夫婦って難しい
ヴァンスがスース達の到着を正座で待っている宿は名を安らぎの香木亭という。シンプルでいて奥行きのあるデザインと行き渡った接客、チップを支払わずとも十全な対応をしてくれるこの場所は、流石に一泊で金貨が飛んでいくだけの価値はあるものと言える。
だがここに宿泊する者達は皆が皆宿のように落ち着きがあるのかと言えばそうではない。ヴァンスという男は正直なところ既に限界を迎えつつあった。
今彼は自室でスースに言われた通り土下座をしている。どうせ帰ってこないだろと三十分ほどサボったりもしたが今はしっかりとしているのだから誰にも文句は言われない。ヴァンスはサボれるところでは、というかどんな時でもサボろうとするタイプの人間だった。
「あー……ヒマだー……」
外では近くに植えられている小さな木に鳥が掴まっているようで、ピーチクパーチクと彼らの元気なハミングが聞こえてくる。だが鳥さん達と違い、彼の現状は元気などというものからはほど遠かった。
「なんで俺、こんな場所で正座してんだろ」
昨日バルパと戦っていた時の覇気はどこへやら、彼は目をしょぼしょぼとさせながらどこか落ち着いた雰囲気で地面に座っている。
バルパと戦い、そして少しテンションが上がり、血を流してたぎっていたということもあってひたすらに酒場を巡ってセクハラをし続けたのがいけなかったなとヴァンスは反省した。だがその反省は次はスースにバレないようにもっと上手くやろうという間違った方向の向上意欲による賜物なのでそれが良いものかどうかは微妙なところである。
ああ、早くあいつらこねぇかなぁ。そんな風に考え立ち上がるヴァンス。彼が取った部屋には窓がついているため外の様子はある程度見える。宿の一階からでは俯瞰することは出来ないが、それでも道行く人を見て人相を把握することくらいはわけのないことである。
彼はじっと外を見て、それから目を凝らし……そして自分の求めていた一行がこちらに近づいてくるのを発見した。
「おーい‼」
ブンブンと手を振って彼らを歓迎しようとしたが、窓のせいで声は通らなそうだ。なのでヴァンスは拳圧で窓を叩き割ってから彼らにもう一度声を張り上げた。
「ここだぞ、ここだっ‼」
彼の大声を聞いてまずアラドが苦笑する。
ふん、窓の一枚や二枚叩き割っても割らなくても構わんだろう。相変わらずケツの穴の小さい奴だ。そのまま視線を少し横にそらすと『紅』の三人もアラド同様こちらに苦い笑みを浮かべている。なんだあいつら、俺様への敬意ってものが足りてないな。ヴァンスは彼らへのシゴキを一段階厳しくすることをそっと心の中で決めた。個人的に嫌だと感じたことには断固反対の意志を示すヴァンスは、こういうところが凄く大人げない。
そしてその後方でバルパがこちらに小さく礼をするのが見えた。あいつ、わかってるな。よし、アイツは二段階修行を厳しくしてやろう。全てを自分の好きなようにするヴァンスの思考回路はもうメチャクチャである。
バルパの後ろにはミーナとスースの姿が見えた。二人して話しているのを見るとなんだか親子みたいに見える。
ああ、こうやって遠目に見てる分にはあんなに可憐なのにどうしてアイツは俺にいつもいつも辛く当たるのだろう。それが自分のせいであるとは思っていない彼は、自分の結婚は正直若さ故の過ちであったような感は否めないと言わざるを得ない。だが普段は嫌なことしかしてこないが、それでもやっぱりスースが好きなのだからきっと自分の相手は彼女以外にはいないのだろう。
「そろそろ子供とか作りてぇよなぁ……」
今までは戦争が終わるまで、ここ最近は落ち着いてくるまでと何度も何度も何度も何度もお預けを食らっていたヴァンスはどうして俺が我慢などせにゃならんのだと急にムカムカしてきた、そしてちょっとだけムラムラもしてきた。彼は周りが自分のことをどう思おうと知ったこっちゃないという質の人間なので窓から顔を出して叫んだ。
「スース‼ 子作りしようぜっ‼」
ヴァンスの叫び声を聞き彼の方を向いたスース、相変わらず良い女だと素直にそう思えた。いくら女の子と遊ぼうが酒場で女の子を侍らせようが最後の一線だけは越えないと心に決めているヴァンスの中で愛が弾ける。ちなみに彼の中の一線とは行為のみを指しており、セクハラやボディタッチやパンツめくりはそれには含まれていない。
ミーナに何か一声かけてから彼目掛けて走り寄ってくるスース、その顔は何故か彼女が怒っていることを示していたが、ヴァンスはまぁそれも愛情表現の一種だろうと考え急いで宿を出た。
そのまま両腕を大きく広げ彼女を迎え入れる体勢を整える。
「スース、さぁベッドに……」
「なんで勝手に立ち上がってんだこのバカッ‼」
スースのか細い腕から出たとは思えないほどの剛力でくり出された蹴りが、勢い良くヴァンスの股間に突き刺さる。悶えるヴァンスは後ろに吹っ飛び、宿屋の外装と部屋をぶち抜いていくのを見ながら思い出した。
「……あ、そういえば土下座すんの忘れてた」




