修行開始
バルパは振り落とされないよう体から適度に力を抜きながらヴァンスのするがままに何も言わずにいた。腕でガッチリと首を抱えられているため窮屈であるにもかかわらず首を抜くことが出来ない。それならば今は空の旅を堪能しようとバルパは諦念半分吹っ切れ半分で首を角度を下げる。
風切り音を耳にしながら眼下に映る光景を見下ろすと、街並みが消え森へ入っていく様子が見えた。ヴァンスがそこまで高度を取っていなかったため、リンプフェルトの街の人がこちらを指差しているその表情までがしっかりと見えていた。
「ヴァンスは今、どうやって空を飛んでいるんだ?」
「あ? ああ、これは気合いだな」
「そうか、気合いか」
ということは自分も念じれば空を飛べるようになるのかもしれないと考え、そもそも自分は未だかつて一度も空を飛ぼうとしたことはなかったなとバルパは顎に手をやった。一度もやってみたことはないが、自分も気合いを込めれば空を飛べるだろうかと本気で考え出した頃ヴァンスが短く呼吸をしながらバルパを絞める腕の力を少し弱くした。
「バルパ、お前ドラゴンとやったことあるか?」
「ある、レッドカーディナルドラゴンと。ダンジョンの中で」
「ほぉ、そりゃラッキーだったな」
何が幸運なのかと尋ねれば、ダンジョンの中のドラゴンというものはハンディキャップ戦のようなものなのだと答えるヴァンス。ドラゴンのその真の強さとはそもそも滅多なことでは攻撃の手が届かないような高度から一方的に竜言語魔法とブレスを叩き込まれ続けるところにあり、そもそも空をほとんど飛べないドラゴンというものはただの良い的だというのが彼の意見であった。
「だがミルドの街ではレッドカーディナルドラゴンが百年以上も生き残っていると聞いたぞ」
「バカ、それはミルドに俺がいなかったからだろうが。雑魚が何千匹集まろうがドラゴンには勝てん。せめて消耗させられるクラスの人間が何十人かはいないとな」
「『紅』の四人もドラゴンを倒したのだったな」
「エレメントだからあんまり強くないし、ほとんどおこぼれみたいなもんだったけどな。アラドは俺がそこそこ面倒見てやってるのに全然強くなんねぇんだよな。早く俺より強くなって俺を殺しにこいっていっつも言ってるんだけどよ」
「……なぜそんなことを言う? 殺されないのか?」
「殺されるって危険が皆無な戦闘なんかただの虐殺だろうが、俺は屠殺じゃなくて戦闘がしたいんだよ。ああ、そういう意味じゃ昨日のお前はかなりイカしてたぜ。ひっさしぶりに腹から出血したもんなぁ、あんときは興奮して危うく殺しちまうところだった」
戦闘が楽しいという気持ちはバルパにも理解できた。だがそれはあくまでも戦って勝つことが楽しいのであり、命をかけたような戦いでむしろ殺してくれと願うようなものではない。ヴァンスのその圧倒的な強さはその命をかけてでも戦おうとする闘争心の中にこそあるのかもしれないな、バルパは自分の中の闘争心ともう少し対話をしてみるべきかもしれないと思った。
「空中戦は対人と対大型魔物との戦闘ではわりと必須になってくるからな、お前も覚えといた方が良いぜ」
「俺にも気合いがあれば出来るか?」
「ああ多分な、全ては気合いだ」
「なるほど」
ドラゴンだけではなくワイバーン、それから飛行系の魔法の使い手等空を飛び距離を取りつつ戦う敵も多いらしいと聞きバルパは世界の広さを知った。ダンジョンという狭く閉鎖的な空間で戦ってきた彼にはそもそも空を戦闘区域として認識するという考え方すら存在していない、精々が攻撃を避けられなくなりそうな時の緊急避難場所という程度の認識だった。
そして今ヴァンスがなんの苦もなく空を飛んでいることを知り彼は愕然とする、もし昨夜自分と戦っていた時これを使われていたら……と考えずにいるのは不可能だった。自分は投擲しか出来ないような超高度から一方的にあの魔法の武器を叩きつけられ続ける、そんなことをされれば先に倒れたのは自分だったのは間違いない。色々と今まで自分が常識だと思っていたことを越えてくるヴァンスであったが、彼の強さや知識、戦い方は未だ底が知れなかった。この分ではまず間違いなくまだまだ自分が知らない何かを持っているに違いない。戦闘において自分よりも遥か先にいる人間にまがりなりにも戦いを教えてもらえることの幸運を、バルパは改めて噛み締めた。
「ではもし今の俺が空を飛べる敵と戦うことになったらどうすれば良い?」
