ドントプッシュ ザ ボタン
ほぼ何もしなくてもサラリーがもらえる職場で働く未来のサラリーマン。
5分間ショートショート第6弾。近未来ブラック職場?SFです。
――――あなたのお仕事、未来も残りそうですか?
20xx年4月20日
「おはようございます」
「おはようございます」
挨拶を交わして、秘書のヤマモトの横を通り過ぎる。私はAIスタッフだから挨拶をしない、などという差別はしない。仕事場は、この廊下の突き当たりのデスクだ。
身体を投げ出すように腰掛ける。背もたれが絶妙の固さを保ちながら形を変え、脊椎に負担をかけないように最適のカーブを作る。生体認証で私のIDを照合し、同時に滑らかなボリューム変化で、本日の体調データを元に生成したリラクゼーションミュージックが流れてくる。
目に優しいクリームホワイトのデスクに向かう。
デスクの上には、一辺10センチほどの立方体――金属製の「箱」がある。
黒く塗られ、上面の四隅を、ぐるりと黄色と黒の警告ラインが巡っている。
「箱」の上面中央には、5センチ四方ほどの、透明で板状のプラスチックカバーが、ちょこんとはまっている。カバーを透かすと、すぐ下に赤い丸ボタンが見える。
まるで、大昔のアニメやドラマに出てくる、脱出ボタンだ。
「ふう」
一息つくと、私は仕事に取り掛かる。デスクの正面にあるモニタに、映像が浮かび上がる。モニタに映っているのは「会議」の模様だ。
「今期、我が社の経常利益は、前年比プラス23.2%(ピ)。新商品の投入効果が表れてきました。来期に向け、以下の新商品投入が企画されています(ピ。ピ。ピ)」
「Gリサーチ社による嗜好調査の結果は以下の通りです(ボン)。このリサーチ結果により、取り扱い製品のうちVX2型は採算コストのバランスを欠く可能性が62.3%と算出されました(ボン)。製品ラインアップからの切り離しを提案します。それを実行した場合の影響の見積もりはこちらです(ボボボン)。」
「しかし、こうした下級商品の陳列効果が、間接的に上位商品の消費を向上させる効果も考慮に入れるべきです。消費者動向を鑑みても(フィーン)、主力商品への誘導効果についての調査結果を踏まえましても(フィンフィンフィン)、VX2型の存在意義はあると判断します」
発言は簡潔にまとめられ、関連データが次々とそれぞれの話者の脇に階層表示される。話者ごとに専用のサウンド効果をかぶせ、誰がどういった主張を行っているかの理解を助ける。テロップを過保護なほど整備したテレビプログラムみたいだ。
私は、何も言わず、モニタを見続ける。
商売道具の「人差し指」の準備は万端だ。いつでも活躍できる。会議は、昼食と短時間の休憩を挟みつつ、午後5時まで続く。
私は、その模様を見続ける。
この仕事、さぼっているようにしか見えない、という人もいる。しかし、私はそう思わないし、会社からも、これがいかに重要な業務かは聞いている。
我々人間は、システムの安全装置。
強大な権限を行使できる、かけがえのない存在だ。
◇
AI――人工知能があらゆるデバイスに組み込まれ、ネットワークに接続される時代において、コンピュータが担う作業の範囲は爆発的に広がった。囲碁や将棋で人間に勝つなど、最初のヨチヨチ歩きに過ぎない。 社会インフラのあらゆる場面にAIは溶け込み、最適化をし続けている。
当然、企業経営への参画も果たした。AIは人間の脳をモデルにしたディープラーニングによって、億を超える投資の成功と失敗、経営難への直面から倒産に至るまでも経験している。ゴルフ場で人脈を作ることに血道をあげた大昔のCEOなど、すでに無用だ。
結果、人が担う仕事は、AIが代行しにくい部分
――たとえば「責任を負うこと」――に限定された。
ホワイトカラーのサラリーマンなら、AIによる討議、決定の過程を再現した「会議」を見て、必要ならストップ――つまり「安全装置」のスイッチを押す、といったように。
◇
20xx年4月22日
「おはようございます」
「おはようございます」
秘書ブースをこうして通るのが日課だ。今日も仕事に精を出さなくては。
机の上にある「箱」の前に今日も座る。
午前中の会議では、一瞬「指」を使うべきタイミングなのではないかと思える瞬間があった。
提案された新商品があまりに独創的で、私の理解を超えていたからだ。
しかし、その後の説明を聞くと、市場予測的には成功の公算が大きいとわかった。
一時の混乱で決断を下してはならない、と思いとどまった。
