幻の王子(2)
「俺が人間なわけないだろ!おかしな冗談言わないでくれよ」
巣穴に戻っての第一声がこれだった。キャリオウは自分が人間だとは認めようとしなかった。
「考えてみろ、キャリオウ。他の者と比べて自分の姿が全然違うくらいわかっているはずだ」
「どこが違うっていうんだよ!目が二つに耳も二つ、口は一つで鼻も一つ!鼻の穴も二つで同じじゃないか!」
「それはそうだが……お前はよその子供よりはるかに小さいだろう」
「成長には個人差があるから気にするな、って父ちゃん言ってたろ」
ルパーオウは声を詰まらせた。ショックを受けすぎないように言葉を選んでいたのが悪かったようだ。決定的なことを言わねばなるまい。
「お前にはドラゴンには必ずあるはずの翼も尻尾もないだろう」
「んー?『お前がちっちゃい頃に引っ張ったら取れちゃった』って父ちゃん言ってたじゃん」
一瞬、ルパーオウは開いた口がふさがらなかった。確かに三つか四つの頃に「どーしてぼくにはしっぽがないの?」ってうるさく聞くものだから、そう答えたような記憶はあるが。
「でもね、お前には鱗もない……」
「それなら『体洗うときに力いれすぎて鱗全部剥げ落ちゃった』って母ちゃんが言ってた」
今度はクイリュンまでが口を開けたまま固まってしまった。水浴びを嫌がって暴れるので『大人しくしないから鱗が取れちゃったのよー』とか言っておどかしたことがあったような。
「あのね、お兄ちゃん」
その時まで何もしゃべらずに、見ているだけだったリュイリュンが初めて口を開いた。
「なんだよ、リュイまでなにか言いたいのか」
「お兄ちゃん……ほんとにそんな冗談を信じてるの?」
キャリオウの頬がヒクッと動いた。
「今時、そんな嘘で仔竜だって騙されないよ」
「そ、そんな……」
妹の言葉は素直に受け入れたようで、キャリオウは両膝をついてプルプルと震えだした。
「父ちゃん!あれって全部嘘だったのか?」
「いや、単なる冗談のつもりだったんだが」
「俺を騙していたんだね、母ちゃん!」
「普通は信じるかしら?あんな言葉を」
「ひどい、ひどいや!」
座り込んで血がにじむほど手を握り締めるキャリオウ。うつむいているので表情は分からないが泣き出す寸前なのだろう。
「キャリオ……」
ルパーオウは言葉を止めた。キャリオウが何故か笑っているのに気がついたからだ。
「フッフッフッ。騙されないぞ」
顔を上げたキャリオウは笑っていた。しかしいつもの屈託のないほがらかな笑顔ではない。追い詰められた者が見せる自暴自棄な笑いだ。
「騙されるもんか。みんなして俺をからかってるんだな?」
キャリオウは家族に背を向けて歩き出した。フラフラと洞穴の出入り口に向かって。
「俺が人間だって?冗談じゃない。人間じゃないって証拠、見せてやるよ」
思いつめた声でそう言うと、キャリオウは洞穴の入り口に立った。強風が吹き上げる足元を見てゴクリと唾を飲む。そこは切り立った崖となっていた、高さは二、三百メートルはあろうか。自由に出入りできるのは鳥かドラゴンくらいで、翼なき者は危険を冒してよじ登るしかない。キャリオウは眼下の森を青ざめた顔で見下ろしていた。
「よすんだ、キャリオウ」
何をしようとしているのか気づいたルパーオウは声をかけたが、これがまずかった。ためらっていたキャリオウが行動に踏み切るきっかけになってしまった。
「これが俺が人間じゃないって証拠だ!」
床を蹴って少年は空中に身を躍らせた。ドラゴンなら何でもないことだ。翼を広げればそのまま天へ向かって飛んでいけばいい。しかし翼なき生き物はどうなるか?