「スレイブニルの靴じゃ行けて数百歩くらいだからあんまそいつには頼んない方が良いだろうな、地面に戻ろうとしたところを確実に狙われる。魔法で無理矢理叩き落とすか、無限収納の中のもんをひたすらぶん投げ続けるか……ってところか。まぁ今のお前の実力じゃ空飛ぶ魔物はまだキツいと思うぜ、武器のサポートなしでって但し書きはつくがな」
ヴァンスが戦闘の最中、バルパに武器に使われていると言っていたことを思い出す。それは彼自身が一番良く感じていることだ。レッドカーディナルドラゴンとの戦闘もヴァンスとの戦闘も、自分が強敵との戦闘で辛くも善戦出来ていたのはあくまで勇者スウィフトが獲得してきた成果物を横から掠め取ったからである。ボロ剣が、緑砲女王が、そして何よりも翻訳の首飾りがなければ自分は早々に死んでいた。それをもどかしいと思うと同時、どうしても勇者から譲り受けた品々に頼らざるを得ないという事実を彼は認めてもいた。
だがどうすれば現状が打開できるのか、未だ生きてきて得た経験の少ないバルパにはそれがわからなかった。
しばらく空を飛んだところでヴァンスが急停止した。先ほど街を越えてからというもの、視界の先に広がるのは森、森、森ばかりである。リンプフェルトの街を抜けたということから推察するに、眼下に広がっているのは間違いなく魔物の領域である。森の領域に入ってからチラチラと視界の先に何か黒い影が見えていたし、鬱蒼と繁っているためにほとんど切れ目のない枝葉の僅かな間からは生き物の姿が見えている。そして何より魔力感知の結果が以上だ。眼下の森の中には、数えるのも馬鹿らしいほどの魔物がいる。強いものから弱いものまで魔力量は大小様々だ。一体ここで何をするのだろうと考えながら宙で完全に静止しているヴァンスの方を見る。すると彼は真面目な顔をしながら自分の方を見つめていることに気付いた。
「バルパ、お前は自分の弱点を理解しているか?」
「ああ、魔法の品の能力任せな戦い方をしているという自覚はある」
「ああその通りだ、だがそれもすっげぇ当然のことなんだよ。今のお前の状態っていうのは凄く歪んでるんだ。武具のグレードに魔力量や戦闘能力が追い付いてないんだ。世界で二番目に強い男の所持品全部貰えたんだから当たり前っちゃ当たり前なんだけどな」
おそらく彼は今自分に何かを教えてくれようとしている、それを感じ取ったバルパはヴァンスの言葉の一言一句を聞き漏らすまいと耳を傾けた。
「だがその戦い方じゃあ地力っつうもんがつかん、全部をお前のその盾みたいなレアもんで揃えられるなら問題はないが当たりの武具っていうのは中々出ないからな。まぁ俺の正直な感想をぶっちゃけるとだな、スウィフトの道具無しのお前はぶっちゃけ雑魚だ。魔力もあるし身体能力もあるがその使い方がなってないし、無駄も多い。だから俺は今日お前をここに連れてきた。バルパ、鎧とスレイブニルの靴、剣と盾、全部しまえ」
バルパは言われた通りに自らの武器の全てを無限収納の中にしまった。鎧もしまってしまったために今彼は右手で無限収納を持っている状態だ。
「魔物の領域っつうのは推奨Aランクレギオン、つまりAランクの冒険者共が束になっても叶わんっていう魔境だ。ネームドは出んがエレメントまでならドラゴンも出るし、人間じゃない知性体、まぁ所謂亜人ってやつも結構な数がいる。ほいっと」
バルパは右手が少しだけ軽くなったのを感じ、自らの右の手のひらに握られている袋を見た。無限収納と一見すると変わらないように見えるが、長い時間無限収納を使ってきた彼には今持っているそれがただの収納箱であることがすぐにわかった。
「そこには一週間分の食料と水、それから壊れにくい武器と採取用のナイフが入ってる。俺は面倒が嫌いだから今からお前に修行の内容を伝える」
ヴァンスが腕の力を弱めバルパの拘束を解いた。そのまま器用に腕を動かし両手でバルパの腰の辺りを持って今度は腰を持つ腕に力を込めた。
「一週間魔物の領域で生き残れ、そん時まで生きてたら迎えに来てやる。魔法の品無し、ポーション無し、使える武器は呪いの武器だけって状態で耐えろ。耐えられなかったら知らん、どっかでのたれ死ね。以上、じゃあな」
一度大きく後ろに引かれてから、バルパは思いきり下にぶん投げられた。バルパは軟着陸しようとし、そういえばスレイブニルの靴を履いていないと思い出し……そのまま森を構成する木の幹に頭から突っ込んだ。
 




