修行の前に一休み
どうにかこうにかなだめすかしながら宿屋から距離を置くことに成功したバルパは、未だ興奮冷めやらぬといった様子のミルミルを連れて色街へと繰り出していた。この辺りは夜になっても灯りが多く騒いでも問題にならない。ミルミルの感激の声も酔っぱらい達の喧騒の中に消えていくだろう。
適当な店に入り、おすすめをとだけ言って席を取った。先払いらしく銀貨をよこせと言われたのでおとなしく手渡しあうあうと声にならない声をあげるミルミルをなんとか席に座らせる。
「いやぁ、でも本当に……ううっ、ごべんだざい」
「……」
ミルミルが手のひらを合わせて自分を拝んでいるのを見て、彼は本当にどこかがおかしくなってしまったのではないかとバルパは本気で心配になった。
髪の毛というものは本当に涙を出すほど大切なものなのだろうか、だとしたら生まれてからというもの頭に僅かな産毛しか生えていない自分は既にかなりまずい事態に陥っているのだろうか、そんな疑問が頭をよぎっては目の前のふさふさに目をやってしまう。
「あ、えへ、えへへ……」
そうっとそうっと自分の頭の方に手をやってはゆっくりと髪の毛を撫で付け、そしてにやけるミルミルを見てバルパはシンプルに気色悪いと思った。ミーナがニヤニヤ笑うのはそれほど気持ち悪くないというのにこの差はどこにあるのだろうと首を捻る。今のミルミルはずびずびと鼻を啜っているが、今の彼の頭を撫で付けようとは思えない。まぁバルパとしてはやっても良いか程度の気持ちはあるのだが、時々ミルミルが自分の髪の毛を奪う者はいないか不安になったかのようにギョロギョロと辺りを見回すために下手なことをするのは止めておいた。
「良かったな、ふさふさだ」
「あはは、やっぱりそう見えますか?」
「ああ、見えるぞ。今のお前は禿げていない」
「ですよねぇ、あぁ良かった。あ、ちょっと私のほっぺ叩いてくれませんか?」
「わかった」
その理由はわからないが人間には頬を殴って欲しいということもあるのだろう。バルパが思いきりグーで顔を殴ると隣のテーブル目掛けてミルミルがぶっ飛んだ。
「ちょ、あんたらっ‼ もめ事なら他所でやりなっ‼」
「おい、この殴られた奴なんか笑ってないか?」
「……へへへ」
「うわっ、ホントに笑ってる。なんか気持ち悪い」
バルパは辺りの視線を確認してから一向に席に戻ってくる気配のないミルミルのもとへ向かい、ずりずりと引きずりながら彼を元の椅子に戻した。
「これで良かったか?」
「ええ、とっても。ああ痛い、夢じゃない、幸せ……」
自分は痛いのは嫌いだし、自ら進んで痛みを乞うようなタイプではない。というかバルパは今まで自分から進んで痛みを感じにいくなどという行為が存在することを知らなかった。よくわからないがミルミルはリザードマンの打撃をわざと食らったりするのかもしれないとバルパは彼のことを理解することを早々に放棄することを決めた。
「ヴァンスから話は聞いたか?」
「え? ……ああはい、おおよその所は。明日から行動を一緒にするんですよね?」
「まぁ多分そうなるだろうな」
ヴァンスは自分の師匠になるであろう男だが、彼を直接師匠と呼ぶのは少しだけ抵抗があった。なので呼び方はヴァンスのままである。
どうせ話すことになったのなら幾つか話を聞いて明日に備えておこうと未だ上機嫌な様子のミルミルに話しかける。
「質問をしても良いか?」
「ええもちろん、私バルパさんになら命をあげる以外のことなら何でもしますよ」
「そうか、じゃあまずミーナのことをどうするつもりか聞いてはいないか?」
「ああ、スースさんに面倒見させるって言ってましたよ。夫婦で二人の仲を引き裂いて云々とかなんとか」
スースとは誰だと思い訪ねると、ヴァンスのお嫁さんらしい。なるほど、ヴァンスのお嫁さんの周りは今自分が知る限り最も安全な場所だろう。彼の機嫌を損ねるとわかった上で何かしでかすような奴など滅多にはいまい。
そう言えばあの朱染戦鬼のせいでお嫁さんにさせることはうやむやのまま終わってしまっていたなと思い出すバルパ。