「ウオォォォォォーッ!」
掛け声とも悲鳴ともつかない叫びは下へ向かって落ちていった。激突が待つ大地に向かって。
「キャリ……」
「お兄ちゃ……」
家族の声は届かなかったろう。引きとめる暇もない一瞬の出来事だった。誰もいなくなった入り口に夜風がヒュウと旋風を巻いた。
「人間ってスゴク貧弱な生き物なんだろ。この半分の高さから落ちても死んじゃうくらい」
十五分後、絶壁をよじ登ってきたキャリオウは入り口から顔だけ見せてニカッと笑った。無傷ではなかった。鼻の頭をすりむいていたし、頭にはおおきなタンコブもできていた。髪に土がついてるところからすると、着地に失敗して頭から地面に突っ込んだのだろう。
「俺様はごらんの通り全然平気。な、俺って人間じゃないだろ?」
父親も母親も妹も黙ってジッと少年の顔を見つめた。それから深いため息を同時についた。
「それについては、私が説明しましょう」
なんだか妙に疲れた口調でクイリュンが話しはじめた。
「キャリオウ、小さい頃の自分のことを覚えていますか?」
「小さい頃?えーっと?」
「そう、小さい頃のあなたは病弱で体力もなかったのです」
母の言葉にちっちゃかった頃のことを思い出してみた。洞窟の一番奥、干草のベッドの上で葉っぱの布団に埋もれて寝ていた姿が思い浮かんだ。
「そーいえば、しょっちゅう熱出して寝込んでたよーな気がするな」
「そう、何度も高熱を出して生死の境をさまようことがありました。」
息子の言葉にクイリュンはうなずき、話しを続けた。
「あなたを死なせはしない。私たちは様々な薬草を集めては飲ませました」
「そうそう、色々飲まされたっけ。すごい色の薬草とか、ひどい匂いのとか、すごい味のとか」
「その甲斐あってか、あなたは死には至りませんでした。しかしベッドから起きあがることすらままならぬ虚弱体質はそのまま。不憫に思った島中のドラゴンたちが、滋養強壮に効果がある薬草を集めてきてくれたのです」
「あ!覚えてるよ!お誕生日のプレゼントだとか言って山ほど薬草持ってきてくれたんだ」
「その甲斐あってか、あなたは次第に健康になり、お外で遊べるようになりました」
「うん、思い出してきた。初めて外へ出た日に崖から落っこちて骨折して、また寝込んだっけ」
「そう、この島は虚弱なあなたには危険過ぎました。遊びに行くたびに大怪我をするのではないかと、私たち夫婦はいつも心配していました」
「そう言えば子供の頃はよく怪我をしては怪しげな薬の世話になってたなー」
「私たちは西に体が丈夫になる薬があると聞けば万難を排して手に入れ、東に身を守る呪法があると聞けば教えを乞いに飛びました。その甲斐あってか、あなたは間違って踏んづけたり崖から蹴落としたくらいじゃ、怪我もしないくらい丈夫になりました」
「そーいえばリュイには俺よく踏んづけられたよなー」
「あ、あたしそんなに踏んでないもん!お父さんの方がよく踏んづけてたもん」
ちょっと顔を赤くしてリュイリュンが抗議した。ルパーオウは「そんなに踏んでなかっただろ?」とかブツブツ言ってたが誰も聞いてくれないので、尻尾を丸めてすねてしまった。
「少しずつ元気になっていくあなたを見るのはとても嬉しいことでした。今にして思えばそれくらいでやめておけばよかったのです」
「えっ?」
「もっと元気にしてあげたい、そう思うあまりに私は更に効能のある古今東西の秘薬と魔法を施したのです。そしたら……」
「そしたら?」
「効き過ぎて空から墜落しても壊れない、デタラメに頑丈すぎる体になってしまったのです」
この瞬間、キャリオウは思考は凍結した。しかも母の話はまだ終わらない。
「さすがにちょっとやりすぎたかな、これくらいにしといたほうがいいかな?と私たちも思いました。しかし、新たな健康魔法や薬の噂を聞くたびにチャレンジ精神が燃え上がり、あと一回くらいいいかな?もう少し丈夫になってもいいかな?と思ってついつい……」
ちょっとの間、キャリオウは頭を抱えてしまった。それからゆっくり口を開いた。
「それじゃあ、俺の健康ぶりってドラゴンだからじゃないってことか?」
「そうです。全然、全く、完全に、少しも関係ありません。第一、どこのドラゴンだってあなたほど頑丈なのはいません」
それからキャリオウはうつむいて黙って何かを考え込んでいた。いにしえの悩める賢人のように眉間のしわを深くして。
「と、いうことは……!俺ってドラゴンじゃなかったのか!」
自分が両親の実の子じゃない?それどころか種族すら異なるよそ者?あまりのショック全身から血の気が引き、喉がカラカラに乾き、足がガクガクと震えた。しかし、家族の反応はあまり同情的ではなかった。
「だからさっきからそういっとるだろうが、この馬鹿息子!」
「ほんとに物覚えが悪い子なんだから」
「お兄ちゃんてちょっと……かなり馬鹿?」
皆がキャリオウを見る目は悲劇の主人公をみる目ではなかった。極限まで呆れたという目だ。
「お、お、お前らなぁ~」
家族全員の冷たいツッコミに、キャリオウは泣いた。マジで涙を流していた。
