今再びの生存戦略
先ほどヴァンスに掴まれて空を飛んでいた時よりは遅く、しかしそれでもバルパの全力疾走よりも早い速度で彼の目前に木が迫る。バルパは考えるよりも先に魔力による身体強化を行い顔面と首に魔力を集中させた。強化が終わるよりも先に顔面が木の幹に激突する。鼻先に固い感触、ゴンと顔が木とこんにちはしてからなんとか木にしがみついた。
太さがそこまでなかったため木の後ろで手を組むことが出来た。次に高度を利用して辺りを見渡す、見た限りでは魔物の存在は見られない。だが何があるかわからないと魔力感知を発動させようとし……そしてすんでのところで思いとどまった。
魔力感知にはそれほどの魔力は消費しない、数分に一度使う程度なら自然回復の分で賄える程度の消費だ。だが今、自分はどこで戦闘が始まり、どんな戦闘で急激に魔力を消費するかわからない状態にある。ここは我慢しておくべきか? いや違うと自分の考えを否定する、ここは考えをまとめ今後のことを考えるために一度魔力感知を使うべきだろう。
魔力感知を発動させた結果、少なくとも周囲に魔物の反応はなかった。敵がいないことを喜ぶべきか、敵がいないにもかかわらず魔力を浪費したことを残念に思うべきか、今のバルパにはわからなかった。
「……首輪と腕輪は、取られなかったな」
まず出てきた感想はそれだった、だが取られなかったこと自体が今のバルパには酷く危険なことに思える。腕輪に関しては三つほど予備があることがわかっていたが、バルパにこの翻訳の首飾りの替えはない。つまりそれは一度壊れてしまえばそれ以降バルパは人間と意思疏通をする手段を失ってしまうということを意味している。未だ人間の使う言葉を理解できていない以上、仮にこれを失ってしまえばミーナとコミュニケーションを取るのにも多大な労力をかけてしまうだろう。
これだけは失うわけにはいかない、バルパはヴァンスから無限収納と交換で受け取った収納箱の中に首飾りを入れようと念じ、そして首飾りが袋に収納されないことを思い出した。無限収納は袋に触れ、念じるだけで身に付けた物をしまい、装備として装着することが出来る。だがこれは無限収納という魔法の品が規格外過ぎるだけで、通常の容量に限界のある収納箱では一回一回しまう物品を袋の口に触れさせ、袋の口に手を入れ装備を取り出して自分で着けなくてはならない。
無限収納に早くも恋しさを感じながら現状把握を行うために一つ一つ入っているものを取り出していくバルパ、その最中彼は中に入っている物についての感覚も無限収納と収納箱ではかなりの差異があることを理解する。無限収納を物品の一つ一つを別個に収納し、それらを持ち主の自由に分類、選出出来るものとするなら収納箱は全ての物品を雑多に詰め込んだ箱と形容するのが相応しいように思えた。
収納箱は重さに関係なく物を入れられるが、袋の中に通常よりも大きい空間が広がっているだけであるために実際に物を取り出すときには手触りと感触で物品をしっかりと選別し選び取らなければならない。こんな煩わしい作業を良く他の人間は出来るものだと考えてから、今の自分の考えが持つもの特有の傲慢さによるものであることをバルパは恥じた。
そして気を取り直し中のものを一つ一つしっかりと確かめながら取り出していく。そこに入っていた食料はパンと呼ばれる野菜を固めたものがいくつかと干し肉が数枚のみであった。水に関しては満杯になるまで水がつまっている壺が一つあるために困らなそうではあるが、食料は一週間生活するには明らかに心許ない量である。おそらくこれは食料は自分で調達しろという意図なのだろうとバルパは推測した。幸い最低限の鑑定が使えるおかげで、食べられるものと食べられないものの区別くらいは辛うじてつく。肉が食べたいが、もしかしたら野菜等の葉っぱで飢えをしのぐ必要があるかもしれない、そう考えるとまた少し気分が落ち込んだ。
食料と水の確認を終えると次に武器と防具を取り出した。入っていたのは取っ手と刀身が繋がっているなぞの黒い物体と、それと同じ素材で出来ていると思われる盾だった。そういえば呪いの武器とヴァンスは言っていたし、おそらくこれらがその武具なのだろう。正直なところ武器は剣だけかもしれないと考えていたから、盾があるだけ有り難い。他に何か無いかと中を探ったが、中にあったのはこれで本当に全部だった。
剣と盾を鑑定にかけてみたが未熟なバルパの鑑定では得られた情報はかなり少なかった。
壊れない剣 弱い 強い ○○ 呪い
壊れない盾 弱い 痛い ○○ 呪い
呪いと書いてあるのが怖かったが、まさか使えない武器を寄越すことはないだろうととりあえずいつものように右手に剣を握り、左手に盾を持つ。剣は刀身と柄が全く同じ長さであり、そもそも刀剣というよりただの角材のような見た目なのだが一応これも分類的には剣になるらしかった。どちらをつけても現状は何の異常も感じられない。だが冥王パティルの短剣という時間経過で効力を発揮する呪いの武器を知っていたため用心はしておこうと心のなかに今の体の動きをあとで比較できるように感覚として掴んでおく。
剣の重さはボロ剣よりは重いが、時たま使う両手使いの大剣よりは大分軽い。これなら片手でも十分使えそうだととりあえず武器が確保出来たことを喜ぶバルパ。
武器と食料の確認をしたら次にやるべきは目的の認識とそれへの対処を練ることである。
まず師匠であるヴァンスから言い渡されたのは一週間耐えろというたった一言だけ。入っていた食べ物の量から考えて、耐えるという言葉の意味の中には言外に生きるために必要な食料の確保は自分で行えというメッセージもこめられているはずだ。
なら自分がすべきことはある程度の安全を確保し、極力戦闘を避けながら、ここぞという場面で魔物を殺し喰らうことだ。おそらくこの修行の目的とは無限収納に頼らない生活術、武器に頼らない戦闘方法、ポーションに頼らない魔力の効率的運用。やるべきことに優先順位をつけ、戦える相手と戦ってはいけない相手をしっかり見極める必要もあるだろう。
これは今まで無限収納と数々の魔法の品、つまるところ勇者のお下がりで生きてきたバルパにとってはかなり厳しい条件だ。だがバルパは自らを追い込んでくれた自らの師匠に感謝した。自分では強くなりたい、武器に頼っていると思ってはいても使えるときにはやはり魔法の品を使ってしまっていた甘えが、無限収納を預かられるという一点によってなくなったのだ。これより行うは自分と魔物達との生存競争。自分と相手の条件を、そして周囲の環境を意識しながら自らの命を維持していく生存戦略。
回復が出来ず後がないという危機的状況に、バルパは懐かしさを感じた。まだ自分がほとんどただのゴブリンだったときと今の状況は似ている、あの時と比べればかなり恵まれてはいるが、実際に現在進行形で命の危機に曝されているということもまた事実。
気が付けば自分の口角が上がっていた。それを理解し自分もヴァンスのことは笑えないと少しだけ笑みの種類を変える。
辺りは湿度の高いジャングルだ。至る所で小鳥が鳴き、遠くからは飛竜達の雄叫びが聞こえ、そして木々には巨大な魔物によるものと思わしき傷が至る所についている。
バルパはこれから始まる一週間のサバイバルの第一歩を、今ここに踏み出した。




