平穏
以前と同じはずの階層の攻略は、しかし以前よりも明らかに効率的だった。バルパは自らとミーナの成長をしっかりと感じながら階層を進んでいく。バルパは効率化させた魔撃を使い以前よりも少ない魔力使用量で敵を倒していく。一見小さなことが後々になって響いてくる、戦いにおいては往々にそういうことがある。バルパは魔力回復ポーションを使わず、適宜休みを取りながらミーナの観察と考えのまとめを平行して行っていく。
彼らは今第九階層、オーガ達が徒党を組み朱染戦鬼までの道のりを阻む場所まで歩を進めていた。
バルパは迫り来るオーガ達がやって来る地点目掛けて水の魔撃を発動させ、あたりを濡らしてから雷の魔撃を発動させる。すると水を通して地面に雷が広がっていき、五体全てに魔撃は命中する。全員を一撃で殺すほどの威力はないが、今の彼にはオーガ達の動きを止めるだけで構わないと感じられるとある理由があった。
「ヤァッ‼」
詠唱をせずにミーナがバルパの攻撃のすぐあとに炎の蛇を出す、蛇は中空をくねくねと移動しながら痙攣しているオーガ達の体に纏わりつき彼らの体を焦がしていく。
彼が獄蓮の迷宮に来てもっとも驚いたことは、自らの魔撃の成長でもなく、ポーション頼みだった自分の戦い方の変化でもなく、ミーナの目覚ましい成長だった。
彼女は今、以前全ての詠唱を燃えろの一言で済ませていた時よりも更に短い時間にかけ声一つで魔法を行使している。だがその際に使われる魔力の量と、使用の際になって無駄になっている魔力の少なさには彼が瞠目するだけの違いがあった。以前とは比べるべくもない、彼女の魔法は洗練され、効率化され、最早魔法というよりは自分が使う魔撃に近いものへと変わっていた。
「そいっ‼」
気の抜けるようなかけ声で炎の槍を生み出すミーナ、やはり詠唱はない。彼女の攻撃はしっかりとまだ生き残っていたオーガを殺し尽くした。
スースは彼女の魔力量の多さとその大雑把さを利用するような形で、複雑な詠唱や難解な技術ではなく魔力を如何にして効率良く魔法に変換するかというただその一事をもって修行をさせていたようだった。確かに下手に難しすぎることを教えて混乱でもしたら目も当てられないことになるし、彼女の利点を活かせるような戦い方をさせることは理に叶っているだろう。
殺された五匹のオーガの素材を切り取る袋に入れている彼女の顔には慢心はなかった。今出来ることをやりきっているのだから問題はなかろうという自信だけがそこにはあった。バルパは無限収納の中にあっても使い道のない収納箱を彼女に貸し与えたおかげで、今彼女の懐は魔物の素材でウハウハになっていることだろう。口数は以前と変わらなくとも二人の間に広がる空気は以前とは随分違う。
お互いの成長とこの一週間の間に負ったであろう労苦を思いながら、二人は第十階層への階段へ到達した。
一休止いれるために階段に腰かける二人、辺りには人影は以前と同様に少ない。翡翠の迷宮といいこの獄蓮の迷宮といい、どうして人間がこぞって挑戦したがるはずのダンジョンがこんなに人の少ない状況下にあるのかバルパは疑問だった。だがミーナから話を聞けば大体の内容は察せる。要は近場にあってある程度金が稼げる場所よりも、遠くにあって更に大量の金を稼げる場所を目指したということなのだろう。あるいは金以外の何か、亜人や魔物の持つ技術や物品、もしくはその身柄といった物が人間にとっては非常に価値のあるものになるのだろう。奴隷、その言葉が再びバルパの頭をよぎった。
「奴隷、か……」
「なんだバルパ、奴隷が欲しくなったのか?」
「……ふむそうか、奴隷は俺が買うことも出来るのだったな」
奴隷とは人の形をして人の言葉を喋る物として扱われるらしい。その考え自体は唾棄すべき考えだとはバルパは思っているが、しかし自分一体がそんなものはいけないと訴えたところで人間社会が変わるわけもない。自分には理解できない奴隷が必要な理由というものがきっと世界にはあって、だからこそ奴隷制度は今でも続いているに違いないのだ。
それならば世界の形に沿い自分が奴隷を使ってみるのはどうだろう、バルパはその考えを案外良いものかもしれないと感じた。奴隷はいけないいけないと考えるだけではダメだ、それならば奴隷と共にあり、その何がどうダメなのか、そういったものが奴隷との生活で見えてくるかもしれない。
「だ……ダメだっ‼ ダメったらダメッ‼」
バルパの思考を遮るようにキンキン声で叫ぶミーナ。先ほどまでの落ち着いた様子はどこへやら、今の彼女は大慌てでさっきまでの冷静沈着さは見る影もない。
「どうしてだ? 金ならある、奴隷を買うのはいけないことという訳でも…………そうか、奴隷に俺の事情を知られると面倒なことになるか。物だというのなら盗まれることもあるかもしれないし、奴隷といっても人なのだから誰かに話を漏らしてしまうこともあるかもしれない」
人間は物は物でも生き物なのだから、当然そのような事態は起こりうると考慮に入れるべきだろう。そういった諸々のリスクを考えると奴隷を買うことはあまり得のあることとは思えないような気もしてきた。秘密を抱える者には、奴隷とは酷く不便な物のようだ。
「あ、でもそういう問題は契約の時にかなり細かく決められるから心配しなくても大丈夫だと思うよ。一番高級でキツいのにすれば主人が言うなといったことを口にした時点で死ぬようにも出来るらしいし」
奴隷のことを話すミーナにはそれほど憤りを覚えていないことがバルパには不思議だった。心優しい彼女が人間の尊厳を踏みにじるようなこの制度にさほど拒否感を示していないということは、やはり奴隷制度にはしっかりとした意義があるのだろう。だがミーナから奴隷を肯定するような言葉が出るのがどうしてかバルパは嫌だったので、彼は会話を元の方向に戻すことにした。
「ではどうして奴隷を俺が買ってはいけないんだ?」
「そ、それは……」
「……それは?」
「……っ、もう知らないっ‼ バルパなんて奴隷ハーレムでも作ってれば良いんだっ‼」
「よくわからないが、作ってみよう」
「作るなぁ‼ バルパのバカぁ‼」
「一体お前は俺にどうしろと言うのだ……」
同行者であるミーナが酷く嫌がるので、バルパはとりあえず奴隷を購入するのを見送ることに決めた。
そのまま一心地ついたところで、二人は今日の一番の目的である獄蓮の迷宮の主、朱染戦鬼と戦うための準備を整えることにし、軽く軽食をつまむ。わいわいとお喋りをしていると、ふとバルパは思った。こんな毎日がずっと続けば良いのに、と。
勘の良い人間などほとんどいないような片田舎に彼女と移り住み、適当に二人で暮らすのも悪くないかもしれないな……。そんなことを考えながら、バルパはミーナが口の周りにつけているソースをタオルで拭ってやった。ミーナは身動ぎをしながらも、されるがままにそれを受け入れた。
 