「ううっ、あんまりだ。あんまりだぁぁぁーっ!とーちゃんも、かーちゃんも、リュイも嫌いだぁーっ!グレてやるぅー!」
「あ、お兄ちゃん」
泣きながらキャリオウは走り去っていった。
「グ~レ~て~や~るぅぅぅ」
遠ざかる少年の悲痛な叫びが夜闇の中に拡散して消えていく。後には途方にくれる家族が残された。ルパーオウが最初に動いた。というよりガックリ肩を落としてボソボソとつぶやいた。
「ううっ、息子に嫌われてしまった。どうすればよいのだ」
「ホントになさけない父親ねぇ」
「お父さんってこんな時に頼りにならないんだから」
途方に暮れる夫の姿を見て、クイリュンはため息をついた。リュイリュンもそれにならった。頼りにならない、の一言でルパーオウのピクッと翼が動いた。結構気にしたらしい。
「なんのこれしき!まだ手はあるぞ」
「手はあるって、何をする気ですか?」
母と娘はちょっと驚いて顔を見合わせた。
「うむ。キャリオウの奴にな……嫁をめとらせようと思うのだ」
クイリュンもリュイリュンも目を限界いっぱいまで見開いた。前々からちょっと常識からずれたことをすることもある父親だったが、いきなり嫁を迎えさせようとは。
「落ち着きのない子だが、自分の巣穴を構えれば一人前のオスとしての自覚も出る!」
「あの子には早過ぎますよ!第一、誰を嫁にしようというのです?」
クイリュンは暴走気味の夫をなんとか思いとどまらせようと、噛み付きそうな勢いでくってかかった。一方、リュイリュンはと言えば頭も体もまだ金縛り状態だった。
「まあ、誰と決めたわけではないが。この島にも年頃のドラゴンは何匹かいる。それに黒竜一族の長もキャリオウを気に入っておる。あそこにも娘が何匹かいたはずだから……」
「この島のドラゴンって、例えば誰?」
金縛りが解けてのリュイリュンの第一声がこれだった。注意して聞いていれば声の成分中に険悪な感情が大量に含有されていることに気がついたろう。
「うむ、例えばお前の友達のリュパノイちゃんやルストンちゃん……」
「ダメ―――――ッ!!」
呑気に名前を挙げはじめたルパーオウは娘から絶叫に近いダメ出しをくらってびっくりした。
「あ?いや、彼女たちなら気心も知れておるだろうし、結構似合いの夫婦に……」
「ダメったら、ダメったら、絶対にダメ!」
たじろぐほどの迫力にルパーオウは困惑した。娘の友達から嫁を選べばリュイリュンも喜んでくれるだろうと思っていたのだ。
「なぜリュパノイちゃんやルストンちゃんではダメなのだ?キャリオウと仲もいいし、性格も素直な、よい娘たちではないか」
「それは、その、お、お兄ちゃんみたいなガキっぽいのなんて嫌われるに決まっているよ!」
「今はそうかもしれんが、二年もすれば立派な大人だ。働き者のいいオスに育ってくれる」
「そ、そ、それに寿命だって違うじゃない!」
リュイリュンの言う通りでドラゴンと人間では寿命に大きな差があった。千年の時を生きるドラゴンに比べ、人間の寿命は百年に満たない場合がほとんどだ。並外れた力量を持つ魔道士ならば寿命を延ばすことも可能だが、それでも数百年程度。ドラゴンの半分にも届かない。
「その点は心配ないそうだ。以前に長老から聞いたことがある」
「長老から?」
「詳しくは教えてくれなかったが、大昔にドラゴンと結婚した人間が、寿命の差を乗り越える何かの方法を見つけたらしい」
「それってどんな方法なの?」
リュイリュンは真剣な目でルパーオウに尋ねた。注意していれば彼女の熱心さが好奇心によるものではないことに気づいただろう。残念なことに鈍感な父親はそこまで気が回らなかった。
「それは後回しだ。まず花嫁候補を何匹かあたってみねばならん」
無神経な言葉にリュイリュンは絶句し、それから白い鱗をかすかに紅潮させて激怒した。
「お、お父さんの……」
「まずリュパノイちゃんからあたってみるとしよう。クイリュン、お前からそれとなーく探りを入れてくれ」
「お父さんのバカーーーッ!」
バァチバァチィッ!リュイリュンの角からほとばしる青い稲妻がルパーオウの全身を走り回った。煙を上げてひっくり返った父親に背を向けてリュイリュンは巣穴から飛び去っていった。
「う、う、う、ううむ?一体何がどうしたというのだ、リュイ……」
起き上がって問いただそうとしたものの、リュイリュンの姿は既にない。
「な、なぜだ?娘にまで嫌われてしまった!」
「あなたが鈍感だからです」
クイリュンが冷たく言い放った言葉がルパーオウの胸に深く突き刺さった。実に情けない夫の顔を無視してクイリュンは翼を羽ばたかせた。
「長老の所に相談に行ってきます」
「そうだな、では私も一緒に行こう」
「邪魔です。留守番していてください」
それだけ言い残すとクイリュンは外へ飛んでいった。後にはルパーオウただ一匹が残された。
「つ、妻にまで見放されてしまった。どうすればいいんだ……」
家族全員から見捨てられた哀れなドラゴンは体を丸めて寝転がると、尻尾の先で床に『の』の字を書き始めた。いつまでたっても誰も戻ってきてくれないので、延々といじけ続けた。