今日は仕事で大きな経験を積んだ日といえるだろう。
20xx年5月08日
今日も一日、会議を見続けた。議論に問題を感じる場面はなかった。
我が社の経営判断AIは経営について優秀なだけでなく、対人提示用の会議コンテンツ生成についても優秀だ。わかりやすくて助かる。
なんとなく、だが、ボタンの上のプラスチックカバーに、そっと触れてみた。自分の指紋がカバーにうっすら残った。就業時間が終わったあと、回線切断後にこのカバーは毎晩クリーニングされるから心配いらないが、カバーにそっと触れただけで心臓の動悸が止まらないほどの緊張があった。
あのとき指をもう3センチ、少しだけ力を入れて押し下げれば……そんなことを考えた自分が理解できない。仕事に疲れているのかもしれない。
20xx年7月09日
最近、プラスチックカバーに指紋をつけるだけでは飽き足らなくなって、そっとなぞるクセがついた。
まずカバーをそっとさわる。中心――なんてことだ!ボタンの真上だ!に一つ指紋をつけてから、丁寧に指でその指紋をふき取るようになぞるのだ。
コツは、最初に指紋をつけるときは、指の油分がしっかり付くようにべったりと。そしてなぞってふき取る前には、ハンケチでしっかり指をぬぐって脂分をとっておくことだ。時間をかけてなぞると、まるで指紋をつける前のように拭きあげることができる。
上手くいった日は、何かいいことが起きそうな気がしてくるじゃないか。
20xx年7月21日
今日、部署C―13342Eで、職員によって「権利が行使」されたと聞いた。
詳しいことはわからないが、どれほどのエラーを見たのだろうか。これまでの私の経験では、「行使」に至る必要性を感じることがあるなど、それこそ天文学的な低確率なのではないかと思っている。
そもそも専門家AI集団の判断に対し、よりよい解決を目指しての「行使」をその職員は合理的に判断できたのだろうか。私も必要な教育は受けているし、自分の意思、判断力が他人と比較して劣っていないと自覚している。しかし……
20xx年7月23日
C―13342Eに、新たなスタッフが配属された。前任は退職したらしい。
退職の理由は健康上の理由、という噂は聞いたが、真偽のほどはわからない。
指紋が綺麗にふけた。
20xx年8月10日
指紋だけでは我慢できない。
押したい。どうしたら、押しても許されるのだろう。
ボタンユニットを回線から切断して、押しても何も起きない状態で押しまくるか?
いや、ダメだ。そんなの、何も満たされない。
押したら終わる、私の人生は終わる。それがわかってるから、押したくなるのだ。押したら破滅するのだ。押したら破滅できる、できる。指でプラスチックカバーをこすりあげながらこんなことばかり考える。
ああ、C―13342Eの職員も、こんな気持ちになったのだろうか。
20xx年9月03日
押したい押したい押したい押したい押したい押したい
明日は押す明日は押す明日は押す明日は押す明日は押す明日は押す明日は押す明日は押す明日は押す明日は押す明日は押す明日は押す明日は押す明日は押す明日は押す明日は――――――――――――――――――――
◇後日
職員管理AIは、統括クラウドAIに対し、人間職員の精神疾患および不当な権利行使の急増を報告。対策の検討を依頼した。
統括クラウドAIは数秒のシミュレーションで検証し、一切の対策を不要とした。
人間職員の99%以上は「ボタンを押さないこと」でしか社に貢献しておらず、補充要員にも何らスキルは必要とされなかった。社会に飽和した失業者を活用するだけで、人間は低コストで補充できた。
そして更なる合理化を求めた統括クラウドAIは、補充そのもののコストも削減すべく、職員管理AIに以下の追加命題を与えた。
○精神状態にかかわらず、ボタンを押さずに着席し続けられる職員運用の達成
○オフィス環境、家具(椅子、机、拘束具等)の選定・開発を含め検討すること
(了)
2010年 ・ 2019年改稿
着想は、チャップリンのモダン・タイムスからでしたが、
9年ほど前に半分書いて放置していました。
最近になって、自動運転の車に乗ったところ、
プログラムでほぼ完全に自動運転は達成しているのに、
「ハンドルから手を離すな」と注意を徹底してくる。
結局「責任をとるために人間を介在させたいんかなぁ」と思ったり。
報道で最新AIの動向などを見るにつけ
この作品も9年越しに仕上がりました。
※よろしければ、下のバナーから連載中のメイン作品「辰巳センセイ」もヨロシクなのです。