群がり様なワケ」
「・・・飢えた獣だな」
「それ、ジェイドじゃない」
ジロリと参謀を睨んだところで、エイミーが食事のプレートを持ってきた。
ランスがほっと胸を撫で下ろしているのを確認する。
ちっ。運のいい奴め。後で覚えてろよ?
「はいはい。みなさん、お食事ですよ。これじゃあナナ様だって召し上がれないじゃないですか。食後にしてください」
マリーが兵士たちを女から追い払っている。野郎どもは渋々テーブルに着いた。
一人ぽつんと残った女は、マリーにほほ笑むとキョロキョロと辺りを見回した。
何をしているんだ?と思う間もなく、
「ジェイド。ランス」
やはり来た。手に小さなノートを持っている。
俺の横に腰かけると、マリーが女に食事を持ってきた。ベテラン侍女は俺を見ると嬉しそうに話しだす。
「ジェイド様、お聞きください。ナナ様、大変頭がよろしいんですよ」
「ふぅ~ん」
「今日一日、ギルバート先生に教わっていたんですが、アルファベットの大文字・小文字。あと初歩的な文法まで進んだんですよ!」
「へぇ。ギルじいに習ってたのか」
ランスに確認すると、彼は
「面白かったんだよ、ギルじい。ナナちゃんを一目見るなり『おお!おお!こりゃかわいらしい魔女さんじゃ。どれワシと一緒に風呂にでも入りに行かんかの?』だって」
と、プッと噴き出した。俺も苦笑する。
ギルバート=スレイン。御歳70という生きた化石(失礼)だ。
俺やランスが騎士見習い時代から教鞭をとっている。
昔は見習い兵たちに、この国の成り立ちや歴史・語学等を教えていた。が、今では部屋に引きこもり、何やら怪しげな書物を読みふけっている、という専らの噂だった。
まだ生きていたとは・・・。
また、ギルじいは昔から下ネタが大好きで、若い兵たちに実にいろいろなコトを吹き込んでいた。それは今尚健在らしい。
ま、マリーが見張っているのなら大丈夫だとは思うが・・・。
「ランス、これは何ですか?」
女の声に、俺は我に返った。女は参謀にプレートの中にあるオレンジの実を指して言っていた。それは<ライ>という果物。
ランスは「これは果物です」と、まるで教科書通りの答えを言ってやっている。本当にお人よしな奴だ。
「く・だ・も・の」
口の中で繰り返すと、女は小さなノートを開いた。そこに何やら書き足していく。
覗き込むと丸い実の絵の横に何やら不思議な文字があった。全く読めない。これがおそらく、この女の国の文字なのだろう。
そのページの反対側には、簡単な兵士の似顔絵が描かれていた。俺の知らない下級兵に混じって見知った顔が一つ。
「チャズ、だろ」
つい声に出すと、女はびっくりしたように俺を見た。俺はノートをトントンと指で叩く。
「チャズ、だろ。これ」
「チャズさん」
女はこくこくと首を縦に振った。と、何を思い出したのか、先ほどの<ライ>の下に犬のような絵を描いた。それを俺に見せる。
「犬?何だ?いきなり」
分からない。犬よりも毛並みがふさふさしているような・・・。でも、なぜ、今・・・?
女はポンと手を打つと描き足した。
丸いもの・・・これは満月?で、これは・・・バルコニーか・・・?
「それギィくんのことじゃない?」
ひょいと、ランスが首を伸ばしてきた。女の絵を見て楽しそうに言う。
「満月とバルコニーでしょ?この犬みたいなのがオオカミなら・・・これ、ギィくんだよ」
「・・・ギィ・・・?」
「ギィくん」
女は早速ノートに書き記した。
そういえば、俺のペットっていう設定になったんだったっけ・・・。
勝手に名付けられたことを思い出し、俺はランスを睨んだ。ランスは当然、知らんぷりを決め込んでいる。
「ナナ様、今は召し上がってくださいまし。お勉強はまたにしましょうね」
マリーがひょいとノートを取り上げると、女はふくれっ面をしながらも小さく「ごめんなさい」と呟いた。
黒い髪をマリーは優しく撫でる。
「さ、ジェイド様もランス様も残さずに召し上がってくださいね」
本当に母親のようだ。
俺は苦笑すると、目の前の食事に集中した。
城の大浴場から部屋へと戻る。
久しぶりに手足を伸ばしてゆっくりと湯に浸かることができた。部屋にも風呂はあるのだが、かなり小さい上に湯を張るのが面倒で、水風呂しか入ってはいなかった。
この国は常に暑いから丁度良いといえば良いのだが、たまには熱い風呂へ入りたくもなる。
「はぁ」
部屋のソファーに座り、酒をあおった。部屋の窓からは月が見える。少し欠けていた。
「ギィ・・・ねぇ・・・」
呟き、俺は窓際に立った。階下のバルコニーを見下ろす。
そこに、あの女がいた。隣にはマリーの姿もある。二人で月を指さしていた。
どうやらマリーに教えてもらっているらしい。
「勉強熱心・・・だな。仕方ないか」
ギィの姿の時に聞いた言葉を思い出す。
『早く言葉を覚えなきゃ』
無理をしてなきゃ良いが・・・。ってなんで、俺、あの女のこと心配してんだよ。
あんな馬女、どうなったって俺には関係ないってのに。
少し開けた窓からは、きゃっきゃとはしゃぐ女たちの声。少し冷たくなった風とともに、部屋に流れ込んできた。
ギィと話していた時の女は少し淋しげだった。
俺たちの前でだけ、あんなにはしゃいでいるのだろうか。
マリーと女はバルコニーから姿を消した。
酒を全て飲み終干すと、俺も再びソファーに腰掛ける。
「・・・魔女か・・・」
ランプの灯りが仄かに揺れた。
☆ナナちゃんメモ☆
「初等教育 文法書1」からスタートしてます。
現代でいう、中学1年の英語らへんと思ってくだされば結構です。