男の交渉
ヴァンスは空を飛び、今度はリンプフェルトを抜けることなく冒険者ギルド近くにある領主館近くに音もなく着地した。何事かと入り口の通用門を警備していた衛兵達がヴァンスの顔を見て、ほっと胸を撫で下ろして去っていく。
『無限刃』のヴァンス、その名はリンプフェルトの街に燦然と輝いている。彼は何度もこの街の危機を救い、そしてその度に凄まじい額の金銭を街に落とした。
狩ってきた魔物の素材は換金すると同時に湯水のように使われる酒代に消え、彼が入った店は食事も酒も等しく売り切れてしまい店から嬉しい悲鳴が上がる。彼の実力、金払いの良さ、そして憎めない人柄はこの街で知らぬものはいない。故に警備兵達はやって来たのがヴァンスだと知るだけで門を開き歓迎の意を示す。実際問題彼が押し通ろうとすればそれを阻止することなど不可能に近いという点も考慮されてはいるのだろうが、それでも彼らの瞳には英雄ヴァンスへの尊崇の色があった。
「まっ、頑張れや」
「は、はいっ‼」
元気良く自分に向けて敬礼する衛兵達にひらひらと手を振って中へ入る。恐らくつまみ食いされているであろうメイドの長めのスカートをペロリとめくり、料理長に駄々をこねて作りたての料理を貰いながらお目当ての部屋へと歩いていく。
「よぉ、元気でやってるか?」
ドンと勢い良く扉を開くと勢いが良すぎたせいでドアの蝶番が壊れそのままギィと音を鳴らしながら倒れた。
「……少なくとも勝手に空を飛び衛兵の意味を問うような行動をしたかと思えば夜店を三つほど潰し、セクハラを訴える陳情を十個以上あげるお前には負けるよ」
「誉めるなよ、照れるぜ」
「これで本当に照れるとことがお前の凄い所だよな……」
頬から顎にかけて綺麗に切り揃えられたグレーの髭を撫でながら椅子から立ち上がった彼はルミール、リンプフェルトを治めている貴族であり位としては子爵を頂いている。
だが王妃に自分の鼻くそを食べさせようとした前科のあるヴァンスにとって貴族という言葉にはなんの意味もなさない。彼が爆弾と呼ぶのも生ぬるいほどの危険物であるのと同時、常に魔物の領域からの逆侵攻に脅えるリンプフェルトの領主としては手放せない存在でもある。それにそんな損得勘定を抜きにしても、この二人は旧来の友人だった。
だが友人であれ守らねばならない一線というものもあるだろうとルミールは重たいため息を吐いた。彼は恐らく経費では落ちないであろうドアの修理費に頭を抱えながらジッと壊れた扉を見つめる。少ししてから最近薄くなってきた頭髪を撫で付け、少し寂しそうな顔をしてから立ち上がった。
ゆったりとした赤のローブに金糸が揺れる、その立ち振舞いだけを見れば先ほどのぶっきらぼうな口調で話していた彼と今のルミールを同一人物だと思う人間はいないだろう。ヴァンスが誰に対しても礼儀を重んじない人間であることを知っているルミールは、未だに自分と対等で話をしてくれる友人に有り難さを感じながらも、それと同時にその迷惑な性分を鬱陶しく思ってもいた。
「で、どうせまた碌でもないようなんだろう。ていうかさっさと魔物の領域の開拓しろって、俺もかなりせっつかれてるんだから」
「えーやだよ、俺は誰かに戦うの強制されんの嫌いだし」
「……クソッ、こいつはっ……‼」
お前が公爵家の命令をすっぽかして一週間以上約束の日時を破いたせいで一体俺がどれだけ挨拶回りをすることになったと……とこんこんと説教をしてやりたくなったが、そんなことをしてもヴァンスは数分後には忘れてしまうことは間違いないためルミールは再び溜め息を吐いた。彼の頭髪からは普段の苦労が偲ばれる。
「で、やっと魔物の領域に行ってくれたのかと万歳してたらすぐ帰って来やがって」
「あーこっちにも色々あってだな……」
騒動の中心にいる彼がやって来たことにまた何か起こるのではないかと内心穏やかではないルミール、わりとしっかりものの常識人であるルミールがヴァンスに引っ掻き回されるという関係性はアラドとヴァンスのそれに似ていた。ヴァンスという男は誰と一緒にどこにいても騒動の種となるタイプの人間なのである。
ルミールは常に彼がとんでもないことを口にすると身構えてはいるのだが、ヴァンスという男は憎たらしいことに毎度毎度その斜め上を行く。そしてそれはまた、今回も例外ではなかった。
「訳あって、スウィフトの死体を入手した」
「ばっお前⁉ 完全に人払いが済んでないこんな場所で言うことじゃねぇだろそれは⁉」
人間至上主義と亜人を魔物とみなす排他的な思想を持つ星光教という宗教は、ザガ王国の国教であり、教義という大義名分のもと属国も合わせて幾田もの国が力を合わせ魔王の操る魔物の軍勢と戦い、そして勝利を収めた。そんな一大宗教における錦の御旗である勇者の名を出すことは、現在のザガ王国ではタブー視されている。それは何故か、戦後勇者が魔物と通じているとされ邪教認定を行われたからである。戦後すぐに国際指名手配犯となっていた勇者はその消息が完全に絶たれ行方どころか生死まで不明、追おうにも彼は瞬間移動持ちであるために捜索は遅々として進まずそして現在に至っている。
だが自らの知古によってその事態の現状を語られてしまい、ルーミルは引くに引けない状況に追い込まれてしまった。
「俺にどうしろと? これを伝えたら間違いなくお前に引き渡し要求が来るぞ」
「そんなん来てもやらん、あんな怪しげな人体実験してるところにこいつの死体なんぞ渡せるか」
「つぅかそもそもどこでそんなもんを……ってその辺が魔物の領域に繋がってくるわけか」
「まぁそんな感じだな、てかさっきのメイド間違いなく隠密だぞ。もうちょい警備とかしっかりしといた方が良いと思う。あ、彼女今ベッドで寝てるから」
「……それはそれはありがとうヴァンス君、闇の中に葬らなくちゃいけない情報と一緒に我が家の諜報事情まで解決してくれるだなんて」
「それほどでもないぜ」
ヴァンスは大股で歩きルーミルが手を付けている机の上にとあるものを置いた。
「だが俺が今日来たのはそれとは別件だ。面倒だからぶっちゃけた話をする、取り引きしようぜ? これやるから指名手配書一枚取り除けや……な?」
ヴァンスは親指をグッと押し上げ、その真っ白な歯をキラリと光らせながら笑う。机の上に乗ったガラス瓶が、中に入った液体を揺らしながら悠然と佇んでいた。
 




