ノイズ
■ドッペルゲンガー
独語:Doppelganger
語意は、「生き写し」「二重の歩く者」
独語のドッペル(doppel)とは、英語のダブル(double)に該当し、その存在は自分と瓜二つだが邪悪なものという意味を含んでいる。
以上から、自分の姿を第三者が異なる場所で見る、または自分で違う自分を見る現象のことを指す。
この現象を体験した場合、「その者の寿命が尽きる寸前の証」という……。
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マツモト コウスケ
身長・平均男子並
体重・平均男子並
学力・学年平均並
顔・平均男子並
……だと思う。
現在中学3年。
某年冬。
こんな平均的なオレ。
自分でも嫌になるほどこれといった長所も才能も無い。オレの15年間の人生も、まるでマニュアル通りのように大したこともなく過ぎていった。
オレはこの頃、もうすでに自分の力なんてものは諦めていた。
凡人は凡人である、と。
しかしオレはこの後、超がつくほどの奇怪な運命に巻き込まれていくことになる・・・。
―塾の帰り道
腕時計を見るともう22時をまわっていた。
「腹……減ったな」
口の中が寂しかった。
オレは財布の小銭を確認し、コンビニへ足を運んだ。
お菓子とコーラを買って家へ急いだ。
あと数十メートルのところでお菓子が底を尽き
また口の中がさみしくなった。
曲がり角を曲がろうとした時、誰かとぶつかった。
「すいません」
反射的に発した、形だけの言葉。
薄暗くてよく見えなかったが
オレと同じ身長の、同じぐらいの年頃の……
男だった。
……いや
そう直感しただけだったのだが
男は何も言わずに去って行った。
オレはそいつを目で追うが、振り返るまではしないでまた歩き出した。
「ただいまー」
疲労感と睡魔を体に感じながら、リビングのドアを開けた。
開けるのと同時に、いいにおいがオレの鼻をくすぐった。
やっと飯にありつける
しかし、テーブルの上には誰かの食べた後だけがあった。
先にみんな食っちまったのかな
「あら、帰ってきたんなら何か言いなさいよ」
母さんがリビングに入ってくるなり、驚いた様子で言った。
「ただいま。それより、オレの晩ご飯は?」
「何言ってるの?さっき食べてたじゃない」
えっ?
言葉を理解するのに数秒かかった。
記憶をたどり
晩ご飯を食べたことを思い出そうとする。
しかしオレの記憶の中にはやっぱりなかった。
反論しようと、口を開いたとき
「お兄ちゃん、コーラ買ってきてくれた?」
妹が割って入ってきた。
いつの間に入ってきたんだ
いや、それよりも……
「コーラ…?」
「お金は後で渡すから」
妹のユキは、オレの持っているコンビニの袋に手を伸ばし
コーラを奪った。
「おいっ、それはおれのだぞっ」
「ちょっと、お兄ちゃんがコンビニ行くって言うから私が頼んだんじゃない」
ユキは呆れながら言った。
おかしい
さっきから二人して何を言っているんだ?
何かがおかしい
どっちが正しいんだ?
オレの方が間違っているのだろうか?
そんなはずはない、普通に考えればそうだ。
しかしなにか嫌な感じがした。
ジェットコースターに乗ったときのように内臓が浮き上がるような
平行感覚がなくなったような不快感が、頭の先から爪先まで襲ってきた。
くらくらする
しかしまたどこかで割りきっている自分もいた。
恐怖もなければ、好奇心もないし興奮もしない、そんな自分。なんとなくの気持ち悪さだけ残る。
二人が不思議そうな顔をしているのを見て、反論は諦めた。
「どうしたの?」
母が探るように言った。
はぁ……
「なんでもない」
オレは階段を上がり自分の部屋に入った。
電気をつけると、カーテンが開いていたことに気づいた。
閉めようと思い
窓に近づき手を伸ばした。
その時、外に何かがいたのを窓ガラス越しに見た。
だが、すぐにいなくなってしまった。
……目の錯覚か?
じんわりと手がしめっていくのがわかった。
カーテンを閉めて
なんとなくそばにある机に目をやった。
「!」
ドクンッ
心臓が大きく波打った。
………朝と違う。
確かに机の上はいつも散らばってはいるが、
朝なかったモノが机の上に“あった”。
文字の書かれた、長方形の白い紙。
よく見るとそれはノートの端を切ったものだった。
「何だ……これ…っ」
『オレは マツモトコウスケ』
それはまぎれもなく、自分の字で書かれていた。
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妙なことは翌日の学校でも起こった。
ノートを貸したと言われた
机の中に入っていた。
友達に昨日のテレビの話をした
さっきも聞いたと言われた。
無くしてもいない生徒手帳を拾ったと言われた
自分のものだった。
おかしい。
おかしい。
おかしい。
どれもまったく記憶に無かった。
まるでもう一人の自分がいるみたいだ。
もう一人の自分―
まさか
そんな非現実的なものがいるわけがない。
幽霊は信じている。
UFOだって信じている。
でもそれは、第三者として見ているからであって
自分の身に起こっているとなると、さすがにアホらしくなってくる。
誰かの達の悪いイタズラだろう。
受験も近いんだ、今は勉強のことだけに集中しよう。
驚くほどに冷静でいられた。
―その日の放課後のことだった
「あ、あのっ」
玄関に向かう途中の廊下で、誰かに呼ばれ振り向いた。そこにいたのは知らない奴だった。
長身で細身。
つり上がった目だったが、整った顔をしていた。
長い髪の毛を2つに縛っていた。
「えっと……」
オレが戸惑って、困った顔をしていると
いきなりごめんねっ、と言って照れて笑った。
「あたしは、隣のクラスのモリナガ マコト」
オレはあぁ、とそっけなく相づちをうった。
「マツモトってさ、昨日の9時頃どこにいた?」
モリナガはなんの遠慮もなく単刀直入に聞いた。
馴れ馴れしいやつだ……
確かその時は―
「その時は塾にいたけど?」
嫌な感じがした
“いた”のではない。
“いたはず”なのだ。
「実はさ、あたし9時ごろにマツモトを見たの。」
何を言うつもりだ
まさか―
「駅で。塾なんかじゃない、駅で見たの」
モリナガは妖しい笑みを浮かべて言った。
「少し話さない?」
嫌な感じがした
この女には触れてはいけなたような・・・そんな気がした。
一緒に帰ろうと教室で待っていてくれた友達に謝り、オレはモリナガと帰ることになった。
周りの目もあり、かなり気まずかったが、
モリナガはなんとも思ってはいないようだった。
どんなことを話すのかと思っていたら、
学校やテレビの話しばかりを一方的に話している。
……うるさい
「それでさっ、そのとき担任がさ―」
「いい加減にしてくれっ!」
オレが聞きたいのはそんなことじゃない。
「そんなことをオレに話すために声をかけたのか?」
軽蔑の目で見たつもりだった。
しかしモリナガは逆に妖しく目を輝かせていた。
―笑っている
何が可笑しいんだ?