「なぁ、ミルミルはミーナの旦那様になる気はないか?」
「…………あのバルパさん、これわりと本気で尋ねるんですけどお酒とか飲んでたりします?」
「いや、飲んだら思考力が削がれるものなど飲むわけないだろう。で、どうなんだ?」
バルパはもとより『紅』の面々の戦闘能力に関してはある程度その実力を認めていた。そして情報を得ている今のバルパには、彼らにはヴァンスの後ろ盾があることもわかっている。それなら尚更彼ら三人は有料物件だろうとバルパは考えたのである。
バルパは自分はゴブリンでミーナが人間であるということをしっかり自覚している。故に彼は自分もまたヴァンスの庇護下に入りかけていることはわかっていても、自分を候補に挙げようなどという考えは思いつきもしなかった。
そんなバルパの様子を見てミルミルは肩を竦めた。
「……はぁ……」
「どうした、ご飯ならそろそろ来ると思うぞ。もしあれなら肉なら出せるが?」
「…………はぁ~~」
「お待たせ致しました」
「ほら来た、食うぞ」
バルパは夜食というものをあまりしたことがない、というかこれが初めての経験だった。昼夜の別なく腹が減れば肉を食い、次に腹が減るまで何も食べないというだけの時計要らずな生活をしているバルパからするとそこまで腹が減ってもいないのに敢えてご飯を食べるという行為は非常に非生産的なもののように思える。だが辺りを見回すとかなり人が多い、今のバルパにはなんとなくその理由がわかる気がした。
ミーナが寝てやってくる心配は無い状態で好きなように食べ物を腹に入れられるというのは中々に魅力的なのだ。もちろんミーナと一緒にいるのがいやという訳ではないのだが、長い時間を一人ダンジョンの中で過ごしてきたバルパとしてもたまには彼女と別れて一人の時間が欲しいと思うのである。おそらくここにいる人間達は自分と同じように常日頃の慣れとでも形容すべきものを一旦リセットし、明日への活力をつけるために好きなようにはしゃいでいるのだろう。バルパには彼らのことがそんな風に見えていた。
「これじゃあミーナちゃんも報われませんね……」
「お客さん、今見たらさっきのあれで椅子が一個壊れちゃってるらしくてね? だから修理代として銀貨を少しばかり……」
バルパは何やら話しているミルミルの声を聞き取ろうとしたが、あたりの声がうるさくて上手く聞き取れなかった。聴力を強化したところで喧騒が大きくなるばかりで聞き取れることはないだろう。
故にバルパは彼のことは放置し、自分の前に置かれた肉野菜炒めに舌鼓を打っていた。すると何やら文句ありげな様子で料理を持ってきた女の子がバルパのもとへやって来る。
「……どうした、腹でも減ったか?」
「…………ぎんかちょうだい」
料理を持ってきた時は元気いっぱいだったはずの彼女は、何故か自分の顔を見るとヘロヘロと片言な言葉で話し始める。
「ほれ」
銀貨を渡してやると黙ってしまった女の子がバルパの方を見ている。バルパの上背がそこそこに高いこともあって二人の顔はほとんど水平な位置にあった。
見つめられたのでじっと見つめ返していると女の子が顔を赤くして顔を下げてしまった。
何かまずいことでもしたかと思い言葉をかけようとしたのだが、口が動く前に女の子は黙って走り去ってしまう。
「……なんだというんだ、一体」
「…………バルパさん」
「なんだ」
「鎧で隠してた素顔は…………イケメンだったんですね」
「知らん、周りがそう言ってるだけだ。というかお前は俺と一緒に食事したときに一度顔を見ているだろう」
「すいません、あの時は同志と思っていたものの頭皮が健康体そのものだったのでほとんど髪の毛しか見てませんでした」
「そうか」
「でもバルパさん、今のはダメですよ。バルパさんにはミーナちゃんがいるでしょう?」
「…………?」
「駄目だこりゃ」
二人は微妙に噛み合わない会話を続けながら食事を続け、そして明日の待ち合わせの約束をしてから別れた。
 




