歪
昔妹が犬を連れて帰ってきた。
そいつは飼い主から捨てられ段ボール箱に入っていたらしく、まだ子犬だった。
親は犬を飼うことに反対した。
ユキは大泣きしながら、その子犬を公園に戻した。
オレは一緒に公園へついていってやった。
ユキは子犬を段ボール箱に戻し、代わりにオレの手をしっかり握った。
もう泣き止んではいたが、握られた手は震えていた。
オレはユキに“ここでこっそり飼おう”と提案した。
ユキはもちろん大喜びだった。
確かその時二人で決めたその子犬の名前は…
「……ニッグ」
「気がついたか相棒!」
あれ?目の前にオレがいる…?
あぁそうか、ドッペルゲンガーか…
その時何か柔らかい感触が頭の方でした。
「ん?」
このなんとも言えない感触は
「…うわぁっ!」
オレはやっと現状を理解して飛び起きた。
「おっと。もう体は大丈夫なのか?」
やつは笑顔で聞いた。
オレは今の今まで…
「お前に膝枕されてたのかぁーー!!」
不覚だ!一生の不覚!
き、気持ちわりぃ!
男に、しかも自分に膝枕されるとは…
ショックはでかかった。
「相棒がいきなり倒れるからびっくりしたぜ~」
そうだ…
さっきのあの感じは一体なんだったんだろうか
「ってか、なんでオレとお前が入れ替わってんだよ」
オレ達は学校近くにある駅のホームのベンチにいた。朝ということもあり周りには人がたくさん行き交っていた。
しかしあれほど大声で叫んだオレを見るものは一人もいなかった。
「んー、それがさー」
やつはそう言うとオレの右手を掴んだ。
そして言いにくそうに
「戻らなくなっちまった」
と言った。
え
嘘だろ…?
オレの思考回路は数秒間止まった。
とりあえずオレ達は仕方なしに、戻らぬ形のまま学校へ向かった。
「言っとくけど、変な真似だけは絶対するなよ」
「おいおい相棒、俺のことはニッグと呼んでくれ」
「ニッグ?」
「さっき相棒がそう呼んだじゃねぇか」
いや、あれは犬の名前で
ニッグは鼻唄を歌いながら軽快に歩いていた。
まぁ本人が気に入ってんならいいか
そうしているうちに校門が見えてきた。
今日一日何事もないことを祈るしかないな
オレはやっと腹をくくり、ニッグと共に校舎の中へ入っていった。
ニッグは驚くほど自然的にオレの世界に入り込んでいた。
いや、やつもオレ自身なんだ、ただ立場が入れ替わっただけ。いわば裏と表。
あいつがこの世界にいても不思議なことなんてないのかもしれない。
もしかしたらここにいるべき存在はやつの方なのかもしれない。
ならばオレは―?
キーンコーン
「はっ」
チャイムの音が乱暴にオレの頭の中に入り込んだ。
「おーいコウスケー。行くぞー」
「ああ」
っとオレじゃなかった。
「おう!今行くぜ」
オレの代わりにニッグが返事をした。
次の時間は体育だった。
連日冷え込み、特に今日は気温が一度という具合だった。
吹く風が肌に突き刺さるような寒さだ。
オレは幸にも寒さを感じなかった。
「おいお前ら!いつまで女子みたいに体を丸めてんだ!さっさと走ってこんか!」
ジャージ姿のゴリが怒鳴った。
あいつ元気だな
「おーいお前ら!早く走ろうぜー」
元気なやつがもう一人いた。
こんなくそ寒いときに体育なんてやってられねーっつの、一体誰だよ?
オレは一人騒いでいるやつを見た。
「っ!!」
あ、あれは
オレじゃねぇかー!!
止めろオレ!てかニッグ!
オレは急いでニッグの元へ走った。
「バカ!止めろ!」
『なんでだよー?』
ニッグの心の声だった。
「なんでって、オレはそんなキャラじゃねーんだよ!」
『キャラとか知らねーよ。俺も相棒も同じなんだ。だからこれも相棒さっ』
いや、意味わかんねーし
「どうしたマツモト!今日はえらく気合い入ってるじゃねぇか!」
「はい先生!俺走るの大好きなんすっ」
いやいやいや!
「おおそうだったのか、それは知らなかったな。いいぞマツモト!」
「マツモトってあんな熱いやつだったか?」
くそ!
ゴリにもクラスメイトにも変な印象がついちまった!
しかしニッグの自己主張の暴走はこれだけにおさまらなかった。
「おいニッグ、ちょっと来い」
昼休み、オレは我慢ならず屋上にニッグを連れてきた。
屋上から見える空は全面灰色の雲で覆われていた。
「どうしたんだよ相棒」
「どうしたもあるか!なに女子に気軽に話しかけてんだ!」
「可愛かったからつい」
「てか、制服ぐらいちゃんと着ろ!」
「ファッションだって~」
「それとボケとかモノマネとかしなくていいんだよ!」
「最近の流行もしっかり抑えてるぜ!」
「今まで積み上げてきたオレのイメージがぁぁぁ」
「相棒イメージなんか作ってたのか」
はっ!
つい取り乱してしまった
「い、いいか」
オレは顔を真っ赤にして話した。
「これ以上は…」
その時視界の隅に何か黒いものが映った。
!!?
振り返ると、制服を来た女が高さ三メートルはあるフェンスの向こうに立っていた。
あの後ろ姿は
「モリナガ!」
なぜか直感的にそう思った。
次の瞬間その女は屋上から飛び降りた。
「なっ!?」
飛び降りた!?
急いで駆けつけたが、そこには何もなかった。もちろん落下した真下にも。
オレの見間違いか?
しかしオレはそうではないという思いが確信に近くあった。
そしてニッグはオレの後ろで鋭く睨んでいたが、それにオレは気づくはずもなかった。
『おい相棒、どこに行くんだよ』
「うるさい」
放課後オレはモリナガを探していた。
オレはたぶん屋上で見たあいつの正体を知っている
「教えてどうにかなるのか?」
ドクンッ
ニッグが冷たい声で言った。今までで一番冷めきった鋭い声だった。
「ニッグ…お前もあいつの正体を知っているんだな。いや、お前の方が詳しいと言っていいんじゃないのか」
「ああ、そうだな」
やっぱり
オレは振り向きニッグを見た。
「あれはモリナガのドッペルゲンガーだ」
「その通り」
「あいつはモリナガを殺すのか」
「ドッペルゲンガーっていうのはそういうもんだ。俺を除けばだけど」
「何か止める手はないのか?」
「ない。止めとけよ相棒、相棒がどうこうできる問題じゃねぇ。行っても無駄足ってもんだぜ?それにそんな助ける義理があるような関係でもないだろ」
確かにそうだ
オレはモリナガと出会って間もなくだし、まだ他人のレベルの認識でしかない。
しかしなにかが引っ掛かっていた。
具体的な何かではないもっと抽象的なもの。考えようとすると目の奥が熱くなった。
「よく考え直せよ。今ドッペルゲンガーの状態の相棒が俺から一定の距離以上離れれば、もしかしたら消えるのは相棒の方かもしれないんだぜ。そんなのリスクが高すぎる」
「そうだな。まぁそれもいいかもしんねぇな。ニッグ、もしオレが消えたら後よろしくな」
なぜか消えることへの恐怖はなかった。
オレは自然にそんな言葉を口にした。
「おいっ!」
そして走り出した。
迷いはなかった。
オレをここまで動かすものはなんなのだろうか