病葉
「ごらんあの庭木を…彼奴は良くないものが付いている、病に侵されているんだ。
深緑の中に一枚だけ赤い奴が混じっているだろう?あの葉はね、ああして彼処に留まって他の葉を感染させるのさ。
風に揺れて触れる度周囲を少しずつ侵食していく。
初めに病んだ彼奴だけはあの木が死ぬ迄落ちずに残る。他の感染した葉は皆色変わりすると同じく隣を感染させて散っていく。落ちたその葉はまた風に飛ばされて他の木を殺しに行く。
木から落ちて数日は感染させる力が残っているからね。そうして鼠算式に増えていき庭木を全て殺す。
野生の森に此奴がいると大変な事になるんだがね、野性の森には此奴を食べる虫が居るんだ。けどその虫はこう言う人口的に植えられた木には寄り付かないからね。
だから俺たち庭師が摘んでやらなけりゃあいけないんだよ。」
先生はそう仰ると着物の袂を押さえて赤く色付いた其奴をぷちりと千切って取り去りました。
「見つけるのが早くて良かった。これでもう大丈夫だ。」
私は先生の掌で横たわる赤い葉を良く見ようと顔を近付けました。
「いけないよ。此奴は人にも憑るんだ。人の中に入ってしまっては俺たちの様な庭師程度では手に負えないからね。
特別な医者を見つけなくちゃあならん。それに運良く医者が見つかっても助かるかどうか分からない程なんだ。無闇に触れちゃあいけないよ。
分かったかい?」
コクリと首を縦に揺らして承知して見せた。
先生は素手でお触りになっているけれど大丈夫なんだろうか?不思議に感じて考えごとでもする風に顎に手を宛てがい小首を傾げていると
「俺はもう前に一度感染しているからね。耐性があるのさ。」
あぁ、先生の左目があの病葉の様に赤いのはそのせいなのか。
合点がいって、再び頷いて見せると
「お前は病なんぞもらうんじゃあないよ。まだ沢山のものを見て学ばなくちゃいけない。
大事にしなさい。」
やはり先生のあの目はもう見えて居ないのだ。
まだ歳の頃は三十半ばというのにいつも杖を突いて歩いていらっしゃるのは、もう片方の目も殆ど見えなくなって来ているからだ。
目上の方のお顔をまじまじと見つめるのは不躾と心得ているから、たまに横顔をこっそりと盗み見るくらいしかしないのだけれど、先生はよく目を瞑っていらっしゃる。
お仕事で庭木を見て回る時以外は、眠っているかの様に静かに瞼を閉じていらっしゃる。
私が一人前のお仕事を出来る様になる迄、少しでも長持ちさせておく為なんだろう。
再び先生の掌の病葉に目を遣ると、先程まで燃える様に赤々としていたそれは、すっかり黒く変色して、ボロボロと朽ちていった。
先生の長く美しい銀髪が、毛先の方が年々黒く色付いていっているのは、あれと同じ事なのだろうか。
「泣くんじゃない。人も皆、いつかは朽ちて亡くなっていくものさ。
その方法がほんの少し違うだけの事だ。」
瞼を閉じたまま何処か虚空を眺めて先生は仰いました。
どうして私が泣いているのが見えたのでしょうか、不思議でなりません。