何なんだこいつは…
モリナガはオレの目を見て、一歩近づいて言った。
「やっぱり、あたしの話信じてくれるんだね。それってつまり、マツモト自信も、もう気づいているってことよね?」
しまった。
はめられてしまった。
このままモリナガの話を適当に聞いて、帰ればよかったのだ。オレはこれから起こりそうな事を想像した。
どうあっても面倒くさいことになりそうだ。
ため息が出る。
「はぁ。それで?」
オレがなんとかそれだけ聞くと、モリナガは興奮を押さえきれない様子でいた。
「ドッペルゲンガーって知ってる?」
いきなりの質問にオレはとまどった。
モリナガは真面目な顔で言った。
“ドッペルゲンガー”
なんとなくは知っている。
都市伝説などでよく耳にする名前だ。
「ドッペルゲンガーって言うのはね、自分とそっくりのもう一人の“自分”なの。でもとても邪悪なのよ。」
とてもね、と得意気に強調してもう一度言った。
「それで、昨日モリナガが見たオレは、ドッペルゲンガーであるもう一人のオレだと言いたいのか?」
その通りよ、とモリナガは言った。
妙な雰囲気に自然に止まっていた息を長く、深く、吐く。
ふー……
「モリナガ…」
「あれは絶対マツモト、あなただったのよ!もう一人のあなただったの!あなたのドッペルゲンガーが現れたんだわっ!!」
「モリナガ…っ!」
強く言った。
モリナガは、なによ…
と弱々しく吐いた。
ああ、
コイツは、モリナガはオレの口から聞きたくないのだ、と思った。
オカルト好きでのめり込んでいるのか
それとも信者となっているのか
オレは知らない。
知らないから、平気で言える。
「それはドッペルゲンガーなんかじゃない」
「う、嘘よっ!」
やはりそうだった。
コイツはオレから否定の言葉を聞きたくないんだ。
自分を否定されているようで嫌なのだ。
今まで自分が信じていたものが崩壊していく事が怖いのだろう。
「悪いが、その時オレはモリナガの言う通り駅にいたんだ。塾をさぼっていて…。さっきは急なことだったから適当に嘘をついたんだ」
オレは冷たくこじつけた理由を言い放ち、じゃあと言って歩き出した。
なにがドッペルゲンガーだ…
一瞬でも聞く耳を持った自分がバカバカしく思えた。
「マツモト!待ってよっ」
オレはもう、モリナガの言葉に耳を傾けるつもりは無かった。
しかし―
「ドッペルゲンガーに会ったら…死ぬんだよ」
体が反応した。
足が勝手に止まり、全神経がモリナガへ向かった。
モリナガはまたあの不適な笑みを浮かべているだろう。
いかにも得意気に…
それを確かめようとはさすがに思わなかった。
「知らなかったの?ドッペルゲンガーは少しずつ……少しずつ…オリジナルに近づいていくの。
そしてある時、オリジナルの前に姿を現す。
なぜだかわかる?
自分がオリジナルとなるためよ」
頭痛がした。
モリナガの言葉が重く、
鉛のように頭の中に入ってくる。
オレは歩き出した。
その場から早く離れたかった。
逃げたかった。
モリナガはオレの後を追っては来なかった。
ただ一言
「死なないように気をつけてね」
とだけ言った。
後ろで笑っている顔がはっきりと想像できた。
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家から徒歩15分程度で塾に着く。
いつもなら一度家に帰ってから行くのだが
今日は家には帰らず、そのまま真っ直ぐに塾へ向かった。
腕時計を見ると、
19時25分―
授業が始まるまでまだ30分ほど空きがあった。
その間に宿題を終わらせた。
きっかり2時間の数学の授業。
先生はものすごいスピードでホワイトボードを
黒と赤と青の三色で埋めつくしていった。
ピリピリとした空気の中、みんな受験一色だった。
そんな中オレ一人だけ、集中できていなかった。
怯えているわけではない。
頭の中は疑問でいっぱいだった。
モリナガに言ったことはもちろん、嘘。
21時頃はやはり、今日と同じく塾で授業を受けていた。
オレが駅にいることなんてまずあり得ない。
もし―…
もし本当にドッペルゲンガーがいるとしたら……
気がつくと教室には自分しかいなかった。
「帰るか」
荷物をまとめて、席を立つ。
その時、外の電柱の影で何かが動いた。
しかしオレはそれに気づかなかった。